秋晴れです☀️
窓を開けるとちょうどよい気温です
金木犀の香りが入ってきます
今は
9月に書いたエッセイです
1600文字ですので長々となります
また 纏まらない文章だなと自省する点がいくつもあります
よかったら 目を通してくださいね
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電話の音
元旦の朝、電話が鳴った。思わず受話器を手に取ると、男の人の声で「もしもし」。小学生の私は、反射的に「わぁー!」と泣いた。その頃何故か、電話の男の人の声に恐怖心を抱いていた。この時の相手は叔父さんで、新年の挨拶の時間についての用件だったらしい。翌日会うと「びっくりしたのはこっちやわ」と笑いながら言ってくれた。たしかに、である。
もう1人の叔父さんのびっくり電話という思い出話もある。
高校生の時のこと。思わず取った受話器を耳に固まったのだ。教師をしていた叔父さんは、必要に迫られ、英会話の勉強に励んだ。早起きしてラジオで学んでいた。私が英語が好きと知っていて、電話で「ハロー」から始まって、ペラペラと英語でいろいろなことを聞いてきたのである。読むのは好きだけど、聴くのは大の苦手。叔父さんは「○○ちゃんは会話は苦手かー」と、やはり笑って言った。忙しいなか、こんなに話せるようになった叔父さんは努力家だと、その時思ったものだ。ともかく、1人でいるときの電話の音は好きではなかった。
大学に進み、下宿生活に入ると、その点、気楽だった。大家さんが取り次いでくれたからだ。階下から大きな声で「○○さーん、電話だよー!」と知らせてくれる。安心して受話器を取れた。隣の部屋の友人なんて、毎晩のように彼から電話がかかってきていたような……。これは余談。
所帯を持って初めて、自宅の電話を持った。「もしもし○○です」とはっきり応えなくてはならない。観念したのも束の間、早々に、朝1番の電話の音にドキリとする事件が起きたことがある。以来、私は今度は、朝の電話に怯えるようになった。朝の電話には、たいがい幸せな知らせはない。
その怖れが現実となった、悲しい出来事がある。
朝の7時頃だった。リーン、リーン。嫌な予感がした。受話器越しに、学生時代からの友人の声がする。「あのね、驚かないでね」。そう言ってから、当時のクラスメイトで、下宿も近かった友の訃報を聞いた。さあっと、彼女の優しい笑顔と声が流れた。それから、胸が詰まった。泣いた。電話の向こうで友人も泣いている。まだまだこれから、楽しい子育ての時が待っているのに…。
私は朝の電話の音がますます怖くなり、1番先に受話器を取ることをためらうことが多くなっていったのである。
あの頃を思うと、今は本当に気持ちが楽だ。固定電話が鳴ってもほとんどがセールスだから平気。急なことは、ラインメールが多くなった。携帯の着信音が鳴っても、相手は誰かすぐに分かるから対応に戸惑うことはない。気持ちを整える一瞬がある。通話する場所も選べる。
でも友人の中には、以前の私のように、「急な電話にびっくりするから、まずメールしてくれるといい」と言う人もいる。よく分かる。また気を使って、メールで「電話してもいいですか」と訊いてから、電話をしてくれる人もいる。以前には考えられないことだと思う。
とにかく便利な世の中になった。いつでも誰かと繋がっているという安心感があるし、急な出来事に慄くこともない。けれど、それに対してさっと対応できないようになってきているのを感じる。
時折、あの固定電話のゆっくり回るダイヤルやぎゅっと握って話せた時を思い出す。携帯よりも心の深いところで言葉を交わしたような気がするからかもしれない。あんなに怖がっていたけど。
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あきざくら
青空と話したいのね秋桜
アマンバ