「Fukushima 50」という名前が、われわれ日本人が知らない間に海外で大きく知られる存在にな..........≪続きを読む≫
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Fukushima 50は2011年 3月11日の東北地方太平洋沖地震 発生後、福島第一原子力発電所 の対応業務に従事していた800人の人員のうち[1] 、15日朝から続く福島第一原子力発電所事故 において原子炉制御の途中に原子炉4号機で火災が起こったことで、うち750人が避難した後も現地に残る事を買って出た福島第一原子力発電所 の社員たちを指す[2] 。
概要 [編集 ]
東北地方太平洋沖地震 とつづく津波 が発生した2011年3月11日、発電所には約800人の従業員が従事していた。15日原子炉4号機の爆発と火災発生で、リスク回避のために不要不急な人員約750人は東京電力の指示によって避難し、約50人が現地残った。この日からメディアは、彼ら残ったメンバーをFukushima 50と呼び始めた。
しかし16日朝、検出された放射線の高さから健康への影響が懸念され、彼らは短い時間一時的に避難しなければならなくなった。彼らが現場に戻ったとき、あらたに130人以上が加わり、当初の約50人に加え総数は約180人になったと報告された[3] 。3月18日には柏崎刈羽原子力発電所 や送電線敷設要員も加わり、総勢580人の体制になった。東京電力 や子会社 の東電工業や東電環境エンジニアリング など、また東芝 や日立製作所 の社員なども加わっている[4] 。
人数は増えていったものの、Fukushima 50の名前はそのままメディアで使われ彼らを総称する言葉となった。
彼らの勇気に、日本 の内閣総理大臣 菅直人 は「この危機的状況を解決できるのはあなたがただけです。引くことは考えられません」と述べ[5] 、作業員や申し出て原子炉の安定の任務につく人たちを賞賛した。彼らは比較的高齢であり、生殖可能年齢を超えた者が多く、長く放射線 に晒されてもその影響は自然死を迎えるまでには現れにくいと考えられる[6] 。
彼らの活動には、爆発によってもたらされた損害と放射能濃度の測定も含まれていて、海水で損傷した原子炉を冷却し、火災の危険を除くことに取り組んだ。彼らは、放射能汚染を受けるリスクを承知で現場にとどまった[2] 。放射能の危険レベルは非常に高く、半径20kmの避難地域が指定され、またメディアは厳しい状況が将来彼らの健康に重大な悪影響がありえ、場合によっては死に至りうることを指摘した[7] 。
状況 [編集 ]
作業環境 [編集 ]
作業員は発電所の放射能汚染から守られた避難場所で寝食を交替でしていると報じられている。避難場所は平均的なリビングルームぐらいの広さだとアメリカのABCニュース は報じている[8] 。
放射線 [編集 ]
「シーベルト 」も参照
原子力発電所での作業における国際的な放射線被爆の限界は5年間平均で年20mシーベルト であり、1年あたり50mシーベルトを越えてはならない。しかしアメリカ合衆国環境保護庁 は緊急時に対処する要員は「高い財産を保護するため」100mシーベルト、「多くの人々の生命を助け保護するため」250mシーベルトまでを許容している[9] 。
日本では、事故に直面した際の最大許容量を1年で100mシーベルトとしていた。しかし2011年3月15日、厚生労働省 は福島第一原子力発電所の状況を鑑みて、これを250mシーベルトまで引き上げた[10] [11] 。
発電所の作業員たちは放射線に対して万全の体制で臨まなければならず、突発的で予想されなかった放射線量の増加にも備えなければならない[12] 。 2011年3月15日(火曜日)朝、1時間あたり1000mシーベルトが検出された瞬間には、作業員たちは一時退避しなければならなかった[13] 。これは事故を通じて最大の測定値だった。
1日に250mシーベルトの放射能を浴びた場合、状況によっては即座に兆候が現れる場合がある。吐き気 や食欲不振 の症状から、骨髄 、リンパ節 および脾臓 へのダメージである。一般的に、1-3シーベルトのレベルではより大きな影響が現れて、保証の限りではないが回復が難しくなる。3シーベルトでは深刻となり、皮膚 の剥離や出血 、生殖障害などが現れ、治療が施されなければ死に至る場合もある。
爆発 [編集 ]
15日第4原子炉で爆発と火災が起こった際に、Fukushima 50は現場にいた[14] 。 そこでは、彼らに状況をはっきり知らせることがされなかったため、どの程度の放射線が放出されていて、パニック発生を恐れた日本政府が緘口令を敷く可能性があるかもと混乱した[15] 。
メディアや政府の反応 [編集 ]
メディアは、現場に残った従業員たちの勇気を讃え、彼らをヒーローと紹介し、Fukushima 50の名が知れ渡った。フランス のFrance 24 は彼らを"Japan's faceless heroes"(日本の顔が知れない英雄たち)と紹介した[16] 。イギリスの新聞 ガーディアン は、"Other nuclear power employees, as well as the wider population, can only look on in admiration"(他の原子力発電所に従事する者たちは、他の多くの人々と同様に、強い賞賛をもって見ていることしかできない)と書いた[17] 。ドイツ のニュースサイトで彼らの献身さは四十七士 にたとえられている[18] 。中国語のニュースサイトは彼らを"福島50死士"と名づけた[19] 。