古くても本当の事は変わらない。(追記あり) | shumiのブログ

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愛犬リリーが2019年5月に三回目の出産をしました。
これが最後の子育てになると思います。
応援して下さいね。

母里啓子先生。十数年前の新型インフルについての記事ですが

 

現在の事の様で驚きます。

この記事の著者である母里医師や

 

真弓医師、安保医師は

 

「ホンモノ」の「誠意ある」医師でした。

 

残念ながらお三人とも

 

お亡くなりになりましたが。

 

安保医師ー2016年12月逝去

母里医師ー2021年10月逝去

真弓医師ー2021年12月逝去

 

 

 

安保医師のユーモアあふれる講演。

 

米国主導で日本に何がもたらされたか説明する真弓医師。

 

 

 

こちら2つは最近のツイート。自然免疫の凄さがわかります。

 

 

 

こちらは最近ですが、厚労省に物申す小島勢二先生。 真実だから役人は言い返せません。

 

フランスのテレビ実況中継で本当の事を話す記者。

 

 

 

ヒトラーの予言です。

今日から100年後といえば、すなわち2039年1月25日だ。

 

諸君にはわからないだろうが、そのとき人類には真の究極の状況が起こっている。

 

そのとき人類は──少なくとも、いま言っているような意味での人類は、2039年1月に地球からいなくなっているのだ。

 

それは諸君、何かの異変か大戦か災害のために、2039年、人類が残らず滅びるという意味ではない。

 

たしかに、それまでに多くの大難が続けて起こる。1989年から1999年まで、世界は続けざまの天変地異と戦乱の中にあるだろう。

 

そのため一部の恵まれた国を除き、多くの国が飢える。いくつかの国は崩れて燃える。毒気で息絶える街もある。

 

2000年以後は、それが一層ひどくなる。2014年にはヨーロッパの3分の1とアメリカの3分の1が荒廃してしまう。

 

アフリカと中東も完全に荒廃する。結局、いまの文明は砂漠しか残さない。

 

しかし人類はそれでも滅びない。わがドイツの一部と米ソの中心部、日本や中国は深い傷を負いながらも生き残る。

 

ただ諸君、それでも人類はいなくなるのだ。いまの意味での人類は、そのときもういない。

 

なぜなら、人類は2039年1月、人類以外のものに“進化”するか、そうでなければ“退化”してしまっているからだ。

 

それをもっとはっきり言えば、人類の一部はそのとき、人類からより高度なものに進化して、神に近い生物になっている。

 

人類から神のほうへ進化するのだから、それは『神人(ゴッドメンシュ)』と呼んでかまわない。

 

残りの大部分は、これも進化なのか退化というべきかわからないが、一種の機械になっている。

 

ただ操られて働いたり楽しんだりするだけの、完全に受動的な、機械的な反応しか示さないロボット人間になっているのだ。

 

それまでの気候異変と環境異変、政治と娯楽と食物、それから起こる突然変異が、そのようなロボットのような人間を大量に生み出す。

 

神人のほうも同様で、同じ原因から生まれてくる。

 

ただ突然変異が大脳にプラスに働いて、進化の方向がロボット人間と別方向になるだけだ。

 

その前段階の『超人』たちも、より進化して神人になる場合がある。

 

いずれにせよ、彼らはいまの人間の数次元上の知能と力を持つ。彼らは団結して地球を支配する。

 

それまでのあらゆる危機や問題は、彼ら神人たちの知能と力で急速に解決されていく。

 

ロボット人間たちのほうは、それに従って生きるだけだ。

 

これはある意味では気楽な身分だ。戦争も気候も経済も、神人たちによって制御されてしまうので、ロボット人間たちは神人たちの認める限度で、多くのものを与えられる。

 

食物と住居も、職業も娯楽も恋愛も教育も、時には思想さえも与えられる。

 

ただロボット人間たちは、与えられ、操られていることを意識できないようになる。

 

自分たちの意識では、何もかも自分で選択して勝手に生きているのだと思う。

 

しかし、じつは神人たちがすべてを見通して、管理工場の家畜のように彼らを育て飼うことになるのだ。

 

こうして人類は、完全に2つに分かれる。天と地のように、2つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。

 

一方は限りなく神に近いものへ、他方は限りなく機械的生物に近いものへ。

 

これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態を続ける。

 

そしておそらく2089年から2999年にかけて、完全な神々と完全な機械的生物だけの世界が出来上がる。

 

地上には機械的生物の群れが住み、神々がそれを宇宙から支配するようになるのだ。

 

 

 

追記します。

伊丹万作さんの言葉

 

伊丹万作『戦争責任者の問題』(1946年8月)より抜粋

…また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったにちがいないのである。

つまりだますものだけでは戦争は起こらない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起こらないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。

そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである…

…このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。

それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

…「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。

戦争責任者の問題