雨上がり
山の稜線のきれいな朝でした



「砂」というお題で書いたエッセイです



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砂というもの


40代の頃、カウンセリングについて学んでいた。教員の仕事をしながら、土日は講習会に足を運んだ。よほど得ることがあったのだろう。時には覚えたての○○療法もどきを教育現場での対応に取り入れたこともある。そのなかに『箱庭療法』があった。クライアントが、砂の入った箱の中に、ミニチュアの玩具を思いのままに置いたり、砂を使って自由に何かを表現したりして遊ぶことによって行う心理療法だったと思う。

無謀にも私は、この学びを教室で実践したいと思ってしまった。同僚が板を組み立て長方形の箱を作り、水色のペンキを内側に塗って下さった。砂は、自分で用意した。買った砂を何度も篩にかけた。触って心地よくなるまで続けた。玩具は100円ショップで。準備は整い、教室の片隅に置いた。ただ、セラピストではない自分が、この箱をどう生かすか。日々考えていた。

小2の担任をしていた時のこと。1人の男の子が、家庭の事情が原因で、心身の不調を訴えるようになった。表情がだんだん暗くなっていく。私は、2人だけの時間を持つことにした。そして彼に、箱庭で自由に遊んでもらった。何の会話もなく、砂の音だけが広い教室に残っていく。夢中で遊んでいる小さな背中を、私は見ていた。約束していた終わりの時間が来た。手の砂をはらう彼の顔は、どこかすっきりしていたと感じたのは気のせいだろうか。

その頃の私には、彼の創った世界から何かを見抜く力はなかった。けれど、心を痛める不安感から、いっとき解放されたことだけは分かった。

特別支援学級を担任した時も、箱庭は静かに活躍してくれた。半分が遊びの場である教室に、普通学級の子どもがちょくちょく来た。やはり心に困ったことを持っている子だ。10分の休み時間に、砂で遊んで帰っていくのである。いい気分転換をしたかのように。

砂は、不思議な魅力を持っていると思う。裸足で砂浜を歩いた時に感じる、柔らかさや心地よさからくる解放感に、きっと繋がっている。



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小2だった子どもは  もうお父さんになったと、その子の母親からの年賀状で知りました


40代はいろんなことにチャレンジしました
ただ、カウンセリングの学びは  訳あって  あと少しというところで断念しました
でも   何かの役に立っていたと思います




柊の花ゆきすぎてふと香る
                                       アマンバ