ため息をつきながら残念そうに、お話しして頂いた方がおられました。
とにかく夢中になれるものが無くてね、趣味や楽しみもないと思うし生き甲斐がないんだわ。
その時に思った事が、あります。
私も以前、このかたと同様に同じように思う時期が、少しあったのです。
その頃は、一生懸命に仕事をし、食事をし、寝るという
基本的な当たり前の生活スタイルで、
生活自体に面白みもなく何も変化は、ございませんでした。
生活に変化もなく生きていくために、真面目に働き普通に食事をするという生活の中でも、
なぜか、私は趣味や夢中になれるものに固執せず、そんなに思いつめるほどでもなかったのです。
それは、これといったものに執着しないのが趣味であったり、
そして、当たり前の生活スタイルの中でも、たくさんの小さな発見をしました。
仕事帰りに会う、親切なご老人との会話であったり、
たまに食事に誘われ夢を語りあう友人の存在であったり、
時折、出会う道ばたの猫ちゃんであったり、
四季折々の花を眺めながら家路を急いだり、
平凡な日常でしたが、どれも幸せで生き甲斐のある日常であったのではないかと思ったからです。
ですので夢中になれるものは、もう生活の一部にあったような気がします。
それでも夢中になれるものに固執するようでしたら、縛られた環境の中でも、
なんでも興味深く過ごしていると夢中になれるものが見つかるようになってくると思うのです。
私自身思う事なのですが、夢中になれる事は、今を生きるという事なのではと思います。
今を興味深く生きていれば、おのずと夢中になれるものに出会えると思うのです。
最終的に少しでも興味があるものに、どんどん関わっていけば、
それが、自然に私の夢中になれるものになっていくと思います。
そして夢中になれる事など、たとえば何か決断したい時に迷ってしまった場合、
選択の中に、はっきりとした答えをもとめたとしても正解は無いと思います。
選択する時に迷うということは、失敗したくない、良い結果になりたいという気持ちがあるからだと思うのです。
迷ったときは正しい答えというものは、無いと思いますので、もう実行して体感で味わうしかありません。
興味がある事に信じて実行していけば夢中になれるものに出会う事ができる気がします。
ちなみに私が見つけた夢中になれることは、愛情をそそいでいる家族の猫と、お着物と、各地の旅行先での景色や美味しい食べ物を味わう事などです。
自分だけの夢中になれる生き方は、人それぞれです。
夢中になれるものにランクや評価などなく、自分だけの大事な宝なのです。
好みや価値観も違いますので、ゆっくりあせらずに世界を広げていく事ができれば
幸せに生きる意味にも、つながっていく気がします。
夢中になれるものの見つけかたは、今を生きる事の中に意味があると思いました。