全日本実業団駅伝・ニューイヤー駅伝、箱根駅伝と人気のビッグ駅伝が終わった。ニューイヤー駅伝を走ってからもう半世紀以上経つ。当時は伊勢神宮内宮をスタートし、賢島を折り返すコースでラジオ放送であった。私の所属したチームは雪国であり、当時は豪雪のためほとんどスピードを出して走れない状況から、会社が昼休みに少しでもスピード練習ができるように社内の消雪パイプをフル活動して、びしょびしょのコースながら30分間程度スピードを 上げて走れた。予選の駅伝で10km29分00秒の区間新(下りで本当に10kmあったのかな。)で走れていたため1区に起用され、宗さん(旭化成)、武富君(神戸製鋼)、西さん(井筒屋)、伊藤君(鐘紡)らと走った。1区は16.25kmで、こちらは10kmで振り落とされ、その後はペースが落ちる一方の中、トップレベル選手は後半どんどんペースが上がる。やはり後半速く走れないと太刀打ちできないことを学び、先輩にタスキを渡したことが思い出される。
最近のマラソンは世界記録でも「ネガティブスプリット」が理想とされている。トップ選手や市民ランナーにも推奨されており、私たちの時代と逆になった。
私たちの時代は、大東文化大学が箱根駅伝で連勝した時、中山竹通選手(ダイエー)が福岡国際マラソンで優勝した時、前半をガンガン行き、後半は粘るだけ粘り失速を抑える走りが理想とされていた。(これを今では「ポジティブスプリット」と呼ぶ)。高校時代から前半からオーバーペース気味でガンガン行って勝てていたため、実業団に入ってからもこの走り方は変わらなかった。ある大会でメキシコオリンピック銀メダリストの君原健二(新日鉄)さんにマラソンを勧められ、ボストンマラソンに派遣され走ったが、やはり前半から調子に乗ってガンガン行き、後半大失速の不甲斐ないレース。早い時期に今のような「ネガティブスプリット走法」を体が覚えてくれていたらもう少しマラソンで良い成績が残せたかなあと思う。
やはり10kmやハーフマラソンと42.195kmのマラソンとは別物であると思う。