織田信長
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織田家の家督を継いだ信長は 対抗勢力の今川義元と桶狭間で激突し 10倍の軍勢を本陣に奇襲し大勝利をして 隣国の松平元康との同盟 尾張を統一を果たして 斎藤家を滅ぼし美濃の国を獲得し 城下町の発展をする為に 楽座・楽市を導入(商人が税がかからないシステム)し 商人の町 堺から鉄砲を購入すると莫大出費なので 鍛冶屋を集めて自国で生産させ 戦国の合戦から近代戦争に変えた 正面真っ向勝負の犠牲を極力避け 負ける戦はしない情報ネットワーク網を張り 強者大名とは友好関係または同盟し戦に勝てる準備が整ってから行動する 家臣を軍団か組織にして 各ブロックごとに攻略させ 政治・戦略を分担させ 大規模の戦は各軍団が集中したり同盟国より援軍の要請をしたり 臨機応変の采配を行いました 織田家が天下を取るのにあらゆる手段として 必要な事は全て行動に移す 武田家の騎馬隊には3000丁の火縄銃で応戦したり 毛利家の強大な水軍には大鉄船を7隻造らせて大勝利したり 敵国の軍事情報を踏まえて 相手より更に戦を有利に展開させ 宣教師のキリストの導入や南蛮貿易 茶人と商人との繋がりを大切にして もてなし大名同等の付き合いをしました 天下統一を前に全てが上手く行き過ぎて独裁な政になったので 家臣に裏切られてしまった



柴田勝家
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信長の家督前 弟信行の侍大将だった勝家 信長には従わない態度でいたが 国内の兄弟家督戦で敗戦 信行暗殺計画が成功して 信長の家臣となった勝家は全ての戦に参戦して体中ギズだらけの猛将 織田家の中でもトップの戦上手です 戦では鬼の柴田 部下には親父殿と慕われ 織田家の軍団長になってから北陸のブロック担当し 上杉謙信との戦では 連戦連敗で歯が立たなかったでしたが 謙信が死後 福井、石川、富山県を治め 上杉軍を抑えてました

信長の妹「お市」 婚約して北の庄城を構え 前田利家・佐々成政を部下に北陸ブロックの政治を行い 民による一揆も鎮め その功績で 大名と肩を並べる地位になりました

信長死後 秀吉との対立で 賤ヶ岳の戦いで敗北し 北の庄城で無念の最後をとげました 


羽柴秀吉

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秀吉は信長に仕えて 自分から進んで 兵士に掛かる食料帳簿を一年間任されて 無駄を明確に算出し食料を調達のコストを抑え その功績が認められて 石垣奉行に抜擢され 期限と工事金額を信長に託され石垣組み作用員をグループにして 早く積んだ組みが 賞金獲得できる 遊び半分なルールを決め その結果 一番早く石垣組み作業が終了して信長から「お前は天才だ」と褒美を頂き 相当気に入られた

美濃攻めで 勝家が砦を構築する計画をしては 無残に斎藤家の攻撃により どの策も通用しなく 信長も焦り 「誰が良い案があるか」と言った時に 秀吉が墨俣に砦を構築しますと提案 誰もが反対した中 信長は「おもしろい」と言って はて 秀吉に「何を用意すればいい」と 訪ねたら 部下20人もいればできます 有言実行の秀吉は野武士の蜂須賀小六に頼み山林の木を切って川に流す事をお願いし

墨俣の砦に流れ着いた木を組立 1日で砦が完成し 驚いた斎藤家の武士が退散したようです

美濃城を落とす計画も 秀吉が裏で 斎藤家の軍師 竹中半兵衛を隠密に味方にして たった数十人で陥落 近江を治めた時に今の彦根城を 城持ち城主に大出世 農民から城持ち大名になった人物は秀吉のみ 毛利中国攻め遠征も竹中半兵衛・黒田孝高の両軍師が秀吉の部下だったので 戦も連戦連勝 破竹の勢いで軍略と謀略を駆使し 自軍の兵を無駄死にさせない戦 水攻めだったり奇策 相手が降参したら相手を活かす戦争し誰もが それに降参したようです

本能寺の変が起きて 黒田が提案「殿が天下を収める時が来ました」と進言 本人は謀反に信じられない状況でしたけど「中国大返し」高松(岡山)~山崎(京都)175Kmを六日間で 全ての軍資金を兵士に投げ捨て強行軍行い 弔い合戦「山崎の戦い」で明智軍を征伐しました

それからは 長くなりますなで またでーす 歴史の本を読んで記事にしてるので ほとんど仮想ってこどで では おやすみなさい (誤字またあとで ゆっくり直します)

記事してたら戦国無双や信長の野望やりたくなちゃったあせる