だんだん蕾が膨らんできています


これから


冬になるときの


暖かい色です





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2016年に書いたエッセイです




待合室


昼間は、1日に1本くらいしか走っていない電車に遅れては大変と、いつも早めに駅に着く。若狭を走る小浜線の小さな駅だ。けれど、待合室には入らない。ホームのベンチで電車を待つ。待合室にいると、心寂しくなってしまう。そこは、コンクリートの壁に囲まれ、年中うす暗く、人の気配がない。殺風景な部屋には、1分足りともいたくないのだ。いつの間にか変わってしまった風景への違和感とともに、戻りはしない昔を、1人、つい懐かしむのが切ない。


最近、関東の方から帰省する友人も同じ気持ちと知った。そして、在りし日の話をともに思い出した。


狭い待合室の隅っこに、畳2畳くらいの売店があった。所狭しといろいろなものがぶらさがったり、並べてあったりした。お土産品。オモチャ。お菓子。雑誌。まだまだ……。夏場になれば、カラフルな浮き輪も揺れていた。友人は、毎月発行の少女漫画本を買いに行った思い出があるという。私は高校の帰り道、パンの買い食いをしながら、冷たいフルーツジュースをよく飲んだ。


おぼろげな記憶が、しだいに鮮やかになっていく。人々のざわめきが聞こえる。関西弁に似たアクセントの方言が飛び交う。大人は腰掛けに座って、談笑。高校生は、あちこち仲よしグループで束になって、お喋りしている。


はっきりと、耳元に流れていく。寒い冬の待合室は、暖かだった。


今やすっかり幻になった。そうさせたものは何だろう。車社会に変わった。山を壊して、便利な道路が何本もできた。産業が衰え、住む人が減った。お年寄りには不向きな、階段の昇降がある。


でもこれは、私の故郷(ふるさと)だけの現象ではないと思う。寂しい待合室が、あちこちでひっそり椅子を空けている気がする。


ホームの向こう、緑一面の田圃を背景に、電車が小さく見えてくる。軒下に下がっている、たくさんの風鈴がチリチリと鳴っている。澄んだ音と空気に見送られ、ひっそり帰路に着く。




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先日、故郷の姉のメールで


この駅前にあった


いろいろな店が姿を消したと知りました




新しいことが


始まるのでしょう




今度帰省するときには


どんな姿に変わっているのでしょうか




回りが


未来へ  未来へ   と進むなかで


私の心は


過去へ  過去へ   との追憶に走ります




そこには


たしかに昭和の暖かい空間が存在したことを


忘れないでいたいなと


そう


思ったりしているのでしょうか





                                   

冬ばらの薄紅美しき無人駅




先のエッセイを書いた頃に詠んだ俳句です

こういう駅が  ぽつぽつ  増えていくのでしょうか