孫たちの家から我が家までは、団地内ですが4~5百メートルの距離です。
しかし10月には6歳になる貫太郎君はまだ一人でバアチャン家まで来れません。
先日はお母さんから、「兄弟二人だけで行かすので、そっと見ててやって!」と、電話がありました。
物陰に隠れて見ていると、弟の瑛作君を連れて二人だけでやって来ましたが、心なしか緊張気味です。
それでもお兄ちゃんは必死にがばっている風でした。

瑛ちゃんは坊主頭に大きな傷跡があって、少々人相が悪っぽくなりました。(笑)
孫たちのビビり性は先天的なもので、多分にジイジの遺伝ではないかと思います。
ジイジも小さい頃からビビり性で、中学1年生の時には担任の趣味で生徒会長に立候補させられた時は、
突然泣き出してしまいクラスメイトを驚かせてしまったことがありました。
母親には「当選してもいないのに!」と言われましたが、小さい時からとにかく心配性でビビり屋さんでした。
そんなビビり屋さんがサラリーマン時代に総務部長を仰せつかった時期がありました。
実はそのポストは志願したのですが、意に反して実に様々な試練をこの時に経験する事になりました。
火災や労働災害、リストラ、地域社会とのトラブル、裏社会や官僚とのつき合い、阪神大地震、ありとあらゆる事が次から次に起きました。
立場上それらに必死に対応するなかで、気が付けばいつの間にか多少のことでは驚かない自分が出来ていました。
持って生まれたビビり屋は直りませんが、幾多の経験がまるで鎧のように自分を守ってきました。
ビビり性の孫たちも、これからいろいろな経験を通じて、成長していって欲しいと思います。