YouTubeに投稿されている動画も玉石混交。惰性で視聴していると、時間の無駄になるようなのもあります。
そんな中で「これは当たり外れがなく、聴いた時間だけ勉強になる」と折り紙つきなのが『聞く聖書』です。投稿者が広告料に相当する額はきちんと払い込んでいるためか、視聴者は広告に煩わされることもありません。
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降誕祭を前に、この過去記事にリンクされている稔り豊かな問答を思い出し、再読しています。
日食のことを話題にしたので、過去や未来の日食の概況をわたしがどうやって検索しているか、そのデータソースを明らかにしておきましょう。
ここにリブログする過去記事「『日食、サロス周期』リンク集」を開いて、その中の最初のリンク「サロス周期を隔てて起こる類似日食の実例(1)」をクリックし、その記事の最後に紹介してある「NASA Eclipse Web Site」にアクセスしてください。
それによって〇年〇月〇日に日食が起こった(あるいは起こる)こと、およびその概要を知ったら、通常の検索エンジンに戻って、当の「〇年〇月〇日の日食」というキーワードで検索をかけます。すると、過去100年ぐらいの終わった日食や、間近に迫った未来の日食については、たいがいウィキペディアで当の「〇年〇月〇日の日食」という項目が建てられているのを目にすることができます。
たとえば、NASAの↓このトップページから、
Decade Solar Eclipse Tables の 1961-1970 を選択すると、↓この表が現われて、
NASA - Solar Eclipses: 1961 - 1970
表のしょっぱなに 1961 Feb 15 というのがみえます。そこをクリックすると、正射図法の地球半球図の上に皆既帯その他の描かれた「日食図」が現われ、
1961年2月15日に、フランス、北イタリア、旧ユーゴスラビア、ルーマニア、旧ソ連などを皆既帯が通る日食が起こったことがわかります。
ここまでわかった段階で通常の検索エンジンに戻って、「1961年2月15日の日食」というキーワードで検索をかけると、ウィキペディアのつぎのサイトがヒットして、詳細がわかる、というわけです。
(イタリア語版は↓)
Eclissi solare del 15 febbraio 1961 - Wikipedia
↓このサイトもご参考まで。
「先の大戦の真っ最中に、日本国土で観測できる皆既日食が2回あり、しかもどちらの場合も、皆既帯は日本国土と敵地とにまたがっていた」という興味深い話をご紹介しましょう。
そのうちのひとつ、1943年2月に北海道で観測された皆既日食については、わたしは中学生のときから天文マニア向けの雑誌で読んで知っていました。「戦争中だったにもかかわらず」ということが記事の中で強調されていました。
日の出からまもない時間帯に起こる日食だったので、少しでも太陽高度が高くなる土地を選んで観測しようと、観測隊は釧路と厚岸に布陣し、晴天に恵まれて、観測は成功したそうです。
日食の生起年月日を記録するときは世界時を使うので、下にリンクするNASA作成の図では「1943年2月4日の日食」となっていますが、
日本時間では2月5日でした。
このときの皆既帯はアジア大陸東端から始まって、北海道を通過したあと北太平洋に抜け、北米大陸の北部で終わるものでした。日本の観測隊の中には「敵もアラスカで観測するだろうが(現地時間2月4日夕方)、こっちのほうが優秀だ」とかいう競争心もあったとか。
事後の新聞報道にも「敵より優秀な観測成果を挙げた」といった感じの見出しがついていたとか。
昭和18(1943)年2月5日に起こった皆既日食について、東京天文台が厚岸町で観測を行ったことが載っ... | レファレンス協同データベース
実は「戦争中の皆既日食」は1回だけではなく、2回ありました。釧路・厚岸日食より1年半ほど前に石垣島日食というのがあったのです。1941年9月21日のことでした。
それをなぜ「戦争中の日食」として数えない人が多いのか?
「戦争は1941年12月8日に始まった」という戦後日本に広まった誤まった通念のゆえに、1941年9月21日が「戦争のまっただ中」だったことを忘れた歴史記述が多いのですね。
開戦記念日は12月8日でいいの? | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き
このときは日本の観測隊は石垣島に陣取りましたが、敵地・中国大陸には、観測に適する場所がはるかにたくさんあったはずで、戦争中にもかかわらず日食を観測したという中国人はたくさんいたと思われます。
(中国語版は↓)
もしも「交戦中の両国にまたがる皆既日食があった場合には、どっちが日食観測で優れた成果を挙げたかによって戦争の勝敗を決めるべし」という戦時国際法があったなら……などと空想したくなりますが、今の人類の野蛮さのレベルからすると、それは「童話の世界ならありうるかも」といったところですね。
* * *
さらに書き加えておくと、日中全面戦争になる1年前の1936年6月19日にも、日本国土を皆既帯が通り、中国の辺境地帯の一部も皆既帯に入るという日食があったのですが、その時期には後者の土地は日本が占領して「満州国」という「国家」の領土だと称していたため、「日本国土と敵地との両方」とは呼びにくい状態でした(あえて言うなら「日本国土とその占領地との両方」です)。当時日本と中国とのあいだでは停戦協定が結ばれていたので、
「広い意味での戦争中(十五年戦争中)ではあるが、小休止中のできごと」と記述するのが妥当かもしれません。
地球に月という衛星があることが奇跡的な恩恵であることについて、12年前に書いた過去記事ですが、人気記事なのでリブログします。