昨日は、娘の友達とその父親と我が家で遊んだ
娘たちはとっても仲良しだ
しかし、その親同士はというと会話はするもののそこまで仲良く会話が弾むというわけではない
少し気まずい時間もあるけれど…
でも一緒に遊ぼうと誘える相手であって向こうからも誘ってくれるのは嬉しい
昨日はランチも一緒にして、その後も公園遊びをした
そういうのが嬉しかった
それはいいのだけれど、公園に元の保育園の時の親子数人も来ていた
その人たちは以前から仲良しでとても楽しそうに話している
その姿を見ると胸がキューっと締め付けられるような感覚になった
私たちがその保育園にいた頃からの感覚だ
なぜそうした感覚になってしまうのかというと、私もその輪に入りたいのだが、見えない壁のようなものを感じて入れないからだ
自分より年上の人たちに敬語を使って気を使ってしまう自分
方や年齢に関係なく親しげに会話をし気さくに話せる人たち
自分から話しかけてみたり努力してみたことは何度となくあるけれど…その壁を越えることはできなかった
保育園に迎えに行ったときも、他の人たちは親しげに話をしていて、自分はその中に入れなかったりしてとてもモヤモヤした気持ちになることは多々あった
どうしたらそんな風にわちゃわちゃ楽しそうに話せるのか、話す内容があるのか
不思議で堪らなかった
この感覚、思い返してみると子供の頃から抱いていた感覚だ
小学校、中学校、高校 いつの時代も感じていた
『何をそんなに話すことがあるの?』
『何がそんなに面白いの?』
全く分からなかった
私は、自分の興味のある対象にしか『面白い』『楽しい』と思わない傾向がある
その対象はごく狭い範囲のものであるし、大抵は大部分の人が興味を持つ対象とはだいぶズレていたりする
年相応ではなかったりする
だからいつの間にか集団の中では浮いた存在になってしまう
自分と合う人が見つからずに、いつの間にか一人で、でも一人は寂しいし怖いしイヤだから必死に誰かと仲良くなろうとする
しかし、ムリをしているからだろうか…
上手くいかないで関係がギクシャクしたり、酷い時には避けれれたり仲間外れにされたりしてしまった
ムリをしなくても一人、ムリをして周りに合わせても一人…
惨めでもイヤでも学校に通わなければならないのが辛かった
不登校になれば、将来困るということがわかっていたし、姉がすでに不登校だったので同じになっては母に心配をかけすぎてしまうのでできなかった
それに、不登校の姉と同じになりたくはなかった
辛かった
我慢して学校に通い続ける他方法がなかった
そんな学生時代に比べれば、大人の方が自由がある
やりたいことができるし、職場も保育園も、変わろうと思えば変えることができる
人といるのが苦手ならムリに人と群れたり連まなくてもいい
学生の時よりは生きやすくなったとはいえ、やはり人とのコミュニケーションの面では生きづらさは感じやすい
人生に迷いやすい
ついこの間まではそんな自分をどうにかしたいと思っていたけれど、自分がHSS型HSP気質ということを自覚してからは、仕方ないなと思えるようになった
私にはできない所業だ
仕方がない
人と仲良くわいわいすることは憧れだけれど、どうやら自分には向いていないようなので
以前の保育園にまだ未練があるといえばそうだし、公園でその保育園つながりのママさんたちが楽しそうに話しているのをみたらモヤっとする気持ちはどうしても出てきてしまう
以前の保育園はコミュニケーションが得意で人と話したり共同で何かをするのが好きな人たちが多かった
そこにコミュニケーションが不得意な私が入ったところで会話が合わなかったり変な空気になるのは当然かもしれない
それと、仕事で忙しいのに『係』をやらなければいけないことや、時間に余裕のある保護者が多くその人たちを羨ましく感じてしまっていたこと、時間のある人と時間に余裕のない人区別なく係をやらなければいけなかったこと、教育面でも満足していなかったことなどもあった
なので、結局は私にはその保育園は向いていなかった
という風に今は結論付けている
(合理的解釈かもしれないが)
仕方ない
私はマイノリティだから、マジョリティとは何かが違うのである
マジョリティの人たちのようには到底できない
しかし、このような私には、自分のやりたいことや納得できたことに対しては没頭して、とてつもない集中力を発揮したりするという特技があるのだ
人と関わることが多い場面では弱いが、一人で集中して行えることには強い
向き不向きだ
自分の良い面を活かしていくようにしよう
そして、1組でも気軽に誘いあえる親子がいるのだから、そのことに感謝をしよう
一緒に公園遊びに付き合ってくれるパパにも感謝しよう