みんなの党で浮き彫りになった課題は希望の党に活かされるか?
こんばんは、あけど亮太です。
10月5日、6日と消防組合の視察に出ており、無事にケガもなく帰宅できたのでブログを一本。
視察は北へ那須→盛岡と新幹線を乗り継いで行ってまいりました。
その新幹線でのニュースや新聞とあちこちで選挙の話題が目に飛び込んできましたが、中でも特に多くの紙面を飾るのはやはり新党「希望の党」に関する話題です。
間違いなく風の吹いている政党ではありますが、これだけの話題性とは裏腹に、希望の党の今後に感じる不安をブログに綴りたいと思います。
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私は2010年に「みんなの党」に入党、2011年の選挙を経て解党の2014年まで所属をしていました。
みんなの党は設立から解党まで約6年、うち5年間を党の一人として活動をしてきましたが、今考えてもみんなの党は画期的な政党でした。
一地方議員の私が代表と席を並べて議論をしたり、当時の政調会長が私の市政報告会に参加をしてくれたりと、地方を重視したスタンスであることは明確でした。
とはいえそれは地方議員が数少ないからこそできた対応であり、これが歴史ある政党のように地方議員全国数千人規模では叶わぬ対応でしょう。
裏を返せばそれはみんなの党が「地方自治体に弱い」ことの現れでした。
なぜなら、みんなの党は時間をかけて作り出した実績の積み重ねで国政の議席を増やしたのではなく、良くも悪くも時代のニーズをとらえ瞬間的な期待感で国政の議席を増やしたために、地方議員を育てる時間がなかったからです。
その為、国政選挙となれば縁の下の力持ちとなるべき地方議員が貧弱であるという欠点を抱えていました。
そんな時に党への風がやめば、国政選挙を支える地方議員がいないから当選する見込みがない。その結果、生き残りをかけた国会議員は政党を離脱する口実に批判的な発言を繰り返し、互いの溝は深まりやがてみんなの党は内部から瓦解してしまいました。
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この反省から私が学んだことは「政党は時間をかけて大きくする」事です。
確かに報道で毎日のように目にする華やかさは人を惹きつけ投票行動に大きな影響を与えます。
しかし、それは一種の麻薬のようなものであり、本来議論すべき政策論争から目を逸らしてしまうことに繋がりかねません。
地方から国を支えるためにも、希望の党には一過性の風に頼るのではなく、根を張った選挙運動、さらには議席を得たのちにはドブ板の活動を大事にしていただき、風に頼らない選挙を戦える政党へと成長してもらう事を切に願っています。
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川越市議会議員 あけど亮太
現在二期目1981年2月20日生まれ
川越市石原町生まれ、川越育ち 川越市立名細小・中学校出身
2011年 みんなの党にて立候補 一期目当選
2015年 みんなの党解党に伴い無所属にて立候補 二期目の当選
市議会議員として日本で唯一の「JAPAN MENSA」会員
ファイナンシャルプランナーとしてお金にまつわる講演を実施