ものすごく久しぶりの日記


つい最近まで、この日記ブログの存在を忘れていた


というのも、きっと書こうと決定的に思える内容がなかったからかもしれない


ちょいちょい書いてアウトプットしたいな〜と思うことがあったような気がするし、モヤモヤするようなことがなかったわけではないのだが、どうしても書きたい!!


何が何でも書きたい!!


と思えるような情熱的な感情までは湧いてこなかったのだ




子どもが病気になり、その看病と幼稚園の休み、午前保育などで忙しく、日記に向き合う時間が取れなかったというのもある


今も下の子は熱がある



こんな時に限ってかかりつけの病院は休診日


さて、どうするか



お姉ちゃんを幼稚園に迎えに行ったあといつもとは違う病院に連れて行くしかないかな






子どもが病気になると子育て支援広場に行くことが出来ない


人と交流したいなあ


誰かと喋りたいなあ


そう思うときは子育て支援広場に行っていたけれど、そこに行けない日が続くと孤独感や寂しさを感じてしまう


喋るのがほぼ上のお姉ちゃんと旦那だけという具合になってしまう



それでも、誰とも喋らないよりは全然いいのだけれど


でも、4歳の子との会話は大人と話すのとは違ってまだキャッチボールが上手くいかないし、わがままや癇癪を起こしてイライラさせられることも多々ある


旦那も仕事からの帰りが遅く、会話をするのはほんの少しだけ…



やはり、もっと気持ちの通いあった会話や、同じような関心ごとの人たちと話したい


そう思う



子どもが病気の時に不謹慎だとは思いながらも、そのようなことを思ってしまう


母だとしても、一人の人間なのだ





そうだ、話は変わるけれど、この間図書館である本を借りた


『毒親サバイバル』というタイトルの本


この本には何人かの登場人物の独親体験談が載っている


一人一人体験した内容は違うのだが、私も毒親育ちの一人として、この本にひどく共感した


世間から見ると明らかな虐待とかいう訳ではなくても、心ないひどい態度や言葉により心に深い闇と傷を残してしまう毒親、毒家族たち


そのせいで認知が歪んでしまったり人格に異常をきたしたり人生につまづいてしまうようになってしまったとしても、その責任はその子ども本人が取らないと行けなくなってしまうところが怖い


例え親や家族のせいでひどい人生になってしまったとしても、自分の力で立ち直らなければならないのだ


家庭という狭く閉ざされた世界の中ではおかしなことも「普通」と思わされてしまう


子ども自身も親や家族に養って貰わなければ生きて行けないので簡単には抜け出せないし関係を断ち切ることも出来ない


いわゆる『親ガチャ』は実際にあると思っている


そんなもののせいにするなと言われるかもしれないが、それは幸せな家庭に生まれた人が言う言葉


体験したことがなければこのような思いや辛さはわからないと思う



さて、色々書いたが、私自身もこのような毒親と呼ばれる人にならないように気をつけないと行けない


普通の親と毒親は紙一重なところがあると思うからだ


少し気を抜くと私もあなたも、なりたくない毒親になってしまうかもしれない