前回3月31日の続き


上杉討伐の大義名分を得た家康は
諸大名を従え大阪より会津を目指します。
東海道を東へゆっくりゆっくり進軍
します。何故ゆっくりか?

それは石田三成に挙兵の時間を
与えるためなんですねぇ~(^◇^;)
そして家康の思惑通り
三成挙兵!の一報が入ります。

上杉討伐など最初っから家康は
やる気ないんで会津の手前で
Uターンをし、軍議を行います。

それが『小 山 評 定』です
現在の栃木県小山市ですかね。

軍議に参加する大名の大半が
豊臣恩顧なわけですから
テーマは
東につくか西につくか
二者択一となるわけです。

豊臣恩顧の大名の妻子は大阪に居ます。家康につけば妻子のは危うくなります。
軍議の冒頭家康は
『諸将が大阪に帰ることも止む無し、
    そうなっても儂は責めん』と。

現代の会議でもそうですが
このような重い空気の中、意思表明
できますか?できませんよね?


皆がオドオドする中
一人立ち上がった武将がいます。
それは福島正則
{7872D0A8-AA9F-4AD5-B0E1-B85B953764F9:01}
『儂は家康殿につくでよぉ!』と。
福島正則は皆が一目置く大名です。
それを差し置いて『大阪に帰る』とは
言えないですよねぇ~。

これには裏話があって、事前に家康は
正則に対し根回しをしておいたのです。

軍議に参加している諸大名全員が
家康につくことになりました。
全てが家康の思惑通りに進んでます。


だがここで家康が考えてもいない
ことがおこりました。
それは山内一豊の予期せぬ発言が•••。
{11608D81-AE46-4C5E-A384-4001AF076132:01}
『家康殿も西に向かうのは不安であろう、儂の領地と城を家康殿に差し上げる』
(当時、山内一豊は掛川城主でした)

この発言には家康もでらびっくり!

そしたら他の大名も
『儂も!儂も!拙者も!』と。

家康は東海道を全て手に入れました。

山内一豊は関ヶ原では
殆ど参戦しませんでしたが
この一言で
掛川六万石から土佐二十万石
出世してます。



いよいよ東軍は西を目指します。





来週に続くm(._.)m。