将軍を意のままに操り、時の天皇正親町天皇まで思うままにした信長天下取りを本格化します。

一生懸命と言う言葉がありますが、もともとは一所懸命です。武士が先祖代々受け継いで来た土地を命懸けで守る。と。これがある故に多くの大名は自らの領地に縛られ、出ることをしなかったため天下取りは出来なかったんですねぇ~。

ところが信長はそんな意味もない古い式たりなんか払拭しました。

関東には滝川一益、北陸には柴田勝家、中国には羽柴秀吉、大阪には佐久間信盛四国には明智光秀など。主だった家臣を各方面に配置します。現代風に言えば支店長って言ったとこですかね。

それぞれの相手は
滝川一益は北条氏、柴田勝家は上杉氏
羽柴秀吉は毛利氏、佐久間信盛は本願寺明智光秀は長宗我部氏。それぞれが調略を繰り返していました。もともと家臣と言うのは世襲制です。なのでどんなに優秀でも家柄によっては出世などは叶わぬものでした。

ところが信長は違いました。滝川はもともと忍者、明智はもともと義昭の配下、羽柴はご存知のとおり農家出。成果を挙げた者にはどんどん出世させました。その一方成果の挙がらぬ者にはヒドイ仕打ちが。

6日の軍師官兵衛でもやってましたが、佐久間は本願寺相手に何の成果も挙げなかったので突然!解雇してます。父の代から仕える重臣と言えども働かざる者食うべからず!と。厳しいですねぇ~(#^.^#)


徹底した成果主義だったようで。


次回、信長が恐れた武将に続く。




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