昨日、4時頃に眠剤と導入剤を飲んだのだけれども効きが悪く、なかなか寝付けず。困ったもんだ。
ウダウダしながら、布団の中で『喜劇人に花束を』(新潮文庫 小林信彦:著)の、藤山寛美の章のみ読了。
次いで、『人間臨終図鑑 Ⅰ』(徳間文庫 山田風太郎:著)を読み始める。全4巻らしいのだが、先日、古書店で1巻だけ売られていたのを買って来た。この1巻目は、【十代で死んだ人々】から【四十九才で死んだ人々】に関する文章が収められている。総勢239人。あー、目次で人数を数えるだけで大儀なこと…… 国内外問わず、時代も問わず、有名人ばかりがズラズラズラーっと。本書では、八百屋お七に始まり、山下清まで。太宰治の次が力道山、といった具合。中原中也の次は、なんとネロである。幅が広い。ただ、ジプシー・ローズについて書いてあるのに、アルチュール・ランボーは華麗にスルーされていたりする。不思議。風太郎先生は、詩人よりもストリッパーがお好き?
なにせ、239人。数頁を費やして紹介される人物もいれば、サラリと触れられるだけの人物もいる。山崎晃嗣(やまざき あきつぐ)なんて、たったの5行。三島由紀夫の小説『青の時代』のモデルにもなった人なんですがね。東大在学中に、高金利金融会社の光クラブを設立して悪どく儲けた山崎だが、ほどなく経営破綻。破産。同時に、人生も御破算。青酸カリを飲んで自殺する。その遺書に記されていた文章の一部。
【(契約は)死人という物体には適用されぬ。……貸借法すべて精算カリ自殺】
タイプミスでは無い。「精算カリ自殺」で正しい。
これを、山田風太郎は「ふざけた遺書」とバッサリ。いや、ホント、ふざけている。ただ、三島由紀夫や山田風太郎の筆を動かしたのは、まあ凄い。例え5行であっても。その生き方には全く感心しないけれども、ね。
と、ここで「生き方」と書いた。「臨終」に着眼して書かれた文章ばかりであるのだが、「死に方」を書くということは、「生き方」を書くことなのであるなあと、ハタと気付いた次第。ハタと。ええ、ハタと。ハタハッハ♪(←古いな……^^;)
梅川昭美(うめかわ あきよし)なんていうトンパチも出てくる。この本の欠点は、人名に振られているルビが、しばしば間違っていることだ。本書では「うめかわ あけみ」となっている。これは「うめかわ あきよし」が正しい。梅川昭美は、昭和54年1月26日14時半頃に大阪の三菱銀行北畠支店に押し入って籠城。28日に射殺された。コイツは、ホント、人格がブッ壊れている。鬼畜である。詳しく知りたい方は『破滅 梅川昭美の三十年』(幻冬舎アウトロー文庫 毎日新聞社会部:編)を参照のこと。『TATOO 刺青あり』として映画化もされており、こちらも秀作だが、事実をそのまま知りたければ、前掲書をおすすめする。ただ、この事件が発生した当時、僕はまだ2歳。記憶に無い。
僕が、リアルタイムで、その死を知る人物と言えば、永野一男である。悪名高き豊田商事のドンであった。昭和60年6月18日、午後6時半頃、報道陣約30名が、永野の居室である「ストークマンション扇町」の一室の前にひしめいていた。そこに、2人の男が現れ、ドア横にあった窓のアルミ桟をぶち破って、侵入。永野は全身を13箇所切りつけられ、刺され、絶命した。この模様が、テレビで全国に生中継されたのである。男2人が侵入する様子も、部屋の中から聞こえてくる格闘の音も、返り血に塗れた状態で出て来た男2人も、そして、永野一男の血まみれの死体も、その全てが生中継されたのである。まだ幼かった僕にとっては、これはトラウマになった。後に、オウム真理教の幹部信者であった村井秀夫がテレビカメラの前で刺殺されたが、永野の最期と比べると、村井の最期は呆気なく感じられたものである。けれども、よくよく考えると、どちらもキツい。どちらの様子も、まざまざと記憶している。映像の力は凄い。書籍からは少し離れるが、永井の死に様は「自業自得」である。当時は、まだ幼かったので「ヒヤアァァァ~~っ!!」としか思わなかったのだが、随分と後に、事件の経過を知り、「自業自得」と感じた。「死に様」という言葉が頭に浮かんだ。「死に様」で正しい。無様である。様は無い。対して、村井の場合、「消された」と感じたものだ。永野の死を「天誅」と感じた人は少なくないであろう。人を騙しまくったのであるから。以下は、永野を殺害した男の一人飯田篤郎の弁。
【法律は手ぬるい。わしらがやらんかったら、ほかにやる者はおらん】
尚、永野を殺害してマンションのドアから出て来た飯田は、「やった」と言った。はっきりと覚えている。「やった」と言った。しかし、この「やった」を、まだ幼かった僕は<快哉の「やった♪」>だと受け止めた。血みどろの快哉。凄惨な快哉。その時に感じた違和感が、しばらく抜けなかった。この「やった」が「殺った」であったのだと理解するのは、これまた随分と後のことである。
しかしまあ、<十人十色>という言葉があるだけに、人の死に方もそれぞれである。千差万別。同じ死なんて、ただの一つも無い。ということは、同じ生というのも、ただの一つも無い、ということである。
となれば、世の中、悪人ばかりじゃないわけで。
ここまでは、悪人ばかりを選んで挙げたけれども、中には<生真面目過ぎて早死にした不幸な人>というのもいる。
その代表格が山口良忠。東京地裁判事だった人。太平洋戦争敗戦後の食糧難時に、闇米を買うのを拒み続けた挙句、栄養失調になり、その果てに34才で没した。彼は「闇米を買う者を裁く立場にある私が、闇米を買うわけにはいかない」と考えた。<買うに買えずに餓死した>のではなく、<買おうと思えば買えたのに拒んで死んだ>のである。そういった状態であるから、一家揃って、食べる物に困る。なので、自分の食べる物は、嫁や子どもに回した。そうでないと、一家揃って共倒れになるからである。山口良忠が偉いのは、自身の信条に家族を巻き込み倒さなかった点である。見るに見かねた親類縁者からの差し入れもあったが、山口良忠は、それらを己の口に入れることは無かった。そんな家長であったため、家族もさぞかし、ひもじい思いをしたであろう。しかし、山口良忠は家族を道連れにはしなかった。よって、彼以外は死なずに済んだ(←と、ここまでの事情は殆ど本書に記されていない。記憶で書いている) 大人の事情とやらにトチ狂って、子どもの意思を度外視して一家無理心中などを企てるバカ親などとは違うのです、山口良忠は。そして、そんな彼が遺した文章が以下。
【善人の社会での落伍者は悪人であるが、悪人の社会での落伍者は善人である】
まあ、ここまで生真面目だと、それも良し悪しだとも思うのだけれども、一方で、最早、聖人だなとさえ思える。
と、色んな人の生と死がドババババーーーっと載っております。
興味がおありでしたら、御一読を。