Akemingママ22歳、りょーた1歳の頃、箱根にて
りょーたが持っている赤いクマのぬいぐるみは彼の親友のやんやん
【 ママのぬいぐるみ by 鈴乃 】
1986年3月27日。
待望のベイビーと対面。
予定日の夜中に破水して入院。
翌日、安産で男の子のベイビーが生まれた。
依存心の強い私なのだけど、不思議なことに、一人で産みたいと思った。
一也は、もともと、立会い出産を望まなかったのだが、私は、彼に陣痛室にも来てほしくなかった。
夫に陣痛時にマッサージの指導をしている病院もあるが、私は、一人で陣痛を乗り越え、一人で産むと決めていた。
これは、私の仕事だから、と思っていた。
若干21歳の甘えっ子の鈴乃が、そう決めていた。
まるで、鈴乃が生まれるときからの約束のように。
なので、子宮が伸縮するたびに痛がる私の側で心配そうに付き添ってくれていた一也を家に帰し、私は、一人で「ヒッヒッフー」という陣痛の痛みを堪える呼吸法を繰り返した。
そして、とうとう、ベイビーは私の子宮を離れ、私の下にまたやってきた。
そう、またやってきたのだ。
私は分娩室のベッドに横たわりながら、生まれたばかりの私のベイビーを目の前に、涙が止まらなかった。
出産の感動と、ベイビーの出会いの感激だけではなく、言葉で表せない何かが私の芯に響いて、滝のように涙がこぼれていた。
ベイビー、あなたは、世界で一番の宝物。
もし、仮に、ベイビーを産んだ瞬間、自分に死が訪れても・・・
新しい命をこの世に誕生させた母は、その使命を全うした満足感で、幸せいっぱいに天国に旅立つのだろう。
この「もし、仮に」は、出産という大役を終えたばかりの母親ならば、きっと皆が納得するだろう。
生まれたばかりのベイビーは、人間の子供とは思えなかった。
産毛のついた小さなからだから光を放っていて、羽のない天使のようだった。
家族に愛を与える小さなエンジェル。
その無垢な、純粋で小さな存在が与える力は、計り知れないものがあると思った。
「麻布さん、安産でしたね。妊娠中にスイミングなど、何か運動されていましたか?」
と、担当の医者が、分娩台に横たわる私に聞いた。
「いいえ、何もしていません」
と答えると、医者は、ほほぅ、という顔をしてカルテになにやら書き込んでいた。
この病院は、高齢出産の妊婦の通院率が高いと言われている。
それなので、21歳の出産は、院内ではめずらしかったのかもしれない。
その、まだ学生のような鈴乃が、産んですぐに誓ったことがあった。
「この小さな愛しい天使は、一生、私が守るわ」
このときは、気づかなかったが、後々、私は気づくのである。
すべて、何か見えない力に導かれていたことを。
私は、ベイビーを身篭った時、何の迷いもなく産むと決めていたし、産んだ時も、この時がくることをわかっていたかのようなスムーズな流れの中に自分がいた。
私が21歳でベイビーを産むことには意味があったのだ。
そして、私とベイビーが一体となって過ごしたこの十月十日の間に、見えない絆のようなものがしっかりと出来上がっていた。
私は、21年間の人生で、一番の大役を果たしたような気分だった。
今までの一番は、鈴乃のママを喜ばせた数々の受験合格だった。
ママを喜ばせることが、私にとっての重大な任務だったが、ここで出産が一躍トップに躍り出た。
分娩室から看護師さんに車椅子を押してもらい、病室に向かいう私は、金粉の舞う赤い絨毯の上を歩いているような気分だった。
さあ、ベイビーが誕生してから、鈴乃のママはたいへん。
出産が無事済んだことを一也から伝えられると、すぐさま、夜中に病院に電話を入れ、母子の状態を確かめた。
病院側が、生まれた鈴乃のベイビーを、女の子と間違えてママに伝えたものだから、後がたいへんだった。
お見舞いに来て、ベイビーが男の子と知った時のママったら・・・
私の知らないところで、病院にガンガンクレームをつけたらしいから、さすが鈴乃のママといった感じ。
ママは、私の母乳が出なくて痩せていくベイビーよりも、鈴乃を心配してばかりだった。
鈴乃のベイビーよりも、ママのベイビーだった鈴乃が心配でしょうがなかったみたいだ。
鈴乃のママはそういう人だった。
ベイビーは、小さくて愛しい存在だけど、ママにとっては、鈴乃の産んだ、ただかわいい小さな存在にすぎなかった。
一也の血が半分流れているベイビーよりも、純粋に自分の血だけが流れている鈴乃をものすごく愛していた。
ママにとっては、鈴乃はまだ、自分の手の中にいる、我が血を分けた大切な子という感覚だったのだろう。
そんなママをわかっていながらも、「意外だわ」と感じていた私だった。
それは、私は、3人兄弟の真ん中で、どちらかというと放っておかれて、姉や弟ほど親から愛情を得られず育ったという感があったからだ。
一番上の姉は、最初の子ということで、大切に育てられた。
次は、跡継ぎの男の子を望んでいたらしいが、生まれてきたのは、期待を裏切り、鈴乃という女の子。
そして、鈴乃の生まれた3年後に、待望の男の子が誕生。
そんなわけで、私は、3人兄弟の中で、ママの愛情をさほど得られず育ったと感じていたが、、
結婚が決まってからというもの、ママの愛情がひしひしと伝わり、私は、まるでママを独り占めできたかのようで、とてもうれしかった。
ママは、ママなりに、鈴乃を手放す儀式をしていたのだろう。
そうして、ママの愛情をやっと感じられるようになったときに、私に変化がおとずれたのだ。
「ママ、結婚をして、子供を産んで、やっと親の有り難味がわかったわ」
いつもママに認められたいと思いながらも、突っ張って生きてきた鈴乃だが、お見舞いに来たママに、そういう台詞が恥ずかしげもなくポンポン出てきたのだ。
ベイビーを産んだ時点で、私は、「ママの鈴乃」から卒業したということなのだろう。
「ママ、今まで、鈴乃はパパとママに迷惑をかけたり、いろいろとごめんなさい。心から反省しているわ」
と私が言うと、「鈴乃、そうなのね・・・」とママは、感激して涙ぐみつつも
「じゃあ、どんなことを反省しているの?それから、ママのどんなところが有難かった?」と突っ込んで聞くところが、また鈴乃のママらしかった。
こうして、21歳の鈴乃は、ママのもとから翼をもって旅立とつところまでやってきた。
さあ、これからは、ベイビーという小さなヒナ鳥を育てる鈴乃ママとなるのだ。
今まで自分を守ってくれていたママから卒業すると共に、今度は、自分がママとなるのだ。
ベイビーが私の下を飛び立つまで、何を持って育てればいいのか。
私は、ヒナ鳥に口移しでエサを与える親鳥を想像した。
それは、エサではなく、愛情なんだ、と思った。
誰に習ったわけでもないが、体中に溢れる不思議な感覚・・・これを注げばいいんだと思った。
鳥だって、誰に教わったわけでもないけれど、巣を守り、ヒナのためにエサを採りに行き、自分のことよりもヒナ鳥を大切に育てる。
私も同じような気持ちだった。
ベイビーが生まれてから、いえ、子宮に身篭ってから、自分の中に生まれた不思議な感覚。
これは、新しい愛の形だった。
親から愛された時に感じたのと違うもの、そして、男の人から愛された時に感じたのとも違うもの。
ママとしての本質イコール母性による愛なのだった。
マタニティブルーが起こる理由が理解できる。
こんなに母親としての自覚や母性愛が溢れ出すんですもの。
何と言い表してよいのか・・・とにかく、溢れ出てくるものがすごすぎて、今までの自分に追いつかないといったところだろうか。
私は、からだに満ちている不思議な感覚を感じながら、昨日のことを思い出していた。
昨日、葵がお見舞いにやってきた。
同行者は、ついこの前まで、私が葵とペアで遊びに行く時、つきあってくれていた、大手デパートに勤務の佐野君。
佐野君とは、よく踊りに行ったし、ハワイに行った時も、仲間とハワイに来ていた彼と合流してノースショアにドライブも行った。
一緒に遊んでいた鈴乃なのに、あれよあれよという間に家庭に入り、子供まで持ってしまったので、佐野君、きっと驚いただろうな。
彼は、産科病院には似つかわしくない遊び人といった風貌で、葵とやってきた。
「出産、おめでとう!」
ハワイから帰ってきたばかりの葵は、日焼けした顔に、ラメの入ったホワイトピンクの唇がきらきらしていた。
「ハワイの写真、持ってきたわよ」
と、葵は、カメラ屋で現像した時にもらえる小さなアルバムを数冊私に差し出した。
「わぁ、見せて。葵とは、去年の今頃、一緒にハワイに行ったのよね。なつかしいわ」
ビーチでの写真が主だった。
「あ、ここ、葵と行ったね」
と言いながら、私は写真を見ていたが、だんだん寂しい気持ちになってしまった。
何だか、自分だけ取り残されたような気がしてしまったのだ。
ハワイは短大生の頃、短期留学した地で、とても気に入っていた。
しばらく行くことはないだろうな、と思うと、葵の写真を見ていても、うらやましく思うだけで、少しも楽しくなかった。
葵が、佐野君と就職活動の話をし始めると、ますます寂しくなってしまった。
話題に入れず、顔色をワントーンおとしてしまったその時、ベイビーが泣き出した。
「わ、わ・・どうしよう、なんだろう。さっきおっぱいあげたばかりなのに。おむつかしら」
私は、慣れない手つきで、ベイビーのおむつを換え、泣き止むまでぎこちなく抱いた。
「すごいね、鈴乃。すっかりママじゃない」
葵にそう言われて、私は笑みをたたえた。
そうだよね、ママなんだもん・・・
鈴乃は、もう学生でもないし、お気楽OLでもない、ベイビーのママなんだ。
ハワイに行けなくても、遊びに行けなくても、ベイビーがいるんだから、それで幸せ、なんて、無理に思い込む私だった。
でも、本当よ。
私は、このベイビーを一生守るって決めたのだから。
それが、私の使命なんだもの。
しかし、葵たちが帰った後、ベイビーと二人の病室で、恐ろしいほどの焦燥感が私を襲った。
私に入りきらないほどの母性という感情が、この若い私にいきなりなみなみと注がれ、溺れそうになる中、葵は、ワンレングスの髪をなびかせ、流行のデザイナーズブランドの洋服に身を包み、ヒールの高い靴で遠くに去っていってしまった。
待って・・・葵・・・前は私だって葵と一緒だったでしょ。
置いていかないで・・・
この焦る気持ちは、自分ではどうにも抑えることができず、私は、ただ、ぬいぐるみのようなベイビーを抱き、
ベイビーの愛しいにおいを感じることで、止め処なく流れてくる苦しい感情を抑えるのに必死だった。
そして、その感情が溢れ出ないよう我慢しながら、また別のものが黒い雨雲のようにモクモクと私の心を占め始めた。
それは、鈴乃のママに対する依存心から自分を解き放たなくてはいけない、という命令のようなものだった。
(パパはパパで大切な存在だけど、鈴乃にとって、ママは超がつく特別だった)
自分が母親になったことで、独立した気持ちになっていたが、「そうしなくてはいけない」という義務感のようなものが、自分をぐるぐる巻きにして苦しめていた。
私は、ママから巣立ったつもりでいたが、卒業できていなかったのだ。
そう簡単にはいくまい・・・
なにしろ、ついこの前までパパとママの下で生活していた大学生の鈴乃だったのだから。
おなかが大きくなる8ヶ月前までは、合コンに行ったり、夜遊びで羽目を外してママに怒られたりしていた私だ。
ベイビーが私のおなかに登場してから、いきなり、人生がすごいスピードで変わり出し、自分の精神状態の変化は目まぐるしいほどの速さで動いていた。
医者であるパパのおかげで、何不自由なく育ち、ママの束縛によって、ある意味箱入り娘だった私だ。
高校生の時、車好きなBFに「鈴乃の親父って何の車に乗ってるの?」
と聞かれて、家の車庫に収めてあった車のスペルをメモし、BFに見せたら驚かれたことがある。
私は車に興味がなかったので、車種も何もわかったものではなかったので、書き写したドイツ語のメモをそのまま見せた。
ベンツ、BMW、ポルシェ、そして、往診用の国産車、古くなってもパパのこだわりがあって売らなかったゴールドカラーのリンカーンコンチネンタル。
私は、結婚するまでこんな家の家族に守られて育った。
大切に守られて育った私が、急に親離れするには、マタニティブルーどころか、それ以上の心の動揺がかなりあった。
一也という愛しの夫がいたが、やはり、長年、守ってくれた偉大なる親の愛情と比べると、一也からは、別の愛情しか得ることはできなかった。
そのどんよりとした何だかわからない苦しい思いからくる焦りから逃れるがごとく、私は、ベイビーに愛を注いだ。
だって、そうするしか術がなかったのだもの。
そうそう、ベイビーの名前。
愛しのベイビーは麻布祐太。
祐太は私にとって、小さい子が肌身離さず持つぬいぐるみやタオルのような存在だった。
もちろん、そんなこと気づいていない鈴乃だったけれど。
【 ママのぬいぐるみ by ゆーたん 】
ママ、ありがとう。
心から感謝してます。
ママががんばって陣痛の痛みに堪えて産んでくれたから、僕は、願い叶ってからだを持ってこの世に誕生したんだもの。
いろいろな人が存在するこの世の中だから、産むことに不安や恐怖心を持ってお産に臨む母親たちもたくさんいるんだ。
でも、ママは何の不安もなく、ボクを産んでくれたね。
胎児とはいえ、母親の不安を敏感に感じ取るわけだから、ママがボクを産むのを決まっていた運命として当然のように産んでくれてボクはうれしかったよ。
お産は、ボクとママの共同作業だよね。
出産って、ママだけの仕事じゃないんだ。
ママもがんばったけれど、もちろん、ボク自身もママの子宮から出るために、がんばったよ。
ママが陣痛で苦しんでいる時、ボクも耐えていたんだ。
だって、ママが痛みで苦しむと、ボクに酸素が届かなくなるんだもの。
ママが看護師さんと一緒にヒッヒッフーという呼吸法をすると、ボクにも酸素が届いて、助かったよ。
ママにエールを送るほど、ボクには余裕がなかったけれど、ボクも新しい世界に飛び立つというひとつの目標を成し遂げるため細い産道をぬけて産声を上げた。
人間の誕生は、本当に神秘的だ。
ベイビーが母親の子宮から外に出るタイミングや産道を通る時に回旋することを、一体誰がベイビーに教えたのだろう?
(生まれてきたボク自身もまったくわからない)
本能行動という言葉で片付けられない、人間の知恵では推し量れない複雑な何かがあるんだと思う。
そうして、母親も胎児もお互いがんばったから、ひとつの命が、こうしてこの世に誕生したんだ。
その共同作業は、ボクとママに強い絆が生まれていたから、うまくいったんだと思う。
初産のママがスムーズにお産を終えて、ドクターが不思議そうにカルテに何か書き込んでいただろ?
何て書いていたのか、わからないけれど、でも、カルテに書くとしたら「新生児と絆が強い母ゆえの安産」ってところだろうね。
そう、ママが絆と言っていたように、ボクが羊水に浸かっているころから、ボクとママの間には、誰にも断ち切ることのできない、強い結びつきが生まれていたんだ。
だって、ママは、まだおなかの中にいたボクを一人前の人間として扱ってくれていたから。
ボクは、そういったママの見解が素晴らしいと思っている。
ママは、ベイビーを産んで育てる上での心の絆を大切にできていたんだもの。
ボクが生まれた国、日本では、生まれたばかりのベイビーを数え年で「ひとつ」と言うけれど、その通りだよね。
肺呼吸ができなくても、この世に姿を現せなくても、母親のおなかの中では一人前の人間なんだ。
ママは、まだ学生みたいで、言っちゃ悪いけど頼りない幼いママなんだけど、きちんとそれがわかっていたんだ。
誰に教わることもなく、自然にね。
ボクを産む数ヶ月前までは、夜遅くまで羽目を外して遊んで、おばあちゃまに怒られていたママだけど、それはママの若さゆえの好奇心。
はちゃめちゃな行動をとる時があるからハラハラさせられるけれど、心の豊かさというか、心の許容範囲が広いのだと思う。
ママは、まだ気がついていないけれど、ボクにはわかる。
ママは、愛と慈悲に溢れた人なんだ。
その慈悲深さが仇となって、今後苦労することもあるだろう。
だって、この世の中、ママみたいに夢の中で暮らす人には危険がいっぱいだもの。
だからこそ、ボクはそのママを助けるためにも生まれてきたんだよ。
ママが、ボクを産むのを自分の人生のストーリーに組み込んでくれたのなら、ボクも同じさ。
ボクのストーリーの中には、ママの存在は欠かせない。
おばあちゃまも同様のはず。
ママは、3人兄弟の真ん中で、いつも両親の愛を受けたいと思っていたみたいだけど、愛情はたっぷり注がれていたはずだよ。
自分は愛されていないんじゃないか?といつも不安に思っていたのかもしれないけれど、おばあちゃまの人生において、ママは大切な存在だったんだよ。
ママだってそうだろ?
今回、ボクを産んだことで、自分を育ててくれた母親という存在がどんなに大きかったか、やっとわかったよね?
いや、ずっと前からわかっていたはずだよ。
だからこそ、ママは、ボクをぬいぐるみのように愛しい気持ちで愛したのさ。
ママ、ライナスの安心毛布って知っているかい?
ライナスって、スヌーピーの漫画に出てくる男の子。
いつも毛布を大切に持っているんだ。
なぜかって、それで安心を得られるからさ。
誰かに毛布を取りあげられそうになると、彼は必死でそれに抵抗する。
ほとんどの子どもは成長の過程で、ライナスのような経験をするはずなんだ。
ベイビーの時に気に入った毛布やぬいぐるみ、あるいは、タオルなどを手放さないって、どうして起こるのか教えてあげるよ。
だって、それを持っているとかなり安心な状態になるんだ。
だから、安心毛布は、子どもの成長にとって大切なものなんだ。
ベイビーはおなかがすくと、ママからお乳をもらえるから、ママのおっぱいを自分の一部のように感じている。
でも、ベイビーの成長のためにはいつまでもそんな状態ではいけない。
ベイビーはお乳が欲しいと思っても、ママの都合ですぐには与えられないことを経験して、ガマンをおぼえる。
言いかえると、いつまでもママと一体であることはできないことを知るんだ。
すなわち、ママ離れしなくてはいけない。
でもね、だからといって、ママとまったく離れるわけではないからね。
もちろん、強い絆でつながって、関係は続いているんだ。
だから、この時期を乗り越えるために安心するものが必要になってくるんだ。
つまり、毛布などは、ベイビーにとって安心できるママの代わりでもあり、自分のものでもある。
毛布やぬいぐるみは、ベイビーがママから離れて一人立ちをするまでの不安な状態を乗り切るために必要なものなんだよ。
ママも、おばあちゃまから巣立つときがきたと気づいたんだね。
ライナスの安心毛布は、小さい子供だけが持つものではないと思う。
大人だって不安な時はあるんだもの。
そして、親を愛しているんだもの。
だから、ボクはママのぬいぐるみでもいいんだ。
ママが、一生懸命、親離れしようとしているんだもの。
それに、ボクを愛してくれているのがわかるから、そんなこと気にしない。
ママは、ボクという存在を守るために、強くなろうと必死なんだ。
伝わってくるんだ。
ママがボクを愛しくて愛しくて、しょうがないっていう気持ちがね。
ボク、麻布祐太は、無垢な愛らしさがママのぬいぐるみのような存在なのかもしれないけれど、ママの絶大の愛を受けるママのベイビーなんだ。
To be continued・・・ Written by 鈴乃@Akeming
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【 ママのぬいぐるみ 後記 】
21歳の出産を終えたママと、そのベイビーのたましいの会話で書き上げました
ママのお話は一年前の今頃ブログで取り上げたことのあるお話なのでおぼえている方もいるかな?
テーマは親離れです
大人でも安心毛布を持ちたくなるときがある。。。
持論ですが、わたしは息子のりょーたをぬいぐるみのように愛することで親離れしようとしていた
もちろん、それだけの愛じゃないよ!
自分の血のつながった、そして大好きな夫との子、りょーたが本当にかわいくて愛しくてしょうがなかったもの!
実は本日、わたくしの長男りょーたのバースデーでして。。。
りょーた、23歳のバースデーおめでとう!!
いつも感激するのが、ママと●●年一緒にいてくれてありがとう!ってこと
りょーたの成長が走馬灯のように頭を駆け巡ります
いろいろあったもんね
ママを助けてくれてありがとうございました
実は、りょーたはここ2ヶ月ほど家を出てお友達と部屋をシェアしていました
ある日、いきなり「うちってダンボールってある?」って言われて
「え?ないけど何に使うの?」と答えたら
「あ、言っていなかったけど今度の土曜日から一ヶ月くらい友達と住むから」と。。。
わたし、あまりの驚きに顔が固まっていたかも(笑)
いつだったか。。。
「俺って放任で育てられたよね」とりょーたが言った
4月から大学生の彼の妹の話をしていたときわたしが
「彼女にはかまいすぎた。それがいけなかったって気づいたから今回の大学受験は全部自分で決めさせたの。
そうしたらうまくいった。やっぱりある程度躾けたらあとは子供にまかせるべきなのね」
と言ったらそう言った
確かに。。。
中学に入ったらほとんど何も言わなかったような気がする
それは彼を信じていたから
小学生の頃の彼のセルフコントロール力は素晴らしいと我が子ながらひそかに思っていたわたしだ
そんなりょーただから、親があれこれぐずぐず言わなくてもきっと大丈夫だろうって信じたの
目標を掲げてそれに前進できる子だって信じていた
だから放任というか、彼にまかせた
これからの人生は自分で決めればいいんだって
中学校に入ったばかりのまだ小学生みたいなりょーたに対してそう思った
ひとつだけ泣いてお願いしたことがあったっけ。。。
高3の秋だったかな
「北大に行きたい」(北大・・・北海道大学)と言われた時
「家から通える学校にして」って泣いた思い出が。。。
わたしは彼の大学生活をこの目で見たかった
たぶん行きたい学校に確実に行けるだろうって信じていたので、彼のエンジョイする姿を見たいと思った
するとりょーたは「わかった。考える」と言ってくれて結局東大に入学
その頃は子離れなんて程遠かったわたし
でも、今回、彼が家にいなくなった時「子離れしなきゃ」って決心した!
出て行ったその日はつらくて荒れたけど(笑)
翌日からさっぱりして新しい関係になるのだ!なーんて思った
でももうすぐ帰ってくる!!
やっぱり側にいてくれたほうがうれしいな・・・
Akemingママ、やっぱり子離れできていない模様。。。笑
さて、来月から彼も社会人2年生
新入社員の先輩となるわけですが。。。
どんな先輩になるんだろうね!
頼りがいのある先輩になるだろうな、って思うよ!
親ばかとかそういうレベルじゃないんです
わたしは彼を息子というより1人の男性として見ているので
子供とはいえ、1人の人格
もう社会に出て働き立派に成長した大人なので別の目で見ています
もちろん、わたしは一生彼のママだけどね
なんと言っていいのか・・・
血のつながった運命共同体って感じ???
わたしは彼を認めているので!
さて、先ほど去年の今頃彼のバースデーに宛てたブログを読んでみました
なんだか泣いてしまった。。。涙
今年もまったく同じ気持ちです
だから同じ言葉を贈ります
ありがとうございました!
子供を育てているつもりで、ママが成長させていただいてました
感謝しているので、敬語で(笑)
自分が産んだ子供とはいえ、ひとりの人格
自分が育てたのだけど、育ててあげた、なんて思っていない
「こんなに苦しい思い、あなたたちのためにガマンしているの」
と言う親がいるけれど、(うちの母がそうだったし、以前、ワタシも姫に対して言った事があった)
そんなこと、絶対にないから
ワタシは、小さな存在を守っていただけ
そして、素直に子供たちに感謝できるのは、子供たちのおかげで今の自分がいると思うから
りょーた、今まで、セルフコントロールしながら、信念を持って、よくがんばりました!
ママもがんばらないとね★
ママも信じる心を一番大切にしてます
東大の卒業式で総長が言っていた、他者を信じる心を大切に・・
それは、相手に合わせることではなく、自らの力を高める糧として
他者の視点で自分の言動を振り返ることを忘れずに・・・
すべて自己責任であることを意識して、社会に飛び込んでください
お誕生日おめでとう!
23年前の今日、自分が生をもってこの世に誕生した喜びを感じて下さい
生まれてきてよかったと思える人生を送ってね
ママは、あなたたちと出会えたので生まれてきてよかったと心から感謝してます
3年前なのでママ、41歳、りょーた19歳の頃


