AKB48という女性アイドルグループがいる。いまや彼女たちをテレビや雑誌で見ない日はない。先日、東京都内で行われた彼女たちの握手会に行ってきた。10代後半とおぼしき男子が大半だが、いわゆる「オタク」はもちろん、女性や子供もたくさんいて、実に幅広い層に支持されていることがうかがえた。



 のっけからなんだ、政治と関係ないじゃないかとのお叱りを受けそうだが、ここはまじめに「AKBに見る政治の原点」を指摘したいと思う。



 この日の握手会は、事前に希望するメンバーを指名し、その握手券の付いたAKBのCDを抽選で購入した人に権利が与えられる「個別指名握手会」だった。「会いに行けるアイドル」をキャッチフレーズにする彼女たちのファン層を拡大した象徴的なイベントで、CD発売のたびに開催されている。



 メンバーはファン一人ひとりと丁寧に握手し、短い時間だが会話を交わすこともできる。握手するまで列に並ぶが、その差は歴然としていた。大島優子さんや前田敦子さん、篠田麻里子さんら人気メンバーのところには常に長蛇の列があったが、列が途絶えたメンバーもいた。人気の差が露骨に分かるのだ。あまりにも分かりやすい競争社会の縮図だ。



 彼女たちは2日間、朝から夜までほぼ半日、休憩を挟みつつ、立ちっぱなしだった。それでも笑顔でファンと触れ合っていた。握手会を夜の9時ごろに終え、そのまま別の仕事に向かうメンバーも多かったようだ。



 政治の世界はどうだろうか。民主党の小沢一郎元代表は口癖のように「大衆の中に入れ」と言う。その通りだ。政治活動の原点は国民一人ひとりと握手し、言葉を交わして、国民が何を考えているかを知ることにある。



 ところが正月のニュースを見て、びっくりした。1月1日、小沢氏の都内の自宅には120人もの国会議員が集まった。同じころ、首相公邸の菅直人首相の元にも50人ほどの議員が集まったそうだ。



 この人たちは、なぜ地元にいないのだろうか。宮中行事ならいざ知らず、新年の初めに、特に、たかが「一兵卒」の下へはせ参じることに何の意味があるのか。1年の初めだからこそ、支持者回りなど地元で活動するのが政治家のあるべき姿だと思う。



 小沢氏といえば、政治とカネに関する同氏の強制起訴に反対するなどの「支援集会」には、緊急の呼びかけでも側近の国会議員らが数十人単位で集まる。小沢氏が立候補した昨年の党代表選のころは連日のように小沢氏に近い議員が飲食店に集まり、赤ら顔で気勢をあげ、菅首相の批判を展開していた。菅支持派も似たようなものだった。




 一方、昨年11月の北朝鮮による韓国砲撃があった直後の民主党外務部門会議には、400人以上いる同党国会議員のうち20人程度しか集まらなかった。週1回程度のペースで開いている同会議は出席議員が10人以下の場合がほとんどだ。民主党の国会議員は小沢氏らの動向には注目しても、日本の外交・安全保障には関心が薄いとしか言いようがない。




 もう一つ例を挙げる。AKBといえば、昨年は2回目の「総選挙」でも有名になった。一昨年の1回目は1位だった前田さんの座を大島さんが奪うという“政権交代”も話題をさらい、社会現象にもなった。




 総選挙はCD購入などで投票権を得たファンによる人気投票で、上位に食い込めばCDのプロモーションビデオのメンバー21人に「選抜」され、テレビや雑誌にも優先的に出演できる。下位に甘んじれば露出は極端に少なくなる。まさに実力勝負の選挙なのだ。




 「立候補者」は104人(当時)だった。選抜されるために彼女たちは「選挙ポスター」を作り、「政見放送」を撮影し、インターネットなどで公約を発表するなど、本家さながらに積極的なアピールを展開した。



 ファンから1票でも多く獲得するためだ。自分たちがファンあっての存在であることを自覚しているからこそ必死なのだ。有権者とのふれあいよりもボスへの忠誠を優先する議員たちは、AKBの爪(つめ)の垢(あか)でも煎(せん)じて飲んではどうか。



 AKBのメンバーは現在の活動を「通過点」と語る人が多い。歌手、女優、モデル、声優といったそれぞれの夢をかなえるための通過点という意味でだ。ファンを喜ばせつつ、自分たちの夢に向かってけなげに活動しているのだ。



 民主党の国会議員も、国の将来のために尽力したいとの思いがあると信じたいところだが、「小沢だ」「反小沢だ」と、くだを巻いている暇があったら、秋葉原の専用劇場や握手会に行ってAKBのひたむきさに少しは触れてみてはどうだろうか。



(産経新聞より)




この記事を民主党議員に是非読んでもらいたいと思います。民主党には国民の声を聞き入れて政治を行って欲しいです。あの再改造内閣はひどい布陣だと思います。