アメリカに渡って来て早21年。本当に早かった。此処まで来る道のりは色々な事も有りいつもの私の口癖人生山あり谷あり、来た当時は何も分からないアメリカがむしゃらに突っ走ってきた。

初めての外国人のボーイフレンド。言葉も全く通じない、英会話スクールに通っていたがそんなに早く話せる様にはならなかった。何せ33歳で、右も左も分からないまま来てしまった自分。日本ではヘアーメークの仕事でかなり忙しくテレビ局、メデイア、の仕事で忙しい思いをしていた。ひどい時は4時間の睡眠だけで頑張っていた自分。

来る時は皆に反対された。しかし、自分がゲイである事、そしてこのまま働きずくめの人生にも疑問を持っていた私。まさか本当にアメリカに来るなんて思ってもいなかった。そしてブログもまさかアメリカで書く事になるとは思わなかった。

私の人生を100%変えたのが、23年前にハワイで知り合った最初のボーイフレンドとの出逢い。
彼はドイツ人、でアメリカに永住権を持っていて33年間アメリカに住んでいる人だった。
彼は、私よりも16歳歳上。愛が有れば年の差なんて誰かが言っていたが、私も其の頃何か新しい事と、人生このまま日本で終わるのも何か疑問に思っていた。しかし、現実問題、実際言葉、カルチャーの違う人と一緒に暮らしてみて、そんな簡単な物ではなかった。
まるで父親と住んでる様な感じで何事、全て彼がコントロールする様な生活。かなりストレス、そしてコミュニケーションが取れないジレンマとの戦いだった。しかしここ迄来て後には引けないと自分に言い聞かせて来た。

私が来た当時1990年代はエイズの問題周りには沢山の感染者、次から次と亡くなって行く。私の彼氏も其の一人だった。一緒になって1年目で、彼が体の不調を訴え始め、慌てて病院で検査。
検査の結果はHIV+お互いに全身の力がなくなった。私は全く感染していなくてセーフだったが。
何をどうして良いのかもお互いにうろたえ毎日の様に泣いた。彼の病状も末期に入り死に対しても正面から向き合う様になった。
誰でも自分が死ぬ事を分かっていて、それに逆らったりするのは当たり前、しかしある日其の事実を受け止めると、なぜか覚悟を決めてしまうのが人間。
死ぬ前に全てしなければ行けない事、そして死んだ後の事もしっかり整理した。
日本にいた頃は私の母もガンんで他界したが、最後まで母には嘘をついてガンじゃないし、良くなると伝えていた、勿論死ぬ準備だとかやっておかなければ行けない事など勿論出来る訳が無い。
アメリカはハッキリ患者に宣告する。それが良いのか悪いのかは、やはりその患者にもよるのかも知れないがもしも私だったらハッキリ言われた方が良い。
それから彼の病状も急変した。凄い勢いで変貌して行く姿を見て来た。最後は本当にやせ細って大きな体も小さく感じた。一緒に住んで色々あったがそんな事も全て消えさってしまった。

初めて自分の選んだ人が目の前でなくなる悲しみは、親兄弟の死とは違ってもっと悲しみが深い様に思えた。親兄弟は自分んで選んで来た訳ではないが、自分の恋人は自分んで選んだ人。
喧嘩をしたり色々あったけどやはり一人で去って行く、そして一人残される現実はやはりきつい物があった。彼だけをたよりに外国まで来た私何か捕まっていた命綱がぷつんと切れた瞬間のようだった。

其のはまだまだ薬も無く、死ぬのを待つだけだったHIV。現在は色々な薬もあり見た感じ不通の人と変わらないポジテイブの人が多い。
もしも其の当時にこんな薬が有れば死なずに済んだと思う。しかし人間それぞれや役目が有り其の役目が済むと去って行く事も今になって分かる。

それから波瀾万丈の人生が始まり本当にジェットコースターに乗っている様な人生を此処アメリカで経験した。
細木数子の本によると私は霊合星人金星+波瀾万丈の人生らしい、まさに其の党利だと確信を持って言えるかも知れない。

新年に当たリ、此のブログで私の人生の経験に付いて書いて行こうと思う。若い人も私のブログを読んでくれている人も多くなり、今の私の役目は今までの自分の山あり谷あり人生を伝えてみたいと思う。
何か此れから辛い事や悲しい事も沢山ある人生何かの参考になればと思う。

人生はストレートの人も私の様にゲイの人も同じ線路の上を一生懸命は走っている。
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