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広田あきほの あきほ新聞(日記編)

さぼりがちなブログです。

お久しぶりです。

2021年が終わろうとしています。

今年の大掃除はなかなか計画どおりで。

満足。

無言で掃除しながら、

やっぱり振り返るものですね、年末らしく。

 

しかし今年は結局、自分が健康だったという事に尽きるなぁ。

辛かった事も悲しかったことも、

逃げ出したくなった事も沢山あったけど、

健康という最強カードを持ってしては、

全部がもう通り過ぎたことになりますね。

ありがたい事です。

いろんな方々がいらっしゃる中、

本当に健康であることが一番の幸運でした。

 

私自身は大きな変化はなかったように思うのですが、

なんだか2021年は、周りの人たちの環境が大きく変わって。

それは少なからず私にも影響を与える出来事も多くて。

深いとか浅いとかじゃなくて、

もっと根っこの部分から感じている繋がりだとか、

自分の信念だとか、

そういうのをなんだか試されているような年でした。

 

残念なことに、同級生のご家族の訃報も多い年で。

自分の経験を何度も思い出す機会がありました。

寄り添うって難しいね。

他人からの距離で出来る事なんて何もないことを知っているからこそ、

難しい。

 

あ、あと何故か今年は、寄せ植えの楽しみを覚えました。

切り花を飾っても、枯れてしまうのがだんだん勿体なくて。

そうか、庭を飾った方が長く楽しめるじゃん、と。

我が家の冬は、とても殺風景なので、

少しでも玄関周りを明るく。

これ、なんかね、運が向いてくる感じで、よいですよ。

ウェルカム!!な感じがね、グイグイ積極的でね、

なんか、来いや!!的なムードが、若干ひく(笑)。

 

 

最後のお花は、ウィンターコスモスって言うらしいです。

でもコスモスの種類ではないらしいです。

私も得意な、なりすましです。

でも、秋までしか咲かないコスモスより開花の時期が遅くて、

うまく手入れすると冬の間に咲いてくれるらしいので、過保護に育ててます。

なんかね、主役じゃない感じが、いいじゃん。

 

と、まあまあ、女子力アピールも終えたところで。

あ、そうでもない?ええ。想定内です。

 

さてさて。

2021年。

この年に何をしたか、と考えると、

映画演者の稽古と撮影が、とてもとても大きかったです。

3月くらいから稽古が始まって。

週一くらいで集まって。

6月の撮影ロケ地で誕生日を迎えました。

本当に、この映画がなかったら・・・

存在自体が影法師でしたね、きっと。

魂をどこかに置き忘れたままだったはずです。

劇団解散は本当に本当に、私にとっても、

心がカラッポになる出来事で。

立ち直れなかった、ほんとに。

でも、やっとこさ、この稽古に向かえる喜びと気力が、

私を歩かせてくれて。

監督の小野寺くんと、ご支援くださった皆様、応援してくださった皆様には、

もう、本当に、感謝しかありません。

もちろん、一緒に撮影した仲間も、スタッフさんにも。

大袈裟ではなく、生かしてもらいました。

蘇生、です。ほんと。

「まだ役者でいられる。」という真実に、どれほど救われたかわかりません。

並々ならぬ気持ちで挑んだ事、

臭いフレーズかもしれないけど、

2021年で一番ゆるがなかった私の情熱です。

 

この映画演者、6月の撮影を終えて、

11月には、完成披露試写会がありました。

この試写会の日に、

2021年の最大のバッドニュース、

「マモル、救急車に乗るの巻。」が起きるわけで。

 

お察しかと思いますが、ここからが長いです。

いったん、お汁粉でも温めにいってください。

私も毛布とりに行ってきます。膝が寒いです。おばあちゃんです。

 

父マモル、コロナ禍で外出が減ったことなどもあって、

下半身の筋肉がかなり弱ってしまいまして。

元々、抗がん剤の副作用で足の痺れがずっとあって、

ふらついて転倒する事が今年からだいぶ増えていました。

8月の中旬には、

「お父様が転倒してケアマネさんがタクシーで病院に連れていったので、

お嬢さんは病院に迎えにいってください。」

という電話が入り、慌てて車で迎えにいくという事件が起きたばかりで。

 

あれほど嫌がっていた杖を使うようになりました。

 

映画演者については、

相変わらず、いろんな面でサポートしてくれた父。

劇団前方公演墳のコアなファンの一人ですからね(笑)、

どうしても見たい映画だったはずで。

 

でも、完成披露試写会の会場は渋谷。

もう以前のように、電車で往復させるのは、無理。

・・そうだ!

お兄ちゃんに連れてきてもらえれば!

困った時の兄さん!兄貴!たのんます!!

 

我々は昔から仲のよい兄妹なんですけれど、

長いこと演劇をやってきて、

兄はそれをボチボチ見てくれてはいたけれど(セブンガールズは大阪十三で見てくれました。)

なんというか、

兄と父が並んで座って私の出演作品を見てくれるという事は、

一度もなくて。

なんだか不思議な気持ちだった。

 

私達兄妹の中では、

あの時のお父さんの状態を見る限り、

大袈裟ではなく、

これがお父さんの最後の遠出になるかもしれないし・・みたいな事も頭をよぎっていて。

 

結局、当日は、車を兄が運転して、

親子3人で小さい軽自動車で東名高速道路を渡って、渋谷の会場へ。

こんな風景、母が見たら嫉妬で狂いそうだ。

あっても良さそうだけど一度もなかった、こんなお出かけ。

なんだか私は、朝からとても浮足立ってた。

そして、この1日は忘れられない日になるだろうと思っていた。

まさか、あんな形で。

 

映画も舞台挨拶も無事に終わって。

出演した仲間たちが、それぞれお父さんに挨拶してくれて。

私はそれが本当に本当に嬉しくて。

その姿をいちいち焼き付けてしまった。

今思うと、不謹慎だけど明日死んじゃうんじゃないかと思うくらいの焼き増し具合だった。

 

帰りの車では、兄が今見たばかりの映画演者の話をしてくれて。

なんというか、それはとても珍しく思えて。

兄が、藤井ちゃんの女優っぷりについて饒舌になっている事が、

私はまたとてもとても嬉しくて。

思わず自慢してしまったりもして。

「売れるまえは私が一番の友達だったのよ!」みたいに言うダサイわたしがいた。

父は、ほぼ無言。

でも、私が車に乗る前は、兄と父で、映画の感想を話していたらしい。

それ、それが聞きたかったけど。

なんというか、根ほり葉ほり聞くのは、私達父娘のスタイルじゃない。

 

心地よい疲れと安心と、フワフワした気持ちのまま、

回る寿司、いや、飛んでスライドしてくる安い寿司を3人で食べて。

閉店時間前の寿司チェーン店のネタの無さよ・・さすが田舎だぜ。

いや、マジ、このドラマチックな親子3人の寿司なんだから、

もうちょっと盛り上げてくれや。

黒板五郎なら怒るね。子供が食べたいネタがないでしょうが!!!っつって。

手元のオーダー画面は、のきなみ「売り切れ」表示。

回ってるコーナーは、カピカピの乾燥肌まっしぐら。

潤って~、嘘でもいいから輝いて~。

あは。まぁ、これもまた、忘れられない思い出の1ページ。

 

無事に自宅にたどり着き、兄は自分の家へ、自分の乗ってきた車で帰り。

私はなんだか興奮したまま、藤井ちゃんにラインして。

兄の感想がこんな感じだったよーと報告して。

家族に挨拶してくれてアリガトーとか言って今日一日を締めくくり。

さて、お風呂にゆっくり沈むか~・・と。

父はいつも通りに見えていたけれど、

今思えば、久しぶりの遠出だし、映画も車も含めて長時間座りっぱなしだったし、

ほんとは相当、疲れていたのかもしれない。

 

別に知りたくもないでしょうけれども、

私はお風呂場に入ると、まずは、乾いた状態のまま、

クレンジングオイルで顔をマッサージします。

で、顔をお湯で洗い流すところから始まるのですが、

まさにその時。

ちょうど、私の化粧がメルトダウンし始めておぞましい素顔が現れつつあるその時。

 

ドスーーン!!!

ガシャーーーン!!!!!

と、すごい音が鳴りまして。

 

はい、やっと本題です。

 

えええええええええええ?

 

転んだ?父マモル、これ絶対転んだ音。

しかも、なんか割れた。

 

メルトダウンしたホラーフェイスで、体が半分濡れた状態のまま、

とりあえず、脱衣所まで飛び出す私。

 

我が家の謎のひとつなのですが、

脱衣所の扉を挟んだ向こうは台所、という設計です。

扉の向こうにすぐ冷蔵庫があるので、

(父の名誉の為に声を大にして言っておきますが)

決して脱衣所を覗き込んでいたわけではありません。

冷蔵庫の物を取ろうとした時にうっかり転倒したようです。

 

脱衣所のくもりガラスに父の後頭部が見え。

なんというか、目隠しになるシートのようなものが貼ってあるせいで、

ガラスが粉々にはならずに済んだものの、

もう、直径90センチくらいのでかい放射状の丸いヒビが入って、

その真ん中に父の頭が。

しかも、見る見るうちに、その中央の赤い点が、

ジワワワーーと、インクを水に垂らしたみたいに広がってゆくのです。

 

ぎょええええええ。

ホラー。

もう、ほんと、ホラー。

 

あたしゃパニックです。

いつか、お風呂に入っている時に火事とか地震が起きたらどうするんだろうって、

想像した事あったけど。

なんも役にたたん。

でも、お龍さんみたいにそのまま飛び出す度胸もない。

 

うわわわわわ。

あわててキャミソールみたいなもんをガバッと着て、

スウェットのズボンを濡れたまま持ち上げて。

 

でもその脱衣所の扉に父が倒れているもんで、

開かない。

やばい。

「開けるよ!出るよ!だいじょぶ?!」

 

白状します。

あの時、私が焦って扉を開けた事で、

傷を深くしてしまった可能性があります。

何故なら、ぶつけた衝撃で出来た傷より、

その後の、割れたガラスにナナメ方向から刺さったと思われる傷跡の方が深かったからです。

ごめん、ごめんよ、父。

 

割れたガラスの向こうに残っていた皮膚の断片については、

そういうのが好きな人にだけ今度聞かせます。

 

想像以上にすごい出血で。

なんだろう、見るからに、もう、アレがアレで、

血が止まるようには思えない感じで。

 

もう、私もやってる事がめちゃくちゃで。

えっと、えっと、ってなっちゃって。

こんな瀬戸際で、血を止めるのにどうでもいいタオルを探して、

高級な今治タオルは使わないようにしてる自分とか、

選んでんじゃねーよ!ってほんと引いたし。

流血している父にむかって、

「ごめん、パンツだけ履いてもいい?」とか言っちゃうし。

(ちなみに父は無言でうなずいてました。)

だって、濡れた体にスウェットのみって、なかなか無理だった。

そのまんま病院行く勇気は持ち合わせていなかった。

「ごめん、ほんとにごめん、顔だけちょっと洗わせて・・!!」って。

これ、女子ならわかってくれると思うのですが、

クレンジングオイルを落としてる途中って、

もう、顔がヌルヌルで、なんか目も曇ってきて痛いし、

とりあえず全部落とさないことには始まらない感じなのです。

 

そんなこんな止血しながらも自らをまず落ち着かせ。

傷口を押さえる父は「大丈夫。痛くない。」ってそれだけ言ってる。

こういう時の痛くない、ってさ。

劇団前方公演墳の「ネメシスの降りた町」っていう作品の時に、

千鶴が正面から刀で斬られて死ぬ間際に半蔵に言うのよ、「痛くない」って。

あれ思いだしちゃうじゃないの、こんな時に、こんな時なのに。

痛くないって、もう。

やめてやめて。こんな日に。

 

プチパニックのまま、こういう時、

救急車を呼ぶべきなのか、呼んでいいのか、

救急センターに車で運ぶべきなのか、

それとも受け入れてもらえるのかを先に病院に連絡すべきなのか。

スマホ片手に、もうわけがわからなくなるんです。

いや、これ経験してみると本当に。

救急病院、とか外科、とか、死ぬほどヒットするワードしか浮かばないので、

もう、全然見たい情報に辿りつかない。

おい、グーグル先生よ。ウィキペディア先生よ。

あんたたちの緊急対応って、こんなもんなのか。

もうあんたたちを先生とは呼ばない。

あわわわわ。

 

兄に電話をしても出ない。

翌朝早いって言ってたから、寝ちゃったかな。

ちなみに、その時すでに深夜0時でした。

さっきまでラインしてた藤井ちゃんに聞こうかなとか。

しばらくパニックのまま、

父の押さえているタオルは4本目に。

 

ああ!もう無理!119番!

生まれて初めての119番!!!!

 

なんか、上手に話せない。

状態とか詳しく聞かれても、「えと、血が、血が止まらないので。すみません。」

ああ、こういうの得意な方なのに。

なんも言えねー。

 

「しっかり血が出ているところを押さえて待っていてください。」と言われ。

早かった。

救急車、すぐ来た。

ピーポーピーポー、鳴らされると恥ずかしいって思ってたけど、

いざ鳴って近づいてくると、すごく安心するもんだ。

 

救急車の中でしばらく応急処置。

なるほど!!

自分で救急センターに運んでいたら、この処置はできなかった。

ひたすら流れ続ける血で車内を赤く染めていたに違いない。

救急車を呼ぶってことは、

応急処置をしてもらえるってことなのか。

頭にガーゼで手当てしてもらいつつ、

父は冷静に、8月にも転倒で病院にタクシーで行っている事を説明。

救急隊がその病院に連絡する事ですぐ受け入れてもらえて。

こういう情報も大事なんだな。

家に鍵かけて電気消して、なんだかよくわからない格好と中途半端に化粧を落とした私。

ついに、救急車に乗るの巻き。

 

初乗車の感想。

酔う。

 

軽ワゴンくらいの救急車で、窓はカーテンが閉めてあって、

それが横向きに進むって、めっちゃ、酔う。

しかも、我が家の立地の都合で、

相当長いこと、バックしたまま進む。

え?どこまでバックしてんの?ってくらいバックで進んでた。どうして?謎。

しかも、付き添いの長椅子って、特にシートベルトとか無いのね、

まあとにかく前後左右に揺れるわ。

 

あと、乗ってる間、救急隊の人がいろんな質問してくるんだけど、

父に向かって聞いてるのか、私に聞いてるのかわからなくって。

以前、母の介護施設で、母に聞いてることを全部私が答えてしまって、

介護士さんに「全部娘さんが答えちゃった・・・」って苦笑された事があり。

それはそれで、そんなつもりじゃないのに、と心が痛かった。

ので、父の頭が正常かどうかを確かめているのかもしれないから、

できるだけ黙っておこう、って思うんだけど、

「夕飯はいつくらいに食べたんですか?」

って質問に、

父「さっきです。」って答えてて。

いや今、0時過ぎだから。

お兄ちゃんとお寿司食べたの9時半過ぎくらいだから。

父、そういうとこある。

父の最近、は、3年前くらいまでは最近なのよ。

5年前くらいは大昔って言うのよ。そういう人なのよ。

 

ところどころ口を挟みつつ。

「なんでこんな時間に起きてたのかな?」

って言われても、

ちょっと父は夜型で、0時~2時がゴールデンタイムなのだとは説明も面倒で。

よりによって父、

「今日は渋谷まで出かけてて。」とか答える。

おい、若者きどりか。死語だけどチーマーか。

しかもちょっと誇らしげに言うんじゃないよ、こんな時に。

さすがに口挟むよね。

「私女優なんですけど今日舞台挨拶があって、」って言うか。言わない。

 

救急車の中でもまた藤井ちゃんにラインを作り、思いとどまる。

私だったら、夜中に救急車からこんなメッセージ送られたら困る。

消去消去。やっと冷静な自分に会えた。

 

病院に到着してから、また長くて。

動脈?それに近いところ?を切ってしまっているらしく、

どうしても止血できないので、今、焼いているのだと報告され。

夜中の救急は、わりと静かで。

それでも最初は2家族くらいいて、うちが一番最後だったみたいで、

最終的には待合室に私ひとり。

CT検査も異常なし、今回は通院不要だけど、

万が一また出血したら来てください、と先生からお話があり。

診察室から出てきたのは夜中の3時過ぎ。

 

大きな病院なのですが、薄暗い受付に一人、お会計する男性だけがいて。

タクシー呼ぶならこちらに、と連絡先を紹介してくれた3件中、2件は本日終了のアナウンス。

やっとつながった1件は「今最終の車が出ちゃったとこなので、もう朝5時まで無理ですね~」と言われ。

東京だったらありえないだろうけど、田舎あるあるなのでしょうか。

こっちは病院から電話してるんだぜ。

タクシーが、どこもつかまらないってある??

ひとつ勉強になりました。

 

深夜に救急車を呼んだ場合、

よっぽど患者に付き添わなきゃいけない状態でなければ、

救急車の後ろに、自分の車で追いかけていった方がよい。

ゆく時、冷静に帰りの自分たちを想像しよう。

 

頭に、先っぽのすぼまったネットを巻いて可愛いサンタさんみたいな父を、

真っ暗な待合室にひとり残したまま、

わたし、自宅まで20分くらい徒歩で車を取りに帰りまして。

不思議な興奮でまったく眠くはなかったのですが、

今日一日があまりにも濃厚すぎて、

なにをどう感じていいのかわからなくって。

11月の薄ら寒い深夜。コンビニの灯りだけに照らされて歩きましたよ。

トラックだけ走ってる道。たまに見かける猫。不思議な感じだった。

車でもう一度病院について、暗闇から出てくるネットちゃんな父は、

やっぱりちょっとしたホラーだったけど。

 

その日は数時間起きに父の寝顔と寝息を確認し。

生きてればいい、ほんとに、そう何度も噛みしめつつ。

 

思えば、母が亡くなってから、

「次はお父さんなんだな」っていう強迫観念みたいなものが、

ずっと私の肩に乗っていて。

次っていう日は、明日なのかもしれない、今日なのかもしれない、って、

毎日思いながら生きているようなところがあって。

恐怖でしかない。

毎日、噛みしめすぎて、もう味がなくなってゴムみたいな味になったフルーツガムみたいに。

なんというか、ずっとそれでも噛みしめてしまう。

まだ、味わう。

この親子の話はきっと、まだある。

まだまだまだまだ、続かないと困る。

 

今年の3月は母の一周忌で。

父が母に贈り物をする姿を全く見たことがないのだけれど。

父は母に、ものすごく素敵なお墓をたてた。

なんというか、オリジナリティあふれる、芸術的なお墓だ。

小さなスペースだけど、日本庭園かぶれの、枯山水もどきの、配置と色彩だ。

そして、母が生前したためた俳句を墓石に彫った。

そして、その俳句の後に、

そっと、

「ありがとう」 と、5文字添えた。

 

私は、そのありがとうを見るたびに、胸がギュッとなる。

父が母の遺したかった言葉を代弁しているようにもとれるけど、

なんとなく、父から母への5文字のような気もしてる。

 

そのことについて、真意は聞いてない。

聞くのは野暮なような気もして。

そう、根ほり葉ほり聞かないのが、私達父娘のスタイルなのだから。

 

あのお墓が、

父の言葉になってしまうのは、まだ早い。

でも今年は、ちょっと、それを想像する事件が多かったぞ。

娘、けっこう心配したぞ。

 

今年は、映画演者の完成に立ち会ってもらえた事、

本当に本当に一番嬉しかったです。

一般公開の予定などは、まだわからないみたいだけれど。

ひとりでも多くの方々に見てもらえる機会ができるといいな。

私はさておき、みんなとってもすばらしいので。

 

紅白歌合戦を耳で聞きながら、このブログを書きました。

やばい!蛍の光うたってる!エンディングじゃん。

ぼーんぼーん、ゆく年くる年きちゃう!!

 

なんとか、年内にすべりこめるかな。(こめなかった。)

見直しして読む時間ない!!

こんな長文、ここいらないだろとか今更確認する時間ない!!(結局確認した。)

 

あ、最後のどさくさに紛れてしまいますが。

あの。

来年、お誕生日が来る前に、また舞台に出演できるかもしれません。

お知らせできる形になったら、ご案内します。

今、唯一の明るい未来です。

潮時、という単語が何度も頭をぐるぐるよぎった2021年だった事を白状します。

でも、まだやるみたいです。

精一杯、頑張ります。

M-1からのオジサン(オバサン)ブーム、は~じま~るよ~!!!