今日は実家で最後の片付け
明日は父が仮住まいに引っ越しなので、私と姉は、朝の5時半に出発予定
起きられるかな
ちょっと疲れた
さっき、お風呂に入って、あれこれ今日のことを思い出して
ブログを書こうかな
って、実家の写真見ていたら、、涙、涙、涙、、、
ちゃっちゃと書いて寝ようと思ったけれど、寝られないや
実家は建替えで、10ヶ月後にきれいになるの
とても楽しみなの
それなのに、なぜ、私は泣いているのかというと
何かを手放すような寂しさ
誰かとバイバイしなきゃいけないようなせつなさ
そんな気持ちがこみ上げて悲しい
雪の庭を最後に見られてよかった
姉と「なつかしい光景だね」って
庭で雪だるま作ったことを思い出したよ
今日は、日が出ているうちに帰京しようね、って姉と言っていたのに
気づいたら、夜の8時
そこで、私が小さく叫んだ
「あっ!私たちのアルバムを箱詰めしていないよ!」
兄弟三人で「わ、それはたいへん!」
かなり疲れていたけれど、疲れも忘れてわいわい楽しみながら、私たちのアルバムを箱詰めしたよ
三人ともあのアルバムはかなり重要
宝物のようなものなのです
みんな40歳を過ぎた大人だけど、アルバムを箱に詰めながら子供に戻っていました
何か、、、言葉で表せない温かい「きゅん」とするようなものを胸に感じながら、、、
あのアルバム。。。
それは、私たちが赤ちゃんの頃からの写真
母が撮ってくれて、三人ひとりひとりのアルバムがそれぞれ
最初の頃はもちろんモノクロ
「お姉ちゃんのアルバムはかわいい」
「修(弟)の写真が多い」
などと、小さい頃の私は、心の中で姉と弟と比較してはがっかりしたものだけど
自分のアルバムを見ることは三人共通の楽しみだった
小さい頃は、「見てもいい?」と母に許可をもらって見ていたっけ
たぶん、片付け方が雑だと母は嫌だったのでしょうね
許可をもらわないと見られなかったってことは、そういうことだったのだと思う
今思うと、母がどんなに私たち子供を愛してくれていたか、、、って感謝だな。。。
現像した写真をアルバムに糊で貼って、写真の下に一言添えてくれていて
三人写っているものは、もちろん、三枚現像してあってね、、
庭に花が咲くと、母がカメラを出して言うの
「明美、庭で写真を撮るから」って
「ほら、笑って」って言われると、どうやって笑顔を作ればいいのかわからなかったから、
母のカメラタイムは好きじゃなかったな
今の私はこんなだから、、、(^^;;
信じられないね。。。(^^;;
わかってくれる?
私が悲しいわけを
家は生きている
私たち家族の思い出を、いっぱい、いっぱい、抱え込んで、、、
だから、、、
家とバイバイするのが悲しいんだ
そして、
年をとった私たち家族のそれぞれの生きてきた年月を考えるとせつないの
あの頃に戻りたい
子供の頃、父と母に愛されて過ごしていた小さい頃の
三人兄弟で楽しく遊んだあの日の
おじいちゃん、おばあちゃんもいて、にぎやかで明るかったあの頃
家はずっと見ていたんだ
私たち家族の年月を
だから、ありがとう
ばいばい
今日、お位牌を父の仮住まいに移動しました
私の知らない曾おじいさん、曾おばあさん、曾々おじいさん、曾々おばあさん
やさしく拭いて挨拶したよ
「明美です。違うところに引っ越しますよ。この家を建替えますので」
そして、おじいちゃん、おばあちゃん、母にも
「この家、修が建て直すんだよ。どんな家になるのかね」
私は、中学生から親元離れて東京住まいだったから、
実家は2歳~12歳までの10年間しか住まっていなかったけど
でも、一番、幸せで楽しい時期だったかもしれない
11月の父の入院と共に始まった実家の片付け
いろいろなことを学んだよ
家を壊すというのにお清めしたり、
氏神さまに挨拶に行ったり、
兄弟で力を合わせて、義理の妹と義理の兄にも助けてもらって、、、
父がいない家を皆で守ってきた
そして、家には亡くなった母の愛や思いがいっぱい詰まっていて、
母が言いたかった事、伝えたかった事、私たちが気づかなかったことを家が教えてくれた
明日、お別れだ
悲しくてせつないけれど
きちんと言ってくるよ
ありがとうございましたって
私の家には神様が住んでいたと思います
守ってくださって、ありがとうございました