今年の夏も例年とさほど変わらずに、気付けば終わっていたような、そんな平凡で平穏な夏だった。
ただ一つ、小さな出会いがあった事を僕は生涯忘れることはないだろう。


幼少の頃から毎年夏になると僕は2週間程祖父の家に預けられていた。
両親曰く、田舎の方が集中して勉強出来るだろうとの事だったが、その2週間で両親が遊び呆けていたのはだいぶ前から気付いていたし、僕もまた勉強なんてせず、ただただ流れる時間の遅さに飲み込まれながら、自分が置かれた現状を嘆いていた。

ただそんな夏の風物詩も来春に控える中学卒業で区切りとなるので、どこかで何か形容しがたいもやもやとした感情を抱えている僕が居た。

祖父は僕が生まれる頃にはもう独り身だった。
つまり僕から見て祖母に当たる人に先立たれてるのだが、何せ会った事が無いので如何とも呼びがたい間柄なのである。
だから毎年夏に僕が滞在することを喜んで受け入れてくれて、不器用ながらもご飯の支度など身の回りの事はしてくれていた。
それに素直に甘える事が出来たのは、昔から家で「自立」と言う言葉を散々聞かされてきた事に対するアンチテーゼだったのかもしれない。

さて、話を戻して。
今年の夏で一先ず例年のような滞在は最後かもしれないと祖父に伝えたところ、案の定少し表情に影を落としてしまった。
しかしすぐに思い出したように顔を上げて、小躍りで僕を庭に案内した。

そこに居たのは一匹の黒猫だった。
首輪はしていないし、毛並みも綺麗とまではいかず、一目で野良だと分かった。
聞くと数日前から日中は必ず祖父の家の庭に現れては、何をするわけでもなく居候しているらしい。
飼ってはいないけど毎日顔を突き合わせる、そんな関係の距離感が祖父には心地いいらしい。
それを聞くと月並みだけど、自由気ままな猫らしさがお互いを尊重しているように思えた。

その後僕は祖父から一頻り黒猫との事を聞かされている間、ぐるぐると色んな思想が浮かんでは消えを繰り返していて、堪らなくなって気付いたら家を飛び出して走り出していた。


僕は友達と呼べる相手が居ない。
作れないのだ。
勿論教室で挨拶されれば返すし、無視されているなんてこともない。
ただ誰かのフィールドへ一歩踏み込むこともなければ逆も無く、気付けばここまで来てしまっている。
自分に対する劣等感なのか、若しくは他人に興味がないのか、自己分析するにはまだ僕は若すぎた。
とにかく僕は全うな人付き合いの仕方というものを知らずに育ってきた。


そんな雑念を振り払うようにしばらく走っていると、前方に神社が見えた。
神社があるということは昔から知っていたが、きちんと境内に入ったことは無かった。
別に御利益だの御祓だのそんな事を微塵も考えずに境内に足を踏み入れてみた。

なんとなく静まり返っているような、少し涼しい気がする空間。
ここに身を置いていると頭も冷えていきそうで、しばらく呆ける事にした。
セミの声がうるさくて、頭が空っぽになっていく。
ただその空っぽの自分を現実に引き戻すように、後ろで声がした。

「ねぇ」

一瞬自分が呼ばれているとは思わなくて、でも周りには誰も居ないので振り向くとそこには自分と同年代程の女の子が立っていた。

「何してるの?こんな場所に一人で。どこから来たの?」

やたらぐいぐい来る、僕の苦手なタイプだと直感した。
適当に躱そうと思ったけど、言葉が上手く出てこない。
そんな自分を見てか、彼女はそれ以降何も質問してこなかった。
ただ笑顔を向けて一言、またね、とだけ言って去っていった。


帰宅してからはろくに食事もとらず布団に入り、今日の出会いが勝手にリフレインされている事に困惑していた。
まず彼女は誰で、何故声を掛けてきて、何故「またね」だったのか。
寝苦しい夜、考える時間はいくらでもあったけど結論は出なかった。


翌日も祖父は庭の黒猫と共に何をするわけでもなく佇んでいた。
それにしたって大人しい猫だ。
擦り寄って来る訳でもなく、鳴く訳でもない。
ただそこに居るだけ。
ただ祖父と同じ時間を共有していただけのように見えた。

その間何もすることがない僕はと言うと、自然と昨日の神社に足が向いていた。
別に昨日の彼女に会いたい訳でもなく、暇潰しに、ほんの暇潰しに。


案の定彼女は居なかった。
約束もしていなければ、赤の他人であるから当然だった。
今日もセミはうるさくて、無心になるにはもってこいだった。


帰宅してからは祖父の作った夕飯を食べ、早目の床に着いた。
また考えるのは彼女のこと。
ただそれも昨日程の比重は無く、いつの間にか眠りに落ちていた。


それからの日々は特に変わり映えもなく、あっという間に滞在最終日になっていた。
祖父は珍しく酷く寂しがった。
そして黒猫もどうやら今日は庭に現れていないようだった。


それから祖父が夕飯を作っている間、僕は散歩がてらまた神社に足を向けていた。
何を期待するわけでもなく、ただ自分の感情の赴くままに。
もう夏の終わり、陽も短くなってきていて境内は少し薄暗くて。
それでもはっきりと、彼女が居たのが分かった。

「あ、久しぶり!また一人?」

彼女は友達に話すようなフランクさで僕に言葉を投げ掛けてきた。
その余りの軽さについ僕も軽く返してしまった。

「一人だよ。親の田舎がこっちだから。」

こうやって他人と会話するのなんて久しぶりで、それだけで胸が高鳴ってしまった。
でもそれを見透かしてか、彼女は一転ゆったりとしたペースで言葉を投げてくれて、僕もまた山なりの返球のように言葉を返した。
確か他愛も無い話だったんだと思う。
だから僕は何を話したか覚えていない。

「もうだいぶ暗いから帰るね、じゃあまた!」

最後の言葉はこんな感じだったと思う。
僕はなんと返事をしたか覚えていない。



そして翌日、伏し目がちな祖父に感謝を伝え、僕は今年の夏を終わらせる為に自宅へ帰った。



結局、彼女が何者だったのかも分からないままだったのだが、後日祖父から手紙が届いた。



手紙にはあれから黒猫が現れなくなった事、最後に現れた日だけ家に入り込んで、朝食の目玉焼きをかっさらって行ったことが書かれていた。



Fin