2022年❗️
新年を機に、色々と着せ替え〜
というか 立て直し〜を実行中です![]()
早速こちら💁♀️⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎
〜2月から❗️〜
火曜のサルサクラスは
隔週で違うスタイルの
サルサレッスン
を
スタートします❤️
毎週火曜に銀座の穴場✨なラテンバー
ラス・リサスでサルサのレッスンをさせていただいてますが
2022年2月から
第1・3(火)はキューバンサルサ
第2・4(火)はサルサOn1
のレッスンになります❗️
初心者の方大歓迎です😆 ウェルカムです😆
以前はサルサon1のレッスンはしておりましたが、しばらくは、教えるのはキューバンサルサのみになっていましたので
On1復活レッスン❗️と言うことになります![]()
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昔、サルサの踊り場で、組んだお相手とうまく踊
れずに悔しい、悲しい思いをした経験がきっかけで
"どんな人とでも楽しくサルサを踊りたい!"と始めたサルサ💃🕺
少しでも、サルサソーシャル(社交場・踊り場)で
ペアダンスならではの、楽しい化学反応〜❗️を
好きになる人が増えたら嬉しいし、楽しい❗️
そんな思いで スタイルの違うサルサレッスンを始めることに致しました❗️
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ペアダンスのレッスンをしてるのは
ここだけです😁
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すぐに人もたくさん集まって賑って、満員御礼!
とまでは、いかないかもしれませんが
ゆっくりとラス・リサスの火曜を盛り上げていきたいと思っています。
レッスン後のダンスタイムにも是非!遊びに来てください♪
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そして
2つのサルサ・スタイルは何が違うの〜??
と言うところですが、まず圧倒的に違うのが、
キューバンサルサはペアを組む2人が円を描きながら踊っていくということ
※元々キューバではアメリカ統治下の頃に、出来た会員制のカジノクラブで、ペア同士が皆んなで輪になり、踊られたスタイル"Rueda de Casino"(Ruedaは車輪という意味)が、キューバ革命後の1959年頃に民衆化し、ストリートで踊られたりして広まったスタイル。
サルサon1(昔はよくLAスタイルと言われてましたが)はペアが線上(リニア)を踊っていくということ。
サルサの音楽が確立してきたのは1970年代ごろ。音楽とダンスの広がり方はそれぞれ、少し違う広がり方。
West Coast Swingやハッスルなどのスピーディーでダイナミックなダンスが西海岸で特に流行った影響でSalsa on1も似たようなステップの踏み出した方なので、のちにLAスタイルと呼ばれたのもあると思います。
一方
NYのPalladiumというダンスクラブで、
(当時の音源は"バンドの生演奏)
JazzやJiveなどのブラックミュージックで踊る黒人と、MamboやChaChaChaなどのラテンミュージックで踊るラテン人達が、同じ場所でお互いの踊りを見て、そしてそれを見たバンドメンバーもインスピレーションを受け、サルサの踊りも確立していった。最初のころは、どこでステップを踏みかえるかなんて、みんなバラバラ自由、好き勝手だったそうです
1曲の中でもon1になったりon2、はたまたまon3だったり。。(合わせるのが大変
※情報の一部は音楽ライターの伊藤 嘉章 (Yoshiaki Mofongo Ito)さんのサルサと音楽の歴史のセミナー内容より引用させていただきました。とても勉強になる素晴らしい内容です★
その中で、コンガ(太鼓)のトゥンバオというリズムパターンに合わせてサルサを踊り始めたのがきっかけで、NY On2(裏拍子でリズムを取る)のサルサのメソッドを作り上げたのがEddie Torres.
※でも、サルサの音楽が成り立つまでは、忘れては決してならない15世紀のコロンブスがキューバを見つけて、アフリカ(主に西アフリカのコンゴ、アンゴラ、ナイジェリア)から奴隷として人を連れてきたことから始まります。
アフリカの人達は、入植者によりカトリックに改宗させられるという流れがあり、そこでアフリカ宗教とカトリックが融合した”サンテリア”という宗教が生まれた。
※サンテリアにはヨルバという踊りがある。
1970年代頃にアメリカとメキシコから振付師を呼んでヨルバの基本の踊りが作られたとの事(こちらはダーリン・Saekoさんによる講義で教えていただいたものを引用させていただきました。ありがとうございます)
その当時キューバで生まれた音楽、ダンスもヨーロッパ文化と混ざり合い、
メキシコなどの南米、ヨーロッパ、NYへと。。やがて世界へと広がる。
その頃のNYでは。。。
キューバで生まれたソン(サルサの母と言われている)ルンバ,マンボ、チャチャチャ
がNYでプエルトリコの民族音楽ボンバ、プレーナ、ジャズ、R&B、ロック、ブガルー、HIPHOP、ハウス、チャランガ、
等と混ざり合いできあがっていった。
※サルサはストリートダンス・ミュージックと密接な関係があります。
1959年のキューバ革命後は、キューバとアメリカの国交が途絶えた為、以前のようにミュージシャン達は、キューバとアメリカを行き来できなくなり、情報もはいってきにくくなった為、
それぞれの国で、独自の音楽文化が生まれていったのも、重要なポイント💡
その歴史背景には、人々の血が流れていたし、魂からの喜怒哀楽、社会情勢が全て複雑に絡み合っているという事。。
ここでは全てを書ききれないほど、奥深いレイヤーでここまで歴史を刻んでいます。
かなぁ〜り割愛しましたが(笑)読んでくださり、ありがとうございます!
感謝❤️感謝!
Muchas Gracias!!!!!!
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