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Sister of The Rainbow

THE ALFEEファン坂崎組の私が、坂崎さんを拠点に様々な音楽に出会う記録です。THE ALFEE情報、フォークの話、ライヴレポ、街散策、グルメレポなどいろんなことを気ままに書いています。
最近はThe LOVEの平義隆さんを応援してます☆

私が所属する700人のシンガー、ゴスぺルスタイルで日本の歌を歌い、ウタのタネをまき、ウタの持つチカラと、繋がる喜びを提案しつづける、human note。
海外支援と被災地支援を続けていますが、今、寺尾仁志リーダーと有志メンバーが、11月1日よりケニアへ出発し、活動しております音譜
そして、そのケニアと南三陸町、大阪、東京をリアルタイムでつなぐライヴが開催されますカラオケ

お知らせさせていただきます☆
(human note@関東のブログより)

2011年11月11日 ケニア・大阪・東京・宮城県南三陸町が、ウタでつながります。

その様子を、原宿会場で実感しませんか?

$ヒューマンノート@関東のブログ

human note ウタのチカラでつながろう!
ケニア・南三陸・大阪・東京同時中継ライヴ!


human note として支援活動してきたナイロビの子どもたちと、
支援に協力してくれた大阪の子どもたちをリアルタイムにつなぎ、
コミュニケーションの場をつくります。
地球の反対側の子どもたちとのふれあいを通じて、世界観を感じて欲しい。
そして、東日本大震災で被災した南三陸町へ励ましのメッセージを届けます。
それぞれ、異なる環境の中で生活しながらも、
歌を通して心を通わせ、励まし合うことができる。
そんなウタのチカラを実感します。


日時 2011年11月11日(金) 19:00 - 21:00

場所 ベルエポック美容専門学校 第 2 校舎(原宿)
  (東京都渋谷区千駄ヶ谷 3-57-6)


交通アクセス↓
http://www.belle.ac.jp/access

出演 human note

入場無料!

みなさん、ぜひ、聴きにきてくださーーーい音譜


※南三陸町会場は南三陸ホテル観洋さんです。
http://www.mkanyo.jp/

$ヒューマンノート@関東のブログ


human note 公式サイト
http://www.human-note.com/

human note 東京チームStapleのブログ
http://ameblo.jp/humannote-east/

今までのケニアワーク、カバン作りと学校めぐりの歩み、南三陸町ワーク、などを
まとめた記事がコチラ↓
なぜ、ケニアと大阪と東京と南三陸町か


human note ケニアの活動の様子をこちらの動画でご覧いただけます↓




11/4追記↓

入場無料となっておりますので、予約は必要ありませんが、ご参加を検討いただいてる方は、
ぜひ、お知らせください。

方法は3つ。

1.メンバーに直接申し込み

2.このアメブロにコメントかメッセージする。

3.human note 東京チームStaple 専用アドレスにメールする。
   アドレスはコチラ→ staple.humannote@gmail.com
  (human note Staple専用アドレスができました☆)

行くよ~っていう連絡が、メンバーの励みになります(^o^)/
みなさんのお越しをお待ちしています音譜

human note 南三陸町ワークがご縁で出逢った 榛葉 健さんのシェアを見たのがきっかけで、シギー吉田さんの写真展に先日行ってまいりました。


また期間中に、もう一度行く予定です。


防災対策庁舎と、凛と咲くひまわりに心奪われたんです。

私がここに立ったのは、7月と9月。

7月はがれきがまだまだ防災庁舎の周りにも高く積んであって。

遺族の悲痛な叫びも貼ってあって。

泣きながら祈ったっけ。

9月になると、だいぶすっきりした感じがあった。

まだまだだけど。



シギー吉田さんが写真をとった8月。

向日葵が、強く、優しく咲いていた。







売り上げはすべて南三陸町へ寄付されます。


ポストカードを購入させていただきました。

売り上げはすべて南三陸町へ、シギー吉田さんが責任を持って届けてくださるそうです。

写真展は、今月いっぱい。

港区の田町駅近く三菱自動車本社ショールームで行われてます。


http://www.shiggy.jp/sunflowers/


皆様ぜひ見に行ってください。

写真から聞こえる、被災地の痛みと、復興への活気。

いろんなことを感じてください。


シギー吉田さんは、自分に何ができるかと問いかけ、悩み、松葉づえのカメラマンなんて邪魔になるだけではと迷われながらも、震災から3ヶ月、活動をおこされました。

写真をとること、記録として残し、人々に伝えていくこと、カメラマンとしてボランティアしていく決意を固めたそうです。


私も、そして多くの方がたも、きっと同じです。

何ができるか問い、無力さをなげき、そして自分ができる事を見つけて行くんですね。

だから、シギー吉田さんのお話は、とても共感できました。

意識が高く、素晴らしい方です。

3.11 その時保育園は  


無料上映会へ行ってきました。


その時、園児全員の命をまもりぬいた保育園。

被災した保育園の、その後の記録。

その時の保育士の証言をまじえ、検証していきます。


以下は大急ぎで感想をツイートしたもののまとめ。

限られた文字数ですが、まとまったと思うので、そのまま記録しておきたいと思います。


‎3.11 その時、保育園は。いのちをまもる いのちをつなぐ(岩波映像)


衝撃的だった。

それは、単なるドキュメンタリーではなく、被災地インタビューだけでもなく、防災意識、危機管理講習会でもなく、すべての保育士が、子どもを守るために闘っている、ということにフォーカスした映像だった


普段からの食品防災品備蓄や避難訓練が重要なことは、誰でもわかる。

子どもたちをあずかる施設の多くはそれを震災以前から実地している。

しかし保存方法、置いておく場所、避難ルート、避難目的地。さまざまな教訓を今回得る。


小さな子ども達、特に乳児さんクラスはどうするか?

日頃から、おんぶや抱っこで避難できるよう援助を求め、地域との連携と交流が大事ということ。

保育園児全員の命を守れたのは、職員間の連携だけではなく、地域の方々が手を貸してくれたから
に他ならない。


そして、避難ルートも行政指定ではなく、保育士たち独自で、子どもの足で避難できるか、ベビーカーではどうか? なるべく高台へ逃げるには??等々、検証していく。
311 あの日は、園長が即決し命最優先で山へ迅速に向かった。


通信手段はとだえ、保護者のお迎えもままならないまま、子どもたちを励まし続けた保育士たち。

自分の家族や自分の事は二の次。

備蓄していた食料を居合わせた地域の方々と分け合いながら、2日をすごす。

避難ルートを事前に保護者に伝えていた連携で、保護者とも無事再会。


これらをうけて、多くの課題を各地の保育園が取り組み始めている。

東京ももちろん危機管理はしっかりやらなくては行けない。保育園ばかりではない。

流されてしまった保育園はもうないけど、女川町の園長は、子どもたちを守り住民を
ささえる保育士の仕事に誇りを持っていた。


ドキュメンタリーに出演していた園長たちが舞台挨拶にいらしていた。

福島の園長は、放射能との闘いに奮闘していた。

保護者が安心できるように様々な工夫を。


行政が動き出す前からマメな除染作業と、数値測定とその情報開示。

保護者の気持ちをしっかり汲みとっていた。


福島の保育園。その地域では、今30分だけ外遊びが許されている。


衝撃的だったのは子どもの言葉。

「先生、今日は○○マイクロシーベルト?お外で遊んでいいいの?」

今まで当たり前にできたことができないもどかしさ。

子どもにどうやって指導すればいいのか。せつない。


命を守れたのは、日頃の大人たちの用意と子どもたちへの安全教育。

保育を通して日頃から災害の準備をしておく。石巻の園長がおっしゃった。

想定外ってよく聞きますが災害はほぼ想定外です。

日頃からそれらの準備をし何があっても子どもを守りぬくのが私たちの使命なんです。


保育士は社会的役割と使命が重いです。

それを相談したり息抜きできずにみんながんばっちゃう。自分のことは後回し。

息の長い支援を続けていくためにも、誰かに相談し、時には休み、遊ぶ事も大事です。

心身ともに健康な保育士であるために。

上、レポの連投失礼しました。



以上です。

想定外という言葉を便利に多用し、いろんなことから逃げてきたどこかの誰かさんに聞かせてあげたい、

保育士さんたちの、子どもを守りぬく強い意志。


あらゆる場合を想定し、なにがあっても守り抜く、これが使命。

責任重大かつ、無償の愛にあふれています。


私がもしこの立場だったらできただろうか?

ただただ尊敬します。

いえ、やらなければいけない。

このような子どもをあずかる現場でなくても、災害は、誰でも、どこでも、危機管理を持って、備えなければならない。

そう思います。


そして、守れる命をまもれなかったら、それは、危機管理の甘さの責任だと思います。

この映像で出てきた園長先生は、行政指定避難ルートでは、海に戻るため危険すぎると判断して山へ駆けのぼる判断をしたため全員助かったが、行政はそこまで大きい津波を想定していなかった・・・

福島の原発災害対応本部となるはずで準備されていたセンターは、あまりに近距離で、すぐに避難区域に指定され、空っぽになり機能しなくなった。

311の教訓。

あまりにも、守れるはずだった命までもが奪われている・・・

今現在、危険にさらされている・・・

みなさんは、どう思われますか?




災害時帰宅支援マップ

いまさらだけど、買いました。
あの日、3月11日、安否確認で誰とも連絡とれなくて、不安でたまらなかったあの時、居合わせた見ず知らずの方々と、励ましあいながら、夜中まで歩いて帰った、帰宅難民だったあの時の教訓。
無理はせず、安全第一ですごせるように。



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夕焼けが、キレイだったラブラブ

夜の街みんな同じオレンジな空を見ていたんだね音譜
住宅街のなかで、燃えるような空でした。




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