私はアイロンをかけていた。
ハンカチ5枚、シャツ1枚、ブラウス1枚・・・そして、真っ白のテーブルクロス。
軽井沢のレースの店で買ったものだ。
クロスの縁が加工されているので洗うとそこが縮む。
それなので丁寧にアイロンをかけてきれいに伸ばした。
アイロン台は小さいので、そのテーブルクロスにアイロンをかけるのにかなり時間をかけた。
無心になってアイロンをかけていたら、涙がこぼれた。
涙がぽとんとアイロンかけをしているテーブルクロスに落ちた。
私は、その涙にアイロンをのせ涙を蒸発させた。
すると、心の中でこんな声が響いた。
「ねえ、人間ってどうしてこういう生き物なの?」
実はここ数日私はもがいていた。
心が乱れ、その置き場がなく、私の心は疲れていた。
私は人間でありながら、自分が人間であることが不思議に思えてしょうがなかった。
もしかしたら、私は違うところに生まれるべきだったのかも、と思うともがかなくてはいられない状況だったのだ。
テーブルクロスのアイロンが終わると、私はケンジに電話をした。
仕事なのはわかっていたけれど、もしかしたら私の電波が届いているかもしれない。
呼び出し音を7回待つのは勇気がいる。
気を遣う私だから、相手が出られない状況なのに自分から発信した着信音が延々と鳴り響かれるのは申し訳ない。
6回で切ろうと思った。
すると5回目でケンジの声。
「はいはい」
「あ、忙しい?」
「うん、大丈夫。どうした?」
「またいつものことよ」と笑う私。
「悩める君かい?」
「うん。涙を蒸発させたの、アイロンで」
「え?顔にアイロンかけたらヤバイでしょ?」と笑うケンジ。真面目にうけとっていない。
「テーブルクロスにアイロンかけていたらそこに涙がこぼれたのよ。アイロンの熱できれいに形がなくなったわ」
「じゃあ、そのテーブルクロスをかけたテーブルのディナーに僕を呼んでくれ。
君の涙が染み込んだテーブルクロスで食事をしたいなぁ」
「そうね。じゃあまた電話するわ」
「おやおや、話はまだ終わっていないんだろ?」
「だって、あなたの電話口から慌しい雰囲気が伝わってくるわ。お仕事中でしょ?」
「今、ブレイクタイムだから大丈夫。でも10分でタイムリミットだ。自由に話しなさい。
まずはどうしてテーブルクロスに涙のしみをつけたのかを1分以内に説明せよ。はい、スタート」
「うふふ。試験みたい」私は笑ってしまった。
「笑っていると1分終わっちゃうよ。はい、はじめて」
「はい(笑)
・・・人間ってどうしてこういう生き物なのかなって。
人間って感情があって、理性があって、基準があって、常識があって、、、。
私、不器用だからこれらのバランスをとって、今置かれている状況の中生きているのが時々つらくなるのよ。
この世界で上手に生きることがこんなに難しいことに今さらながら気づいて驚いてる。
今まで何にも考えず、ただただ前だけ見て生きてきたけれど・・・」
「うんうん、君は普通の人より前向きだよね。
っていうか、前しか見て歩いていないし、時々周りを見ないで走っていることもある。
まるで競争馬のようだ(笑)
おっと、試験官が口をはさんでしまった。申し訳ない。続けて」
「自分でもずば抜けた前向きさというか、ノンキな人間だと思う。
でも、そうしてきたから今頃ツケがきて、深く考えざるを得ない状況にきたのかなって思う。
確かに競走馬のように前を走っているだけなのかもしれないわ。
前だけ見て生きているから大切なことがおざなりになってしまったのかなって反省しているの」
「はい、試験官から質問。
あなたのどんな大切なことをおざなりにしてしまったのですか?」
「真剣に考えなきゃいけないこと」
「それは?具体的に述べてください」
「あはは、嫌だわ。ケンジったら本当に試験官みたい」
「いいから、続けて」
「はい。えーと・・・。この世界で生きていくということ」
「おいおい、今さら何を言っているの?君はすでに40数年間この世界で生きているんだよ?
考えることはないさ。君のやり方で生きていけばいいでしょ?今までそうしてきたんだから」
「ケンジったら。わかっているでしょ?私のことを。
不器用なのよ。上手に生きるのが難しいの。この世の中の価値観に合わせる事が私には難しい」
「上手、下手って誰が決めるの?
だって君が上手じゃなかったら、どんなのが上手なんだい?
ジャッジメントはしちゃいけないよ。君自身がよいと思えばそれでいいんだから。
君らしく生きていけばいいんだから、上手、下手を意識することはないよ。
自分を信じるのが君の信念でしょ?」
「自分を信じてここまできたわ。
でも、それだけで生きていくのは難しい。
競走馬のように前だけ見て走っていてよければ楽なのに」
「さっき、僕が君を競走馬って言ったよね。
競走馬が黒い目隠しをしているのを見たことがあるかい?
あれは、視界を遮って気が散らないようにするものなんだ。
君があれをつけて走っている姿を見るのが僕は好きでね。
自分を信じてまっすぐ前に進む君の姿ってまさにあの黒い目隠しをつけて走っている姿だ。
僕はかっこいいと思うよ。
あの目隠しは前しか見えないから意識を集中させることができるんだ。
君は過去を振り向いている時間はないんだよ。
こわがっちゃいけない。
君はこの世に生を受けたことに畏敬の念を抱き、そして命を尊び、真剣に生きているじゃないか。
それで十分だよ。
その君の生きる姿を僕らに見せてくれ。
僕は君を見ていると勇気が出るんだ」
「ありがとう」
「しかし、どうしてまたそんなことで心乱していたんだい?君らしくない・・・っていうか、君らしい(笑)」
「『君らしくなくて君らしい』って、言い方、へんだけどその通りだわ。
たぶん、あのせい・・・」
「あのせいって?何があった?」
「テレビを見ない私なのに、つい見ちゃったの。
そうしたら暗い話題ばかり。
私まで不安をあおられてしまったみたい。このままじゃいけないわ!って」
「君は純粋だからね。
でも、もう大丈夫だろ?たぶん、君は自分のやるべきことの再確認のためにその番組を見たのさ」
「そうかもしれないわ。
ケンジに電話してよかった。何だかほっとしたわ。私はこのままでいいのね」
「ああ。
黒い目隠しをした競走馬のような君でいてくれ」
「ありがとう・・」
「うーん、まだぐずついているね。まあ、君のことだから時が解決してくれるよ」
「そうね」
「すっきいりしたかい?」
「ええ。ケンジ、あなたには感謝してる。いつも私の思いをきちんと聞いてくれてありがとう」
「いいえ、どういたしまして。
お、まだ10分たっていないぞ。他に何かはき出したいことは?」
「うん。あのね、私、自分の中から少しずつなくなっていくものを感じるの。
このなくなるものって余計なものだからいいことなのだけどね。
でも、ここ何年かで自分の中でいろいろなものを削ぎ落としてきたのに、まだまだあるみたい。
なくなってスッキリするけれど、手放す時に苦労したものがたくさんあった」
「確かに君はかわっていくね。僕はずっとそれを見てきたから君の成長が手に取るようにわかるよ」
「今、手放さなくてはいけないものがあって、上手に手放すことができるかどうか不安なの。
とりあえず大きなものいくつか・・・。どちらも自立に繋がるものだわ。
私のテーマである自立に向かって一歩一歩前進しているのがわかるのだけど・・・。
大きいものを手放す時だから心は揺れ動いて気持ちの置き場がない状況なの」
「Great!!すごいじゃないか。そこまでわかっているのならOKだよ。
手放すことができたらお祝いしよう。
君の好きなシャンパンでね」
「こんなこと考えるわたしってネガティブじゃない?大丈夫?
ネガティブとは違う気持ちなのだけど、不安で心が落ち着かないの」
「だからGreatって言っただろ?素晴らしいってことだよ。大丈夫」
「素晴らしい?私が?でも今こんなに心がかき乱されている状態よ」
「心がかき乱されているのは、君は人生の意味をきちんと考えて生きているからさ。
君が通ってきた道はすべて意味があったことだ。
だから今心が乱れていることにも意味がある。
君の心が乱れているわけは成長のためのものだからね。
Great!素晴らしい!って僕は思うけど」
「落ち着かせるのに時間がかかりそうだけど、手放せたら連絡するわ」
「もう手放していると僕は思うよ。
さっき言っただろ?
君は目隠しをした競走馬のままでいいって。
周りを気にすることはない。
自然の君のままでいれば、手放すべきものも自然に君から離れていくよ。
手放そうって意識してがんばっちゃうからつらくなるんだよ。
いつもの君でいいんだから。
まずは深呼吸してそれを取り戻しなさい」
「・・・・・」
私はケンジの言葉に何か光のシャワーを浴びたような気分になった。
気づくと心は穏やかで、自分が向かうべき道が開けていた。
ちょっとした沈黙の後で私は言った。
「試験官、まだ時間はありますか?」
「はい、あと30秒」
「では・・・。
試験官をご招待いたします」
「ご招待?」
「今夜、この涙のついたテーブルクロスを使いたいわ。
冷えたシャンパンを買ってきてちょうだい。
お祝いよ」
「Great」とケンジは言うと、電話を切った。
私はたたんだばかりの真っ白なテーブルクロスをテーブルに広げた。
心のもやもやはすっかりなくなっていた。
ワインクーラーをテーブルに置きながら今宵のメニューをあれこれ考え始めた。
THE END Written by 鈴乃@Akeming
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【 後記 】
ある日、表参道駅へ向かう途中、歩きながらふと感じたことがあった
とても大切なことだと思ったので、備忘録として携帯電話のメール画面にその思いついた言葉をうちこんだ
その文章って。。。
「自分がしてきたことにはすべて意味がある」
これ、わたしの携帯電話のメール保存BOXに入ってます
すべてに意味があってわたしはこの世に存在していると思う
そう思うと自分ってこの世で大切な役割を持っているんだなって思う
誰だってそう
誰だって役目を持って生まれてきているはずだから、大切な役割を持って生きている!
それが何か?って気づく人もいるし気づかない人もいる
わたしはここ数年でその役目に気づいたのでただ今邁進中
ただ、進めば進むほど立ち止まる場面が増えてくる
この立ち止まる場面って成長のために必要なところで・・・
前に進むためにはひとつひとつ解決していかなきゃいけないのだけど、
わたしの場合、うまくすり抜けられたりしちゃうんですよね・・・
すり抜けたことによって、また同じことでとまらなくてはいけなくなる
根本的なことを解決していないからだってわかっているんですけどね・・・(^^;)
さて!
今回、自分のひとりごととして書こうと思ったのだけど、男女を登場させたショートストーリー仕立てにしてみました
そのほうがすんなり入るかなーって思って!
このお話に出てくるケンジって、わたしの中にいるわたしの応援者
自分の中で声が響く時ってない?
自問自答してみたり。。。
あーだ、こーだ、自分の中で話し合ったり。。。
わたしの心の中には別の自分がいて、いつも彼女(彼?)が自分に対してアドバイスしたり批判したりします
その見えない存在をケンジという男性を登場させることで一話完結させました
実は、これ、2日前に書き始めたのだけど、今日すっかり元気になっちゃたー
これってケンジの言うようにいつの間にか前に進めたってことと思います
2日前に本当に涙をこぼしながらアイロンをかけていたんです
それでその時の気持ちを素直に書き始めました
さあ、がんばろー
周りを気にしないで自分を信じて前を見て進みたい
焦らず一歩一歩!!