2007年のきょう、2月18日、日曜日。
朝から都心の道路が封鎖され首都東京の威信をかけた、
一大プロジェクトが始まろうとしていた。
「東京マラソン」東京の交通網を遮断して、
東京のド真ん中を3万人の市民ランナーが駆けぬけるという
史上空前のマラソン大会である。
ニューヨークやロンドンなど、世界には3万人が走る都市型の
マラソン大会があり石原都知事は、よそに負けない大規模なマラソン
大会を、首都東京で開催することを提案した。
そして、そのために決めた「東京マラソン」のテーマは3つ!参加者は
3万人、制限時間は7時間、コースは東京の観光名所を回るものにする。
しかし3万人ものランナーを、7時間かけて都心を走らせることに対して、
「そんな長時間の交通規制は出来ない」と警視庁が難色を示した。
ニューヨークにも負けない「東京マラソン」を開催して
東京の名を世界にアピールする。
石原のこの強い意志が組織を動かした。東京都庁からスタートして、
皇居前、東京タワー、品川、そして浅草雷門、銀座を通って臨海副都心、
有明の東京ビッグサイトがゴールとなる42.195キロ。このコースなら、
東京を南北に分断することになる、靖国通りから日比谷にかけての道の
交通規制が午前中だけで済む、などの利点があった。
そして関係者の間では、「3万人もの参加者が集まるのか」と
心配されていたが、参加費が1万円という高額にも関わらず、
9万5000人もの応募があった。大会当日、天気は雨。気温5度。
警視庁・東京消防庁から7000人が動員され、
マラソン大会としては異例の厳戒態勢が敷かれた。
交通規制は610か所にも及んだ。午前9時10分。東京都庁前。
スタートの瞬間を迎え,石原都知事によるスタートの号砲を合図に、
第1回東京マラソンがスタートした。この日の参加者、30,870人。
そして、その集団はお昼過ぎに、銀座へと達した。
マラソンが始まりランナー達は、思いがけない事態に直面していた。
それは、「トイレ問題」だった。この日の気温は5度。あまりの寒さに、
トイレに駆け込むランナーが激増しトイレの数が
足りなくなってしまったのである。
さらに、コース上には、通過制限時間が設定されたポイントが
いくつかあり、時間内にその地点を通過しなければならなかった。
制限時間に間に合わなかった人は、その時点でレースが終わる。
4時間以上走り続ける市民マラソンは、途中でお腹が
すくため、栄養補給をしながら走るのが常識となっている。
そこでこの日、ランナーのために人形焼き6000個、
アンパン1万2000個、バナナ4万2000本などが
用意されていたが栄養の補給が本当に
必要なランナー達が到着する頃にはもう何もない。
中には、コンビニに立ち寄るランナーも目立った。
そんな時、沿道では思いも寄らぬ事が起きていた。
沿道の観衆が、道行くランナーに、飴やチョコレートなどを
差し出していたのである。
この日は雨だったにも関わらず178万人もの観衆が途切れることなく
沿道を埋め尽くし、最後のランナーが通過するまで、
熱い声援を送り続けていた。
そして、制限時間の7時間が経過した午後、4時10分。
25,102人目のランナーがゴールした。
石原都知事は、この最後のランナーを迎え、健闘をたたえた。
東京に、新たなお祭りが誕生した。この第1回東京マラソンの成功により、
翌年の第2回大会には、15万人もの応募が殺到するほどの人気となった。
さらに参加した多くのランナーは、沿道の声援に支えられて、
ゴールすることが出来た。
この東京マラソンは今月2月28日、第4回目の大会が開催される。
※その他情報
1回大会 2007年2月18日
申込者 95,044人
フルマラソン参加 26,058人
10キロマラソン 4,812人
30,870人 完走率 96.3%
2回大会 2008年2月17日
申込者 156,012人
フルマラソン参加 27,386人
10キロマラソン 5,040人
32,426人 完走率 97.4%%
3回大会 2009年3月22日
申込者 261,981人
フルマラソン参加 30,164人
10キロマラソン 4,808人
34,972人 完走率 96.6%
4回大会 2010年2月28日
申込者 311,441人