その店は、意外な場所にある
その店は、住宅地がひしめく都心の広い通り沿いにあるのだが、
通りを歩いていても気づかずに通り過ぎてしまうような目立たないエントランスだ
その地下に降りるエントランスの細い階段を降り、扉を開けると真っ赤な壁のバーカウンターが目に入る
エントランスは人の注意をひかないのだが、中に入ると異空間に入り込んだような錯覚をおこさせる
かなり落とした照明の赤い部屋と、目の高さにぶらさがったシャンデリアが、
通り沿いの何でもないエントランスとのアンバランスさを余計際立たせる
バーカウンターでカクテルを作っていたバーテンダーの「いらっしゃいませ」という声に、
私とあなたは、少し笑顔で応え、中に入った
私たちは、カウンターに席をとる気はまったくない
あなたは、ただ、ゆったり座りたいだけなのだと思うけれど、
私は、あなたと同じソファに座りたいからカウンターを通り過ぎ、テーブル席にさっさと座った
「前もここに座ったわ」
と、以前来た時と同じテーブルを選ぶ私
さっきまで、白いリネンのテーブルをはさんでのお食事だったので、
私はちょっぴりもどかしい気持ちであなたとの時間を過ごしていた
グラスシャンパンから始まり、ワインボトルを一本飲み終わるまでの間、
あなたを独り占めしていたのは確かだけど、あなたの体温を感じるには離れすぎだと思った
二軒目のバーのテーブル席は、私のその願いをかなえるにはいいシチュエーションだった
久しぶりにあなたと会えた夜に酔いしれていたい私だもの
足がくっつくくらいの位置にあなたがいる、という事実を認めるだけで、心が躍った
私は、あなたの存在さえあればいいと思っていた
だから、この場で、ほんの少しの時間でも、あなたを独り占めできればいいのだ
その、あなたが私のものでいてくれるちょっとした時間を過ごす自分の気持ちを高めるため、
カウンター席を避けてソファに座った私だった
バーカウンターの壁の色に洗脳されたのか、あなたは赤ワイン、私はブラッディメアリーをオーダー
ふと気がつくと、月がこちらを見ていた
満月の月だ
ここは地下のバーなのに
「ねえ、見て。お月さま」
と、私が言うと、あなたは、一瞬「え?」という顔をした
「ほら、あれ。シャンデリアの向こう側に満月」
シャンデリアの向こう側の照明がまんまるで、まるで満月のようだったのだ
あなたは「本当だ」と笑った
「やっぱり、今日は、満月なのね」
「ああ、ここの空間だけね。実際は半月だよ」
私は、なぜ今日が満月なのか、あなたに話そうと思った
「いつだったかしら。夜道を歩いていたら、月が私を呼んだの。『ねえねえ』って。
そうしたら、今にもなくなりそうな細い欠けた月だった。
それを見て、『まあ、私みたい』って思ったの」
「キミが欠けた月?なぜ?」
「私、この数ヶ月でいろいろなものを失ったの。
神様は、私からすべてを奪って確かめようとしたの。
『あなたは、まずは、エゴイズムを捨てなくてはいけない。だから、奪いますよ』って」
「エゴイズムは誰にでもあるものだよ」
あなたは、ワインを口に含みながら小さく笑った
そして、私に聞いた
「では、神様は、エゴイズムを捨てさせるために、キミからすべてを奪って何を確かめるつもりだったのかな?」
「神様のおめがねにかなうかどうか」
「キミが?」
「神様の期待通りの人間かどうか試されたのだと思う。一番こわかったのが、あなたがいなくなってしまうこと。
まさか、あなたがいなくなるなんて思わなかった」
「あはは、僕は、ここにいるだろ?ただ忙しかっただけだよ」
「でも、あなたはいなくなったの。
そのとき、神様に
『すべてなくなって、あなたが不幸になっても、それでも人のために何かしたいって言えますか?』
って聞かれたわ」
あなたは、私の言うことを軽んずることなく、真剣に聞いてくれていた。
「そう、で、キミは何と答えたの?」
「『YES』って答えたわ。あなたがいなくてもがんばれるって思えた。
だって、月は欠けるけれど、欠けたら今度は満ちてくるの。
私は余分なものをそぎ落としたの。あなたへの執着を捨てることで、今度は満ちてくるんだって思った」
「そうか。で、満ちてきた?」
あなたの優しいまなざしに、胸がしめつけられた私は、思わずあなたの手を握った
握った、というより、あなたと手をつないだのだ
「ええ、満ちているわ、今、まさにね。だって、満月を目の前にあなたがいるんですもの」
あなたは、何も言わず、私の手をやさしく握り返した
私は、あなたの手の温もりを感じながら、赤い部屋の満月をうっとり目を細めて見ながら言った
「こうして手をつないで、またあなたと繋がっているのが信じられないわ」
シャンデリアの向こうの満月が笑っていた
「神様が許してくれたの。私がエゴイズムをコントロールできたから」
私は、そう言いながら、半分だけ涙をこぼした
あなたがいなくなっていた間の心の葛藤が、すでにきれいに消えているのがわかった
悲しいのではなく、うれしいのでもなく、せつないわけでもないから、半分だけの涙
それは、神様のお試しに応えられた自分が愛しく感じての、誰にも見えない心の涙だった
あなたは、私の髪をそっとなで、
「エゴのコントロールは難しい。でも、キミはできたんだね?」
とやさしく言った
私は、小さくうなずいた
「そうよ、だって、あなたが戻ってきてくれたんだもの。神様がギフトをくださったの。
私は、あなたが欲しいだなんてもう思わない」
そう言って、真剣な面差しであなたを見ると、あなたは小さな愛しい子供を見るように優しく笑っていた
私は、あなたの笑顔に引き付けられるように、赤い部屋の暗い灯りの中で、あなたにキスをした
スローモーションで、愛しいマークをあなたの唇につけるように、挨拶のキスみたく一瞬だけ
「愛の形はいろいろあるの。私は学んだわ。だから、きっと私たちはよりよい形を保っていけると思う」
そう言ってから、手をつないだままゆっくりとあなたの唇を味わった
久しぶりのキスは、ちょっぴり塩っぱかった
グラスのふちに荒塩がまぶしてあるブラッディメアリーは、トマトの酸味と塩味のバランスがよいけれど、
キスする恋人同士には塩はいらない
それならば、刺激的にもうちょっとタバスコがきいているといいのに、などと思いながら、
あなたの手の温かみとウェッティな唇を感じていた
ずっと・・・
このままずっと、あなたと手をつないで月を見ていたいと思った
私の心は満ちていた
THE END Written by Akeming
【 Happy Full Moon その後 後記 】
不思議な感覚でこのバーでブラッディメアリーを飲んでいた
だって、シャンデリアの向こう側の照明、お月さまみたい!!
ワタシは、お月さまには何度も助けられている
少し酔いが入ったワタシは、
「お月さまが欠けているとき、いろんなものを捨てたの
でも、月は欠けてもまた満月になる
だから、潔く捨てられたよ
でも、今日は満月!!!やっぱり、お月さまはワタシの味方なんだわ」
と、わけのわからないことを、ソファのお隣に座るお友達に一生懸命話していた((-m-)ぷぷっ)
お友達は、「ん???」って反応
へんてこAkemingだからねぇ、意味不明で当然です(笑)
そう、
このとき、満月だったの
あの欠けたお月さまを見たとき、悲しい思いを堪えながら執着を捨てたのに、
やっぱり月は満ちるんだなーって
とっても不思議な感覚でブラッディメアリーを飲むワタシでした
