昨日
栗城史多さんのことを書いたんだって
思い返していた今日
書き忘れたことを思い出した
彼がどこの山に登っていたのか全く思えていないが・・・
斜面を登り
やっと少々フラットな場所に登り上がったとき
眼の前に
ある外国の登山者の息絶えた姿が生々しく映ったのだ
気温が低いためだろう・・・
息絶えた姿のまま横たわっている姿だった
その遺体がいつから
その場所に居るのかは全く解らないが
後続の登山者にはどうすることも出来ずに放置されたままだということらしい
その遺体にもビックリしたが
その遺体を見つけて
なお
淡々とゆっくりと登山を続ける彼の姿は
人生を達観しているようだった
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
なにがあっても
自分の人生
自分が登ると決めた人生
その遺体に出会ったのも人生
そこには自分との葛藤があるだけ
「俺は登り続けるだけ」
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
そんな感じだった
カッコイイって思うより
はぁああ~~~すげぇなぁ~~~~~ ( @ ̄Д ̄@;)
って感じ
多分
あんな山々を登り続ける人たちには
常人とは違う感覚が出来るのかもしれない
でも
象徴された出来事だからこそ
あんな状況の映像で解りやすく映るけれども
私たちが普通に生きている状況も
本当はそんなに大差がないのかもしれないなって
なんだか醒めた気分にもなった出来事だった