生きるとは、本来の自分を確認するための「命の研磨」を行うことです。
命の研磨は、違和感を感じる場所で経験することになります。
それは「傷付く」ということです。
あなたが本来の自分に会いたいのならば、傷付くことを恐れてはなりません。
傷付くことを恐れてどっちつかずの中途半端なことをすれば、そのツケは、死ぬ間際に痛烈な「後悔」となってあなたを傷付けることになるからです。
私たちはこの世を去ったあとは、一体何処へ行くのでしょうか?
それは誰にも分からないかもしれませんが、恐らくは大宇宙の一つのエネルギーとして元々いたところに戻るのではないかと思います。
宇宙のエネルギーとして、肉体も持たず囚われの我も持たず、飲まず食べず、ただ静寂に包まれて遠大な時の流れの中を「法則」として存在する。
人間の眼から見れば、気が遠くなるような静謐(せいひつ)な空間と深閑(しんかん)たる時間を、只ひたすらそこに存在し続けることで完璧な法則としての意味を体現する。
そのように考えると、本来の自分にほんの少しでも近付くということは実に凄いことだと思います。
ここで勝手な仮説を一つ。
私たちは過去、大宇宙の懐に抱かれた完璧な存在でした。
しかし、ある時その完璧さに退屈してきたのです。
その時、シンプルな疑問が沸き上がってきました。
「自分って一体何なんだろう?」
その瞬間、突き上げるような思いに襲われます。
「経験してみたい。そして、自分とは一体何なのかをもう一度確認してみたい。」
私たちはそうして、宇宙のエネルギーが唯一自分を確認出来る「人間」という形を持って、今という時に「自ら願って」生まれてきたのです。
自分を確認するとは、目的に満ちた経験をすることです。
ですから、人生とは目的に満ちた経験なのです。
傷付くことを恐れて、無難に空気を読みながら、ビクビクオドオドいつも心配しながら生きて、生活のモットーはといえばやりくりと我慢。
これでは何のために生まれてきたのか分かりません。
この思いが宇宙に帰る間際に、痛烈な後悔として自分を傷付けるのです。
人生は目的に満ちた経験であり、冒険です。
何が起きても大丈夫!
何故ならば、本来のあなたは「完璧」だからです。
大宇宙は私たちの母と父を選び、私たちが「努力さえすれば」出来るように産んでくれているのです。
あなたの命を研磨する場所は、いま目の前にある違和感のなかにあります。
違和感こそが冒険であり、あなたが求めていた気付きの場所であり、経験の場所だからです。
最近の悩みが目の下のたるみです。
高い化粧品を使ってもなかなか消えないので、
何とかならないかなぁ。