退任会見が終了し、山中場内アナウンサー(右)から花束を贈られた原監督

退任会見が終了し、山中場内アナウンサー(右)から花束を贈られた原監督

 巨人・原辰徳監督(57)が19日、東京・大手町の読売新聞東京本社内で渡辺最高顧問、白石オーナーら球団首脳との最終会談に臨み、辞任することが正式に決まった。その後、原監督は同社内での会見に、オレンジ色のネクタイを着用して臨んだ。


 ―明確に決断した時期というのは。

 「成績がここ3年間、上がらなかった。そろそろ潮時ではないか、ということ。瞬間ベストを尽くすことには変わりなかったが、そろそろ新しい監督にバトンを渡すことが、ジャイアンツにとっても、プロ野球にとっても正しいと思った」

 ―巨人愛を掲げ、4番にもバントという野球を貫いた。

 「まずチームは個人ではなく、巨人である、ということ。目的は勝つことだった。勝つためにどういう手段をとるのか。マイナスなことをやるならば、チームの一員ではないと常々言ってきた。バントのサインを出せない、誰々に代打を送ってはいけない、この投手は代えられない。そういうことは片隅にもなかった。勝つことに一点集中してくれ、と。励行できないのであれば巨人ではなく個人だ。そういう考えだった」

 ―坂本らにも成長を感じたか。

 「先輩たちから教えていただき、体験を伝えるのが我々の役割だった。時には汗をかき、涙をしながら感じ取って、彼らが後輩たちにも何かを伝えてくれればと思う」

 ―かつては監督っていいな、と言っていたが。

 「在任中はそう考えるしかない。それが明日への活力だった。担当記者の人たちにも弱気やマイナスのこと、悪口は言ったことがないと思う。明日につなげるためには、そんなこと言っていても何もプラスにならないから。しかし、肩の荷が下りて、こんなに気持ちよく寝れて、朝の目覚めもよくてね。余談だが、昨日も日曜で天気もよかったので、少し遅めに起きて、大好きなゴルフを10時くらいからラウンドして、久々に楽しい時間だった。強気なことを言っていたのは、重いものを背負っていたからなのか、と」

 ―今後は。

 「あまりに背負っていたものが大きいので。ゆっくり寝て、ゆっくり起きて、ということですかね(笑い)。それで、ムクムク、という(かき立てる)ものがあれば、考えればいい。今のところは何も考えていない。解説者、評論家、そういうことはまったく考えていない。1年は少しフラットな形で、自分で何かやるにしても、ボランティア的な部分で動きたい」

 ―選手やスタッフ、ファンに改めてメッセージを。

 「きょうを持って退任するが、長嶋さんの言葉を借りれば、巨人軍は永遠に不滅である、と。チームはずっと前に進んでいる。選手、コーチ、フロント、強く、愛されるようになってほしい。私もファンの1人として、ファンのみなさんと一緒にスクラムを組む。ファンの人たちも、今後の新しいジャイアンツに温かい声援を送っていただければと思う」

 ―監督生活の中で、一番の会心の勝利は。

 「あまりにも一喜一憂したゲームが多すぎて思い浮かばない。たくさんありすぎますね。それぐらい多く指揮を執った」

 ―引退時に言った「夢の続き」は達成できたか。

 「22歳で東海大より巨人軍に指名してもらい、15年現役でやり、(引退時は)37歳で、まだまだ青春まっただ中、夢に続きがあると心底思った。当時の夢は監督、コーチになって…と思ったが、多くを言葉に出すことはできなかった。その中で15年間、コーチ、監督をやれたことに本当に感謝している。夢の続きはあった、と。任務をまっとうし、やりとげたことには満足している。1年、少しフラットに過ごして、また何か出てくるのかな。もしそのときに報告できるチャンスがあるならば、したい。当時とは全く違う凪(なぎ)の状態です」

 ―完全燃焼できたか。

 「完全燃焼できたと思います。近々どこかの監督、コーチをやることは今のところないと思います(笑い)」

 ―次の監督へのメッセージがあれば。

 「いい形で(次の監督に)引き継ぐのが残された大きな仕事。次は主筆、オーナーとも話したが、白紙とまではいかないが、決まっていない状態。私が長嶋さんにしていただいたように、いい形で引き継ぐことが次期監督の成功、巨人の隆盛につながると思う」


(スポーツ報知より)




原監督お疲れ様でした。来年は楽な立場で野球を見ていってほしいと思います。


あと原監督が候補に挙げられていたDeNA新監督はラミちゃんの愛称で慕われたアレックス・ラミレスが就任することが発表されました。


打撃だけの印象が強いラミちゃんが監督になることで課題の投手陣(特に先発投手)が改善されるのか疑問なのですが手腕に注目します。