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彼が亡くなり13年になるショボーン

 

 

 

62歳で自分から旅立ってしまった真顔

 

 

 

人懐っこい

話し好き

誰にも平等ニコニコ

 

 

 

 

嫌・・

弱者に優しかったショボーン

権力や圧力を嫌い

人を利用、踏みつけて這い上がっていくなど毛嫌いしていた。



芸術家(銅板画作家)だが美術年鑑に金を払って載せるなど彼に言わせれば愚の骨頂真顔

 

 

そんな人だった。

 

 

 

 


彼は良く語っていた。

「色は黄色一つでも種類が豊富、初心者でも慣れていなくても、良いもの一流の物使え」

 

 

 



「いいか、絵、作品は最後はだ」と言っていた。

 

 

 

 

 

絵の見方

上野美術館に30回以上一緒に行き、まるで学芸員に説明うけているようだった。

「国宝から見ろ!」

 

目が慣れていく

良いものは飽きず

確かに品を感じる

 

美術館や資料館

随分足を運んだ。

 

 

 

 

 

お金には縁がなかったが娘と絵描きとの3人の生活は奇想天外ポーン

それなりに幸せでありドキドキ

闘いの日々でもあったニヤニヤ

 

 

 

 



彼は知り合った時、既に自殺願望がある人だった真顔

 

 

 

 

 

何度も遺書を残し姿をくらました。

 

 

 

 

その都度探し

ある時は警察からご主人預かってます

あぁ・・・

また始まった

 

保健所から

○○○精神病院に行ってますよポーン

 

 

 

 

病院の奥の奥細い道をしばらく歩くと鉄格子の部屋に彼がいた。

 

 

 

 

 

まるで刑務所の接見のよう

着替え欲しい

本が欲しいetc.

ギャギャ騒いでいる者

色々な人が鉄作の中にいたが

薬で抑えられているのかも知れないチーン

 

 

 

 

ふと

普通の感じで入っている彼が一番自死に近い

危ない感じがした真顔

 

 

 

 

 

 

精神病院では白衣を着たカウンセラーが

「こいう人は何度も繰り返し、甘えることを学習して気を引いているだけ死にません」っと

断言していた。

 

 

 

 

 

そんなことはないショボーン

 

 

 

 

 

 

繰り返して自死してしまった。

旅立って行った。

(資格を持った人のこと悪く云うつもりはないが、学習と実体験、経験は違うものと私は思ったりもしている)

 

 

 

 

それからも自分の居場所を求めるように

さまよっていた。


 

 

一度は服毒自殺を決行

 

 ベッドに横たわっている彼を見たとき、私は固まって立ち止まってしまった真顔

彼は母親が大好きな人、亡くなった母の元に行きたいのではないか?

 

 

違う!

 

 

 119番に電話して救急車をお願いした。

生死をさまよい

結果、生還した。

 

 

 

それからも、相変わらず不器用に生きていたチーン

 

 

 

 

私のお店(スナック)オープン時

私は素人で何も分からず、彼が立ち上げてくれた。

 

彼は昔札幌すすきので情報誌記者をやっていた

夜の店も取材していてそれなりに詳しい人だったので

店はこうあるべき

貸し借りなし現金払い!

酒のたしなみ方

お客様の対応

女の子はこうあるべき

ママの役割

etc.

 

彼らしい拘りの店となり、今でも礎として活かされている。

 

 




彼はお店に自由に出入りしていた



隅に座りお客様と話していた

人懐こく

優しい語り口

教師の様な話し方

(教師であった時期もあり)



話は好きな人

ママの私より

お客様はマスター(絵描きの主人)の方が

僕は良いっと云っていたお客様もたくさんいた。

 

 

 



彼はお店には出入りは自由にしていた





オープンから2年程経った






それは何気ない感じだったが

彼にしては長年積み重なった

越えられない重荷の結果だったかも知れない真顔


 

 




ある日


突然

彼がお店に立ち寄り

いきなり

『お前を愛していた!分かるように守ってやる!』っと云った。

 


 

えっニヤニヤ

 

 

其れを気にかけたがチーン

営業中だったので・・

 

 

 

 

それから、何かえー

変?

変わっている人なのでチーン

 



そして

次の日


 

 

 

 娘から電話が来たびっくり




 

それは、彼の異変に気が付いた娘からの電話

直ぐその場の様子が読み取れたショボーン

慌てて娘は、動揺しながら自分を責めていた。

 

 


大丈夫

大丈夫だから

娘を落ち着かせるようにし

119番に電話した。

 

 

 

「お父さんは繰り返していた

〇〇のせいではない。

あの時も死線をさまよい、助かったでしょ」

 

 

 

 

 

不思議な気がした真顔


何度も繰り返したが

最期はふっと

簡単に、逝ってしまった

 

 

 

 

 

 

あんなに娘を愛し

気にかけていたのに・・

 

 

 

 

 

 

あの時

店に立ち寄り

私に云った言葉は彼の遺言

『お前を愛していた!分かるように守ってやる』

 

 

 

 

 

 

彼は私に対しての労りの言葉

遺された私に対する感謝の言葉

私は彼と生きたて間違っていなかったと思える言葉を遺してくれた。

 

 

 

 

故に、守られていることを確信している真顔

 

 

 

 

 

 

死に急ぐことはない。

 

 

 

 

 

 

娘も子供の親となり

孫もできた。

楽しい未来が想像できず絶望という闇に入ってしまって

抜け出せなかったショボーン

 

彼方の世でどう思っているのだろうか?

どう見えているのか?

母の元に行けたのだろうか?






彼の最期の言葉

私への思いをしっかり受け止めている