パリ日記はお休みです。
今日のうちにこれを綴りたいので。。。
今日は夫の三回忌でした。
あれから2年たつんだなーと思います。
あの頃の自分を今でも思い出せます。
今はあの頃とまったく違ったワタシです。
あの頃のワタシを否定はしませんが、今のワタシの方が断然いい!
でも、今がのワタシがいるのは、昔のワタシがいるから。
だから、昔の自分を否定しないことにしました。
どうかわったかというと。
恥ずかしいことなのだけど、以前は「自分がかわいそう」という気持ちがすごく大きかった。
亡くなったのは夫なのに、「どうして、こんなに不幸なんだろう」と自分を悲劇のヒロインに仕立て上げていました。
今日、お寺でお経を聞いていて、何かいつもと違うなーと感じた。
いつものお寺でいつものご住職様にお経をあげてもらい、かわらない法事。
でもいつもと違ったのは、自分がかわっていたから。
鳥肌がブルブルたって、「あー、魂がここにきているんだな」と感じたときに、涙がポロポロと頬を伝いました。
去年の暮れ、主人のお墓参りに行って流した涙と種類は同じです。
そのときにも同じ気づきがありました。
今思うと、暮れの気づきは100%ではなく、今日のための準備の気づきだったのだと思う。
気づきのブログ → 幸せって
暮れのお墓参りでの涙、そして今日の涙・・・
いつもと違う涙です。
こういう涙を流すことは滅多にありません。
泣くという行為を意識せず、自然に流れる涙、というのでしょうか。
暮れの涙は嫌なものが流れていった涙でした。
滝のように頬を伝いましたから。
でも今日の涙は、滝のようなそれではありませんでした。
滝の涙と似たもの。
それは、ワタシが泣いていたのではなく、ワタシのハートの奥の小さい真珠がこぼれていたのだと思います。
それは純粋な光をもった真珠。
ホントに心の奥にあるものがポロポロ出てくる感じでした。
こういうときは自分が成長しているときなんです。
さて、そのとき、何に気づいたかというと。
前からずっと言っていることですが、「ワタシはかわいそうではない」ということでした。
夫が亡くなったとき、自分は何が悲しくて泣いていたのか思い出しました。
通夜の日はからだの水分がなくなるのではないか、というくらい泣きました。
でも、それは、「悲しい、悲しい。ワタシ、どうしてこんなに不幸なんだろう」という涙ばかりでした。
ワタシの近しい人がいなくなった悲しみでもあるのですが、裏を返せば、「どうしてワタシはこんなに悲しい思いをしているのだろう」、そんな気持ちが強かったような気がします。
それはそのときは気づかないものです。
あまりのショックで、何が悲しいのか、なんて気づく余裕なんてないですから。
でも、今、時間がたった今、やっと気づいたのです。
ワタシにはワタシの人生のストーリーがあり、夫にもストーリーがあった。
夫とは恋人時代をあわせて20年以上もいっしょにいたわけだけど、あくまでもストーリーは自分ひとりで作るもの。
なので、誰が不幸であっても幸せであっても、それはその人次第なのだと思う。
ストーリーはいっしょに作るものではないと思う。
それぞれがそれぞれの使命を持って命を授かり、ストーリーを作っていく。
ワタシと夫はそれぞれのストーリーを生きてきたわけで、
決して誰のせいで不幸になった、幸せになったと決められないのだと思う。
すべては自分の決断にかかっているから。
自分の道があるのだから。
だから、夫が亡くなったことは自分の責任と思わないようになりました。
今日。
今日からそう思えるようになりました。
これはかなりの成長です。
苦しかったけれど、やっと、やっと、立ち直れました。
つい、数週間前、久しぶりにワインを飲みすぎて、トラウマが出てしまいました。
心を許している方に、無意識のうちに夫との結婚生活の話を延々としてしまったのです。
酔っていたので、自己コントロールができませんでした。
「明美さん、やっぱり、まだトラウマから抜け切れていないんだね」
話していた相手に、かわいそうに、と向けられた目でハッと我に返ったワタシでした。
暮れに夫のお墓参りに行って、滝のような涙を流し、彼と話すことですべて解決したと思っていたのに、
やはり心のどこかにまだ何か残っていたのです。
まあ、人間ですから、いくら心の許容範囲が広いといわれるワタシでも
酔って自分をコントロールできなくなると、仕方ないことなのかな、と思いつつ、
でも暮れの夫のお墓でのあの時間は何だったんだろう・・と反省しきり・・・
でも、今日、気づきました。
彼は彼のストーリーを生きていたのだ、と。
誰のせいでもなく、誰のためでもない。
彼は彼の責任で彼の人生を生きたのです。
それが悲しい結果になっても、ならなくても。
だから、ワタシも自分のストーリーを思いっきり生きるために、今回、個人的なことをここでシェアさせてください。
みなさん。
自分のストーリーは自分で作るものなの。
だから、あることで悲観的になれても楽天的になれても、それは自分次第。
苦しく思う自分も、それはストーリーの中の自分なのです。
なので、同じストーリーを生きるのであれば、自分をかわいそうと思わないことが大切です。
楽しいストーリーを作っちゃいましょう。
苦しいことがあっても、大きな波を越えなくてはならないときも、あなた次第です。
苦しいことを「ありがとう」と言える人間になれるとかなり楽です。
苦しいことは、絶対、後々、糧となり、あなたの幸せのたくわえとなるはずです。
まずは、お勉強させてもらえる感謝の気持ちを持って臨みましょう。
簡単に言っているようで、ワタシはこれに気づくのに20年以上かかりました。
でも、このブログを読んでいる方は、20年もかけずに苦しいときの対処法を知ることができるのです。
絶対大丈夫。
あなたが気づけば、それで苦しみから抜け出すことができますよ。
子供の頃、大人に支配され、自分のストーリーが作れなかった、と思っている方もいるかもしれません。
ワタシも同様でしたから、大丈夫よ。
ワタシは子供のころ、大人によって支配されたものから抜けきれず、大人になりました。
支配されるキッカケなんて簡単なものです。
だから、誰でも持っているものとは思いますが、それもあなたのストーリーの一部なんです。
これは、逃げようのないストーリーですが、それはそれで、正面から受けなければいけないものと思います。
それを乗り越えなくてはいけなかったのですから。
それが、あなたに与えられたストーリーだったのです。
ワタシはそれをどうやって乗り越えたのかというと、糧にしちゃったの。
そして、それを与えた大人たちに感謝の気持ちを持ちました。
「ありがとう、ワタシに一つ幸せのたくわえを与えてくれて」と。
苦しいことも、こうやって糧にしてしまえば、幸せのたくわえに変身しちゃうんです。
一石二鳥!
嫌なものがなくなって、いいものが一つ増えるなんて、素晴らしいことです!!
それから、こんな強いワタシがどうして存在するのか、ということについてちょっと書きます。
今回、すべて書くことはできませんが、ワタシのストーリーは山あり谷あり。
とても歩き甲斐のある人生でした。
谷底に落ちそうになったときも、川や海でおぼれそうになったときも、何かがあったので踏ん張れました。
それは、大きなプライドです。
これがあったので、小さなプライドは捨てることができました。
そして。
ワタシを応援してくれるみなさんがいたから。
そのパワーを自分のからだに入れることができたので、乗り切ることができたのです。
上手に入れてみましょう。
簡単です。
感謝の気持ちを持てればいいだけですから!
今日からやってみて。
自分の位置がかわっていくよ。
大丈夫。
つらくなったらワタシのサロンにいらしてね。
(そのためにもワタシの居場所を作ったのですから!!)
こんなことを言うのはおこがましいですが、ワタシのハートはおっきい方だと思います。
そこにすっぽり入ってみて。
ハートを繋ぎましょう、みんなで。
知恵の輪のように繋いで、日本中の人たちとハートを繋いで輪にするのがワタシの夢であり、それがミッションです。
なので。
新しく立ち上げる企業の社名は
heartloop (ハートの輪)
みんなが幸せになることが、ワタシの悦びです。
追記:
今回、この記事を書くにあたって、ヒントをくださったワタシの大切な友人たちに感謝いたします。
昨日、まさに昨日の出来事でした。
昨日お会いしたのは、今日の記事を書くために機会が与えられた、という感じがしてなりません。
夫の三回忌の前日に、とてもいいヒントをいただきました。
そして、その大切な友人Aさんへ。
ヒントをありがとう。
あまりにもヒントをいただきすぎて、昨夜は精神的に体力消耗してよく寝られました。
感謝いたします。
大切な友人Bさんへ。
苦しむあなたを見ていて心が痛かったです。
ワタシの顔は普通でしたが、つらそうなあなたを見ていて心が泣いていました。
今日の記事の一部はあなたに送るエールです。
がんばって。
ワタシが歩いてきた道を通るだけだから大丈夫。
側にいるから、つらいときはいつでも甘えてください。