「麻美さん、やさしいから」
白いリネンのテーブルの向こう側の桐子さんは、少し紅潮した顔を傾け、まるで心を痛めているかのような目を私に向けて言った。
私も桐子さんもお酒はそう強くない。
「お酒を飲んで顔に出ない人がうらやましいわ」
お酒を飲んで、顔が紅潮するたびに出る私の台詞だ。
私たちは、二人とも頬がほんのり赤らんでいた。
ここは、フカヒレ料理が有名なチャイニーズキュージンのお店。
私たちは、席につくとドラフトビールをオーダーした。
今日は5月半ばというのに冬物を出してしまうような肌寒い陽気だった。
でも、ドラフトビール。
こんな天気だというのに、何だか喉が渇いていたのだ。
喉が渇いているときって、口の中と喉が乾いたように感じるのだけど、実は、脱水症状を起こした細胞が収縮して脳にメッセージを送信して引き起こす反応だと何かで読んだことがある。
今日は水分を取ることすら忘れて働いていたわけではないが、少し飲酒が過ぎた昨夜の自分を思い出した。
アルコールは脱水作用を引き起こす。
普段ならグラスシャンパンというところだが、若干脱水症状気味の私の気分はドラフトビールだったのだろう。
でも、オーダーしたドラフトビールを勢いよく飲んだのは、最初の一口。
脱水症状を起こしていた細胞が私の脳にメッセージを送りつつも、空腹中枢の食べ物を探せというメッセージの方が強かった模様だ。
最後にフカヒレ料理をオーダーするのを承知の上で、3品オーダー。
しかし、私たちは、ドラフトビールや青菜の炒め物やエビ料理よりもおしゃべりに夢中だった。
まるで、からだの中の何かが指令を出しているみたいに、意思と関係なく噴出すように話していた。
「麻美さんはやさしすぎるのよ」
桐子さんは、またも、心を痛めているかのようなまなざしで私を見た。
桐子さんが心を痛めているのは、女友達の私が苦しんでいたからだろう。
私は怒れない女。
それが直接の原因ではないかもしれないが、怒れないゆえに、今まで何度も失敗を繰り返してきた。
怒れない女なものだから、周りの人々を甘やかせ、結果、自分のセンセーションを自分が巻き起こしてしまう。
今回の私にとってのセンセーションは、今までにない大きなものだった。
いつもは、誰にも気づかれず、巻き起こしたものを処理できる私だったが、今回のそれはまるで小さい竜巻がだんだん大きくなるように自分の中の何かを巻き込んでは、大きい渦と成長し、手のつけようがないくらいの大きいものになっていた。
元気がとりえの私だが、その竜巻のせいで何となく憂鬱そうにしている私が時々現われていたのは確かだった。
桐子さんは、そんな私が気の毒に思えたに違いない。
「麻美さん、怒ることもやさしさなのよ」
私を諭すように桐子さんは言う。
「そうね、今回は、さすがに私も人間かわらなきゃいけないって思ったわ」
私は、微笑みながらも心はため息をついていた。
自分がかわることってこんなにたいへんなことなんだって、今回実感した私だった。
私ってどうして怒れないんだろう?
ふう。
沈む表情の私に、桐子さんは言った。
「私は理詰めで怒るから、きっと私の部下は私に怒られるのが嫌だと思うわ。
でも、愛情があるからこそ怒るの。
愛情がなくて、どうでもよければ、放っておくもの。
みんな私に怒られて涙しながらも『ありがとうございました!』って感謝してくれるの」
ああ、うらやましい・・・
そんなこと、今まで一度も経験したことない。
私は怒れない女。
怒るくらいなら自分が我慢して平穏に過ごしたいと思ってしまう。
これ、すべてがそうだからいけないのかな。
私のボーイフレンドでめちゃくちゃ平和主義の人がいるけれど、彼は、仕事の上ではかなり厳しい。
私は、すべてに関して甘いからいけないのかもしれない。
「以前ね、つきあっていたボーイフレンドに『私、マリア様になりたいの』って言ったことがある。
桐子さん、笑わないでね、本気だったのよ。
そうしたら、『馬鹿だね、君って。人がよすぎるんだよ。そんなんじゃ、この世の中生きていけないよ』
って言われてとっても傷ついた。
私はクリスチャンではないし、マリア様が実際どんな方だったのか、よくわかっていない。
私が言っているのは、イメージね。
聖人のお母様であるマリア様のように、やさしくて、慈愛溢れる女性になりたいっていうことだったのだけど」
「麻美さんらしいわ。
でもね、マリア様も厳しい方だったと思うわ。
厳しい方だからこそ、聖人のお母様として名を残しているのだと思う」
「うーん・・・厳しくしようと思っても、何だか情に流されちゃうのよ」
「でもそのせいで、自分が苦しんではだめ。言うべきことはきちんと言わなきゃ」
「そう・・・そういえば、最近タロット占いをしてもらった時出たカード・・・
『あなたは変わらないといけない時期にきています』っていうカードだった。
本質的なものはかえることはできないのに、じゃあ、一体どうすればいいの?って思ったの。
でも、当たり前のことなのよね、怒りを表すことって。
その自分の怒りを封じ込んでいたら、それってどうやって消えているのだろうっていつも思うわ。
でも、何となくいつも消えてしまうのよね」
私が本当に怒ったらこわいと自分が一番わかっている。
それは、怒りを封じ込む癖があったからだ。
それらはどこかにたまっているはずだから、一気に爆発したら・・・と考えるとこわい。
そういえば、今まで、本気で怒ったことはどれくらいあるのだろう。
こうして思い出せないのだから、本気で怒ったことはないのかもしれない。
きっと、本気で怒ったら竜巻どころか家もビルも何もかも吹き飛ぶくらいの最大級の大嵐なんだろうな。
いやいや、このことは考えないでおこう。
ちょっとおそろしい(笑)
さて、ビールグラスは空になったけれど、今日は、体がアルコールを欲していない。
ジャスミン茶をいただきながら、メインのフカヒレご飯をオーダー。
そう言って桐子さんは、フカヒレのご飯をお茶碗に取り分けてくれ、
「今日はね、麻美さんを励ます会なの」
と、微笑んで私にフカヒレのたっぷり入ったお茶碗を手渡した。
「え?そうだったの?・・ありがとう」
お茶碗を受け取りながら、何だか涙が出ちゃいそうだった。
「それと、はい、これ。招待状よ。一枚だけど、これで気分転換してね」
桐子さんから手渡された招待状は、翌日のオーケストラ演奏会のもの。
桐子さん、ありがとう。
人間的に偏りのある私だけど、桐子さんのようなお友達がいることは、私の誇れることだ。
私は怒れないへんな女だけど、でも、私を愛してくれるお友達はたくさんいる。
桐子さんの「麻美さんを励ます会」開催のおかげで、心の中のもやっとしたものがふっとなくなった。
お店を出たら、夕方ぱらついていた雨はやんでいた。
「まだ時間があるわ。
素敵なバーがこの近くにあるの。
行きましょう」
桐子さんはそう言うと、私の腕を引っ張って、駅のロータリーに向かって歩き出した。
THE END Written by Akeming
【 怒れない女 後記 】
ねえ、知ってる?女性がおしゃべりなわけ。
男性と女性はストレスの対処の仕方が違うらしい。
ストレスを受けたときホルモンを分泌してストレスの解消を図るのだけど、
その分泌を活発にする方法のひとつがおしゃべりなんですって。
女性はそのホルモンの分泌量が多いから、ストレス発散にしゃべる。
もしかしたら、怒れない女の怒りは、おしゃべりで発散されているのかも。
人間のからだってよくできているなぁ。
今日は、「前夜のアルコールで脱水していますよ」って脳が働いて喉が渇いていた。
そして、空腹だから、「からだに何か蓄えなさい」って脳が指令を出した。
「ストレスたまっているならおしゃべりしなさい」ってホルモンが分泌される。
生きているっていうこと、こういうことなのね。
自分の細胞が話して、相談して、いい方向にいくようヒントを与えてくれる。
自分が生きるために、自分に救われているのかもしれない。
だから、生きていかなきゃね!
さあ、私も元気いっぱい、今日もがんばります。
自分のからだが応援してくれているから。
そして、お友達。
もちろん、家族。
みんなを思うとからだが温かいよ。
大通り沿いなのに、わかりづらいサイン。
隠れ家にピッタリのお店。
不思議な空間だった・・・
桐子さんとのおデート服は、前回の記事の私です
男性とのおデートより、女性とのおデートの方がおしゃれに気を遣いますね






