震災から1年 | あぁ、ピヨッコ人生・・・

あぁ、ピヨッコ人生・・・

仕事の事・趣味の事について日々徒然と・・・

“忘れないこと”



もう1年経ってしまったんですね。長かったような、短かったような。


1年前のあの日、自分は仕事でお客さんの所に居ました。


午前中の現場を仕事仲間の若手クンに託して、上司が待つ別の現場へ。


そこでの作業を終えて玄関で靴を履いている時に、地震に遭いました。


中に居たら危険だと思い、とりあえず外に。


しかし、なかなか収まらない揺れに立っていられず、駐車場のポールにつかまりながらしゃがむ。


その時の周りの家屋から発せられる“ガタガタガタッ”“ギシギシギシッ”という不気味な音と


映画でも観てるかのような、建物が平行四辺形にゆがみながら揺れる光景は


今でもしっかりと覚えています。



初めて訪れた地から上司と共にバスを3本乗り継いで、夕方にようやく仕事場のお店へ到着。


これは多少の土地勘があった上司のおかげであり


自分ひとりでこの地に居たら、こんなに早くお店には辿り着かなかったと思います。


それと何よりもありがたかったのが


“アメなう”や“イマつぶ”で状況をつぶやいていてくれた、知り合いの方々。


お互いの無事を確認し合ったり、テレビに映される惨状を教えてくれたり。


離れた場所でそれぞれが困難な状況に向き合っていても


“自分はひとりではない”と不安を和らげてくれる、そんな仲間の大切さを感じました。



お店に向かう時の、街を包みこむあの何とも言えない重い空気。


曇り空だったから。ものすごく寒かったから。


そんな理由ではない“何か”があったんだと思います。


いまでもはっきり覚えています。



上司と仕事仲間の男の子と3人で仕事場に泊まり込むことにしたのだけれど


結局眠ることができなくて、ワンセグで報道番組をつけっぱなしにして事務所で夜を明かす。


そんな中、明け方4時ごろに20分の間に緊急地震速報が立て続けに3回鳴り


さすがにこの時は、“日本は終わる”と思いました。



そんな中でも“アメなう”や“イマつぶ”でのやり取りは、少しだけ心を落ち着かせてくれました。


新潟に住んでる知り合いの安否が確認できたり


四国に住んでる知り合いが自分たちを心配してくれていたり・・・。


本当にありがたかったです。



自分は直接被災した訳ではありません。


それでも、岩手に住んでる自分の大切な人が震災に遭い、一時安否が確認できませんでした。


仕事中は考えないようにしていても、ニュースで流れる岩手の惨状を目にするたび


胸が苦しくなり、涙が溢れてきました。


自分だけじゃない。日本中にもっと悲しい思いをしている人が、たくさんいる。


そう考えると、ニュースの映像を直視できなくなりました。


そんな落ち込む自分を励ましてくれる知り合いもいて


改めて仲間のありがたさを感じました。



幸いなことに、自分の大切な人とは後日連絡が取れ、無事を確認できました。


無事を知らせるメールは仕事に向かう地元駅のホームにいる時に届いたのですが


嬉しくて、ホッとして、階段の陰で泣きました。



そして、日本中で様々な動きが起こりました。


募金だったり、計画停電だったり・・・。


毎日のように通る渋谷駅前も、もはや震災前の明るさを思い出せないくらい


照明や街頭ビジョンが消されて真っ暗な街へと変わりました。


身近な所でも募金箱が設置されたり、チャリティコンサートなんかも催され


微力ではあるけれど自分も協力しました。



でも、いつの間にか暗かった街の灯りは昔のような明るさを取り戻し


募金も意識することがなくなってしまいました。


震災から1年経った、今日。


こうやって震災のことを色々と思い返してみましたが


当時のことは“当時のこと”として覚えていても、それとは別の“今”を生きている。


良くも悪くも。


うまく表現できないんですけど、そんな気がしました。


日々更新される“今”によって“過去”が薄れていくのは


人間なのだから当然なのかもしれません。


それでも大事なのは、“忘れない”こと。


常に何かをし続けるのは難しいけれど、1年前に感じたことを“忘れない”こと。


それが、この先の“何か”に繋がるかもしれない。



いつもに増してとりとめの無い文章になっちゃいましたが


あれから1年経った今日、そんなことを思いました。