新型コロナ蔓延の頃、
所有別荘地を、本拠地に変えた人がいる。


大手企業役員でもある彼の頭脳は、
時代を先取りするスタイルを創り出した。
広大な敷地に自然と融合した居住空間。
日々刻々と新しい命が育まれる中、
心豊かな毎日を送っている。

 

我が家にも、自宅から離れた場所に別荘があったが、

維持に多大な負担を伴ったため、思いきって処分した。

初春には、雪に朽ちた箇所の修繕に、
晩秋には、屋根に降り積もる落葉の掃除に、
ため息とともに向かったことを思い出す。

 

建物も、人間の温もりの中で命を宿す。

 

庭の梅が満開を迎えている。

 

冬から春へと移ろうなかで、
「早春」を知らせる梅が満開になった。
梅にもいくつかの種類があるらしいが、
その知識をもち合わせていないため、
詳しいことはわからない。

 

今回、AIを取り入れた。

庭に池があった頃と現在の写真をマッチングし、
余分な背景が入らないようにと加工処理を施した。

 

実際の景色とは異なったが、
幼い頃の懐かしい思い出が蘇った。

 

 

 

 

 

 

 

母家から少し歩いた場所に、はなれがある。
雨の日になると友だちと遊ぶことも課外活動もないので、
少年時分、はなれの応接室で過ごした。


書棚に並べられてある事典や文学書等を読むようにと、
父親から課題を与えられていたのが理由である。
はじめの頃は全集への抵抗感著しいあまり、
さして積極的に取り組むこともなかったが、
その修辞法に魅了されるようになり、
わからない漢字や意味を辞典で調べながら読み進めていった。
特に近代文学を代表する作品は、

その物語に入り込む感覚にまで浸った。

ここで繰り広げられる物語(読書)を通じて、

「直接体験」「間接体験」「疑似体験」を未来へ向けての

『生きる知恵』として味わうことができた。
茶道・華道などの習い事は、

生き方の「道」を学ぶ、人としての在り方や

無心の美を身につける位置づけであり、

歴史は史実整合と未知への教訓になる。
また、日本史や世界史からは、

国家は総じて「創造と滅亡」を繰り返しており、

中国史から知得したのは、

偉人や知識人達の躍動によって国家が創造され、

中央政府や役人の退廃や乱れで国家が崩壊することである。

 

文学から得たものも少なくなく、いつの時代にも、

善人と悪人、成功する人失敗する人が存在し、

それぞれ人との出会いで運命を変えられていくという、

関数と方程式のように人生が導かれていく。


この時期の読書によって、

その後の人生を予感することができたとどうじに
多少なりとも生き方のしるべになったように感じている。
雨天時の読書は、小学4年から中学2年まで続いた。



◎応接室にあったもの
現代文学全集
世界文学全集
短歌撰集
俳句撰集
裏千家茶道関係書
日本の歴史全巻
中国の歴史全巻
世界の歴史全巻

 

初春から晩秋の間
暇を見つけて訪れるこの場所は、水辺のプライベートエリア。
他の人が入ってくることはない。
植物栽培、野鳥観察、虫採集等、童心に返り自由を満喫する。

木々の芽が開き、若葉広がる繁殖の時期。
ウグイスをはじめ、いろいろな小鳥がさえずり 飛び交う。
枝に止まった一羽に静かに近づき、双眼鏡を覗く。
中には、自分が近くにいるにもかかわらず、枝に寛ぎ、羽を休める。

 

椅子に深く身を沈め、水辺を眺めながら、風のさやぎを全身で感じる。
ここにいると、いつの間にか穏やかな自分になる。

 

 

春の気配が、まだ冷たい空気の奥でほどけはじめるころ、わが家に雛壇を設えた。

桃の節句を前に、静かに整えられたその姿は、季節の訪れを告げる合図でもある。


古い書物には、雛人形や兜飾りは子どもの健やかな成長と幸福を願い、

守り神として、あるいは子どもの形代として祀られてきたと記されている。

それは単なる装飾ではなく、愛の結晶なのだろう。


雛の穏やかな面差しを見つめていると、これまでの歳月が静かに胸をよぎる。
出会いと別れ、歓びと痛み。
その一つひとつが、今という時間へとつながっている。

縁とは、摩訶不思議なものだ。
求めて得られるものでもなく、拒んで遠ざけられるものでもない。
気づけば掌にあり、いつのまにか心をかたちづくっている。

春は、ただ華やぐ季節ではない。
凍てついた地の下で耐えてきた命が、再び息を吹き返す季節だ。
だからこそ、その明るさは尊い。

すべてが幸せに包まれる日々であれと願う。
それは理想であり、愛であり、そして覚悟でもある。

静かに飾られた雛壇の前で、ぼくは今日も春を待つ。
希望とは、訪れるものではなく、迎えにいくものなのだと信じながら。

幼い頃の思い出が、この雛壇に描かれているように感じる。