地元の水無瀬川の瀬音が、春の訪れとともにずいぶん優しくなったように感じます

「水温む」というのは春の代表的な季語ですが、今日はそれを肌で感じました。

会社を退職してから変わったことの一つに、「季節のうつろい」を意識するようにな
った事があります。
はずかし話ですがこの年になるまで、「季節のうつろい」に意識が行くことはなく、
今日は「暑いな」、「寒いな」、「春やな」というだけで止まっていた様に思います。
私達は「団塊」と称された世代で、学校時代は「競争に負けたらあかん!」、
会社時代は「会社がすべて!」という時代を生きてきましたから、
ひたすら脇見をしないで、前だけをみて走ってきた人生だったように思います。
それが、上司も部下もいず、一切の強制的なことがなくなったいま、
ようやく季節のうつろいを感じられる心の余裕が出来たように思います。
私には企業戦士として先に逝った愛すべき同僚がたくさんいますが、
あの世でこんな話をしたら、また「おまえは・・」と笑われるかもしれません。