この日は実家の階段に手すりをつけるための業者さんが朝から来る予定でしたが
土曜日で孫の小学校で展覧会が行われたので見に行きたくて
弟に実家の方を頼み、朝から小学校で気分転換をしていました。
いつものごとく、母から電話があり、なんだか業者さんが来てるけどわからないと。
もちろん事前に説明はしていたのですがすっかり忘れているのです![]()
弟も約束通りの時間には来なかったらしく![]()
母はパニックを起こしていました。
私は弟に腹を立てつつ、まぁ仕方ないやと展覧会を楽しみ、
終わったらすぐに実家に駆けつけました。
ちょうど手すりの工事が終わり、業者さんが帰る準備をしていたので
玄関のあたりで話をしていました。弟ももう到着していました。
そこへ買い物に行っていた父が戻りましたが、めずらしく開口一番に
「なんだか頭がボーッとするんだよ」と言いました。
普段は自分の体調の事などめったに口にしないので、なんだか嫌な予感がして
父に注目していると一度見にいったポストをまた見に行ったり
私が荷物を持つよと言うと、いつもなら大丈夫だよと強がるのに
すんなり引き渡したりと、やっぱり少し変だなと感じました![]()
業者さんが帰り、家の中に入ったあとも、買ってきた物を冷蔵庫にしまうのですが
そのしまい方があまりにも乱暴で、めちゃくちゃで、
いつもの父の行動とはかけ離れたものでした。
嫌な予感がいっぱいで心臓がドキドキしました。
それでも嫌な予感は当たって欲しくなく、まだ様子を見ていました。
昼になりカップラーメンを作ろうとするのですが、手元は震えなんだか落ち着きが無くて
危なかっかしくて見ていられない感じでした。テーブルまでラーメンを運ぶのもやっとで
お湯をこぼし「ちきしょー!」と両手を挙げた姿が今でも思い出されます。
危ないので横で見ていましたがやはり行動はおかしく
食べる時も口から麺が出ているのにそのままだったり
なにより、とにかく食べ物を残すなんてしない父が、ラーメンを半分以上残し
しかも流しにざーーっとそれを流すのを見て、
これは絶対に変だと確信しました。
その後もやたらとよだれが出たり、だんだんとろれつもまわらなくなり
私も弟も、救急病院に行くしかないと決心しました。
救急病院に電話をかけると、対応できないので救急車を呼ぶように言われました。
本人は、体は元気なので、救急車など大げさで大丈夫だと言い張りましたが
脳のことだから一応診てもらおうねと説得して救急車を呼びました。
--------------------------ここまでは以前少し頑張って書いた分です。辛くてこれ以上無理でした。
今もこの日の事を思い出すのは辛いのですが少しずつ書いていこうと思っています
文脈が少し雑になってしまうかも知れませんがお許しください(2019.10)
救急隊員が来てからも、父は大丈夫の一点張り。
何とか説得して救急車に乗ってもらう。頭のことなので横にもさせられず
座った状態のまま担架に乗せられて行きました。
「こわいこわい」と言っていた。
自分がまさかもう二度とこの家に帰って来られないなんて思わなかっただろうな。
私だって夢にも思わなかったよ。
--------------------------ここでまた中断してしまった。
2020.6月 続きを書きます。
そもそもどうして父に突然こんな症状が出たのかというと
この数日前、いつものように母のわがままで夕方、
少し暗くなってから自転車で買い物に出たのです。
暗いし、直前に帰ったばかりだったので私が代わりに行くよと言ったのですが
母があまりにも強く言うので父も意固地になっていて
俺が行くと言ってききませんでした。
もちろんこの時、自分が買い物に行かなかった事を気が狂うほど後悔しています。
帰宅すると転んでしまったと言いました。
頭を打たなかったか聞くと打ったかも知れないと。
ここで病院に行かなかったのも私の判断ミスです。
何も異常がなかったのに、数日経って急にあんな事になるなんて
思いもしませんでした。
救急病院に運ばれたあとは血の塊を抜く簡単な手術をしてもらい
そのまま入院していました。
脳の損傷のせいか、急な入院だったせいか、父には強いせん妄状態が出て
見ていられないような状態でした。
何か見えない何かが見えているようにキョロキョロと目を動かして
訳のわからないことをブツブツ言ったり
とにかく家に帰りたいと小さな子どものように暴れたので
抑制されて、傷跡を触らないように鍵付きの手袋までされて
姿を見るのが辛かった。
私には母の介護も仕事もあり、病院が遠かった事もあって
父のことは車を持っている弟に任せがちだった。
正直、私は父に24時間ついていたいくらいの気持ちだったけれど
できなかった。
看護師は冷たく、良くしてもらえてないのがわかっていた。
私がずっといれば看護師だってそんな態度できないだろうにと悔しかった。
でも、少しすれば退院できると思っていた。
母を心配して帰りたい、これをはずしてくれと
ずっとずっと言っていた。
私が行って手を握ると嬉しがって泣いていました。
一時、挿管されそうになったけれど何とか逃れた時
本当に安心して嬉しくて嬉しくて
帰りたいと叫んでいる父を笑いながらなだめて母の元へ帰った。
それが最後でした。
急変の電話があって駆けつけた時にはもう意識はなかった。
もう、何も取り戻せなかった。