いま行っている小学校の近くで、発掘調査が行われています。

立て看板によると平安時代の比較的大きな建物跡が出てきたそうです。
もとは田んぼで、平安時代に大きな建物があったとは思えない場所です。
しかしよく考えると、近くには平安時代に水無瀬離宮という天皇の別荘があったし、
この場所は西国街道という古くから拓けた街道沿いですから、昔大きな建物があってもおかしくはないですね。
西国街道というのは京都と西宮を結ぶ街道で、大阪を経ないで京都と中国・九州を結ぶ街道として歴史のいろんな場面にでてきます。
楠木正成親子の「桜井の別れ」の舞台もこの近くですし、
戦国時代には羽柴秀吉の「中国大返し」の軍勢もこの街道を、天王山の戦いへと突っ走っって行きました。
「発掘」というのには小さい頃から大変興味があり、一度ボランティアでもやってみたいと思っています。
しかし意外に肉体労働だと言われますので、ちょっと躊躇しています。