えこひいきを引き寄せる、

えこひいきされる人になる。
 
今、私がえこひいきソムリエとして
活動している原点は、
幼少期からの経験や学びであることは
疑いの余地がない。
 
時にはジェットコースターのような
半生を振り返る明美の物語。
 
今回は第1話。
 

東京から茨城へ、小3で生活が激変!

手に職を持ちバリバリ仕事をこなすかたわら、
国際色豊かな交友関係を幅広く持つ母を

身近に見ながら育った幼少期。

すごく楽しそうだった母を見ていたから、
大人になったら仕事をして自分で稼ぐ!
その思いが自分の中で自然と定着していた。

そんな環境がガラっと変わったのが
祖母の在宅介護のために

一家で茨城へ転居した小学校3年の時。

完璧主義の母は、

その後約10年、最期までの時まで、

自分で祖母の介護を続けることになる。

中学生になった私は、

学校から帰宅すると

母に代わって祖母の介護をし、

その間に母は束の間の息抜きをしてもらう。

 

東京での生活とはまるっきり違ったけど、

当たり前のようにそうしてきた。

 

この経験は後に、

大学で福祉を学んだこと、

そして長男の誕生へとリンクしていく。

 

華やかな世界で頑張る自分が、母の唯一の希望だった

中学1年の時、

芸能界を目指していた友達と一緒に

オーディションを受けた。

 

『ピチレモン』のオーディションでは
最終選考進出。

第1回全日本国民的美少女コンテストでは
全国43,000人から選ばれるセミファイナリストに。

そして、

ミス日本ジュニアもファイナリスト進出。


いずれも最終選考で落ちたけど、
その頃から「芸能界おもしろいかも」

という思いが芽生えた。
 

母にとって私だけが希望の光

介護一色の生活だった母にとって、

私が唯一の“光”だったことを

私も自覚していた。


だから、私の活躍ぶりを見るのが

母にとって唯一介護を忘れられる瞬間で、

全身全霊の応援をしてくれていた。

その後中学2年の時に

スクールメイツに入所。

 

バックダンサーをやったり、

CMにも何本か出演。

 

 

宝石赤出演したクレアラシルのCM(12:34あたり)

 

 

学校に通いながらも、

週4回表参道に通う生活をしていた。
 

大スターになったら、

学生時代の通知表を

テレビで出すことがあるかもしれない。

 

そんな母の助言と、

元々学ぶことが好きだった素質から

東京への往復の電車内では

いつも勉強をしていた。

 

14歳で芸能界入りし

大人に囲まれる華やかな世界で、

学業にも手を抜かないことで

心のバランスを保っていたのかもしれない。

 

>>転身 ~高校から19歳【明美's story 02】へ