2023年 11月5日

 


 

 

昆虫の画像を掲載しています苦手な方はご注意ください

 

 

日々の忙しさに身を流され、写真を撮ったことなど忘れていた。
 

毎朝蛹が視界に入るたびに「あ」と思いつつも車のエンジンを走らせる。

 

昼休みにでもあいつの正体を調べよう。

 

しかし、昼を迎える頃には蛹はおろか昨日のことなどまるっと忘れて

 

自分のスマホは上着の内ポケットに入れたまま一度も取り出すことはなかった。

 

帰路に着く車の中で、その日会社であったことが走馬灯のように巡り、ため息が出る。

 

食事を摂ることも、やり切りたい自分の為のタスクも、持ち合わせるわずかな良心も、何もかも犠牲にした。

 

そうやって、己を少しづつ蔑ろにし続けると精神の磨耗と共に人間としての機能も擦り切れていくようで

 

昼食を取り損ねたにもかかわらず、腹の虫が鳴る気配は全くなかった。

 

自室につくや否や、今日仕事であった嫌なことも全て放り出すようにベッドへ身を投げる。

 
大きく息を吸って吐いたと同時に、その場に泥のように染み込み離れられなくなる。
 
いつの間に眠ったのか、ふと目をあけると遮光カーテンが外の白い光を受け止めてぼんやりと四角いシルエットを浮き上がらせており
 
朦朧とする意識の中、朝になったんだと気づく。
 
こうした具合に怒涛の日々を過ごし、あれから2日が経っていた。
 
 
 
疲労の皺寄せは全て休日に回ってくる事となり、今日も当たり前のように昼過ぎに目を覚ました。
 
スマホを見やると、聞こえなかったアラームの通知が何件も画面のポップアップに表示されている。
 
休みというだけで体の機能は勝手に回復するようで、意識がはっきりしてくると、昨日はだんまりだった腹の虫が大きく伸びをするようにゆっくりと長めに鳴った。
 
べったりとマットレスに張り付いた体を両腕を使って無理やりバリバリと剥がすように身を起こし、コーヒーマシンへ一直線に縋りついく。
 
食パンをトースターにかけ、その間にレトルトパウチのミネストローネをレンジにかける。
 
トースターのつまみが回るジーという音と電子レンジのブーンという音が重なると、無意識にスマホのロック画面を外してしまう。
 
1人の空間で改めてひとりだぞと言われている気分になり、ネットから流れ込んでくる有象無象の情報の波で気を紛らわす癖がついてしまっているのだ。
 
SNSのアイコンをタップしたところで、ようやく写真に収めた蛹のことを思い出した。
 
アプリを起動して写真をタップする。
 
相変わらずの見た目のインパクトに、写真であるにもかかわらず、あまり蛹に触れないよう画面の端の方で指を滑らせ写真をズームした。
 
なんかぼんやりしてるな。
 
こうして撮った写真をよく見返してみると、蛹ではなくその向こう側のコンクリートにピントがあっているのがわかる。
 
最近スマホを変えたはいいが、いつまでもインターフェースの仕様に慣れない。
 
特に写真機能は細かい所までしっかりと設定できるようになっていて、その分ユーザー側の知識が試されるような重厚さだった。
 

シャッター速度や露光の細かな設定までできる。写真に明るい人間にとってはそこそこの性能なのだろう。

 
操作数を極力削ぎ落としたA社のシステムデザインに飼い慣らされた身にとっては少々手に余る代物だ。
 
ぼやけてるけど調べてみるか。
 
Googleレンズは任意の写真からAIが検索対象の色や形を認識し、ネットの海から類似率の高い写真をピックアップしてくれるという仕組みらしい。
 
小学生のころ図書室で「これが強い」「いやこっちが強い」と大きく分厚い図鑑に群がり、一生懸命ページをめくっていた同級生達の後ろ姿を思い出す。
 
そんなことをしなくても一瞬で何もかもがわかる時代になった。
 
写真アプリの共有ボタンから「画像を検索」という項目をタップする。
 
求める答えの真ん中に限りなく近い情報が写真を読み込むだけで手に入る。
 
世間の正しいとする情報を集約して、答えに「適した」情報が。
 
 
 
 
どれが1番かっこいいか、せーので指さそう?
 
5人がぎゅっと身を寄せて図鑑に顔を集め、人差し指を泳がせる。
 
せーの!
 
4本の小さな指が一斉に集まったのは「コーカサスオオカブト」
 
光を反射してツヤツヤと輝く瞳達が一斉に見つめるそのカブトムシは、ページの中では一番大きく印刷され、玉虫色に光っている。
 
そして、そこから少し離れた次のページにある自分の指に視線が集まる。
 
自身の指先に集まるその瞳を見て、今の今まで5人だったのが4人と1人になったのを感じた。
 
光を反射していた瞳たちは一様に無言となっていた。
 
 
 
 
正確には無言だったのではない。読み取れなかったのだ。
 
あの時の適解はコーカサスオオカブトだった。
 
自分が指をさしたカブトムシが何だったかは思い出すことができない。
 
なんのカブトムシでもどうでもいい。
 
同じカブトムシを指さす事が適した答えだったのだ。
 
過去を反芻すると時間の経過が曖昧になる。
 
スマホには既に検索結果が表示されていた。
 
「オキクムシ?」

 

画面には、納屋の軒下にいるそいつと同じ姿の蛹の写真が何枚も画面に敷き詰められており
 
Wikipediaの蛹の項目に続き「お菊虫」というワードが候補にあがっている。
 
お菊虫で調べ直すと、どうやらそれは俗称であり、正式には「ジャコウアゲハ」というアゲハ蝶の蛹の事らしい。
 
その由来は古く言い伝えられてきた「播州皿屋敷」という怪談からくるそうだ。

 
    
 
「播州皿屋敷」のあらすじ
 
その昔、10枚1組のお皿を家宝としている御屋敷があり、そこに奉公しているお菊という女性がいた。
 
お菊はある時うっかりそのお皿を1枚割ってしまい、たいそうな折檻を受けた。
 
その後お菊は井戸に身を投げてしまうが、それからというもの
 
井戸からお皿を数える声が夜な夜な響くようになった。
 
その井戸の周りに突如大量発生した蛹の姿が、まるで柱に縛りつけられたお菊にそっくりだと言う事で
 
ジャコウアゲハの蛹はお菊虫と呼ばれるようになった。
 

 

 

 

 

「いちまーい、にまーい・・・」とお皿を数える

 

あの怪談が由来だとは驚いたが、まるで項垂れてるようにみえるのは自分だけではなかった事に少しくすりとした。

 
しかし、まさかこの蛹がアゲハ蝶の蛹だとは。
 
今度は「ジャコウアゲハ」というワードで検索ボタンをタップした。
 
ぱらぱらと画像が読み込まれていき、その出てきた画像一つ一つに息を呑む。
 
アゲハ蝶というと、黄色と黒のまだら模様に青とオレンジのアクセントが効いたド派手な蝶だが
 
検索結果に出てきた蝶は、全身に黒一色を纏い、目の覚めるような朱色を裾に咲かせ、その大きな羽に尾ひれをつけた
 
静かな絢爛さを持った美しい蝶だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
しかしその美しさの反面、蛹になる前の幼虫の姿を調べてみると
 
かなりの禍々しさに血の気がひいた。
 
全身に無数のツノが生えており、まるで毛虫と芋虫の間のような姿なのだ。
 
急に目の前に現れたら意識よりも本能が先に反応して瞬時に距離をとるだろう。
 
真っ黒な体の真ん中部分だけが白く、ちょうどその部分に生えているツノまで白い。
 
その白がツキノワグマの胸にある白い月の輪のような形に孤を描いているので
 
まるで白いスカーフを巻いているようで少し可愛らしくも見えた。
 
しかし、このツノの塊がうごめく姿を想像すると、やはり見なかったことにするだろうなと眉間にシワが寄る。
 
だけど不思議と目が離せない。
 
実際、画面をスクロールする指が止まらないのは、きっと成虫姿とのギャップに魅了されはじめているからだ。
 
この蛹のこと もっと知りたい。
 
すっかりぬるくなったトーストとスープを片手間に食べながら
 
手始めにYouTubeでジャコウアゲハと検索して出てくる動画を片っ端から再生していった。
 
気がつけば、室内を照らす光源は窓の四角い日の光から、手のひらの四角い青い光に移り変わっていた。