20年程前の事です。

デパートの子供服売場で働いていました。


色々な母親を目の当たりにしました。


泣き出した子供に『勝手にしなさい』とひとり先に歩き出す人(私の母はこのタイプでした)

しゃがんで子供と目線の高さを合わせて話す人。


無意識に眺めていたのですが、ふと思った事があります。

もし、私の母が目線の高さを合わせて話してくれる人だったら。

私は、母を《大好き》で居られたのではないかと。


母に目線の高さを合わせて話す母親の話をすると。

『昔はそんな悠長な事してる余裕なかった』とバッサリ切り捨てられました。


母は過保護(?)で過干渉な人でした。

全てを自分の思い通りにしないと気が済まない様です(現在進行形ですが)。

『○○がしたい』と言うと『駄目』の一点張り。駄目の理由も言わず、

『しつこい』で終わらせ様とする。

子供の自主性などもお構い無しでした。

頼みもしない事を代わりにしたり、自分の好みの色の物を買い与えていました。

私が勇気を出して、自分好みの色の物を買うと。「あっちの方が良かったのに」と言い続けます。


また、母は負の感情を何故か私にばかりぶつけて来ます(姉に言っているのを聞いた事が無い)。

『あんたみたいな子が親を殺すのよ』

ちょっとした口喧嘩になった時に母の口から出た言葉です。

返す言葉を失いました。


いつしか、母の意にそぐわぬ事をする事に罪悪感を覚える様になりました。

そして。

母と居る事が息苦しくなって行きました。


著名なカウンセラーの書いた本を何冊も読みました。

心療内科にも通いました。

が。

心に響く答えが見つけられませんでした。



月日は流れ。


ある日、何気に読み返した本の中の言葉に目が行きました。


『あなたの人生はあなたの物』


良い言葉も心に響くタイミングがあるのでしょうか。


母の好みじゃ無くても。

私のしたい様に生きて良いんだ。


私は、母を拒む事に罪悪感を感じ。そんな自分自身に嫌悪感を感じていたのかもしれません。


根っこの根っこでは、母への思いは幼い頃と変わっていないのかもしれません。


母の心中を考える余裕も出て来ました。


母もまた、不器用で悲しい人なのかもしれません。


まだ、息苦しさは完全に消えていません。


いつか。


母に心から笑い掛けられる日が来ると良いなぁ➰と思える様になりました。。