皆さま、こんばんはです^ - ^⭐️
 
 

UE(アルティメット・エナジェティクス/究極のエネルギー学)という

生命エネルギーを自在にコントロール

次元上昇と共に人類が変容していくためのエネルギーワークで

『本当の自分を楽しく軽やかに生きていく』をサポートします✨✨

 
エネルギーワーカーのStarseed ナナ♡でーす💕💕 
 
 
 
UE創始者  大原彩奨先生ブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Autumnal Equinox Day

 

秋分の日

 

 

 

 

二十四節気の始まりの春分からちょうど半分の周期に当たります

 

 

 

 

 

 

この日は太陽が真東から昇り、真西に沈みます

 

昼と夜の長さがほぼ同じ

 

 

 

 

 

 

日本では、秋分の日の前後3日間(今年は9月20日~26日)の

 

お彼岸の期間、ご先祖さまに想いを馳せ、感謝の気持ちを伝えます

 

 

 

 

この期間は昼と夜の長さがほぼ同じになるので、

 

昼と夜の長さを陰陽で捉えたとき

 

 

昼は目に見える世界

夜は目に見えない世界

 

 

ふたつの世界のバランスがとれた期間となります

 

 

 

 

春に撒いた種の豊作を祝い、

 

次の新しいサイクルを迎えるために

 

自分自身をリセットするのにもよいタイミングキョロキョロ乙女のトキメキ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋分の日の朝から

 

戦争で閉ざされてしまった琉球首里城の弁財天堂を開くため、

 

奈良の天川村にある天河大辨財天社と首里城弁財天堂を祈りのエネルギーで

 

繋ぎ活性化するイベントがありました

 

 

 

 

 

 

祈りのタイミングには

 

胸の内で、多くの祈りのエネルギーがうねりを伴って湧き上がるのを感じ、

 

暫くして大いなる光の輝きを視ることができましたキラキラ花火キラキラ

 

 

たくさんの祈りがしっかり届いたと確信します照れ義理チョコ乙女のトキメキ乙女のトキメキ

 

 

 

 

夕方には雨もあがり、時折覗く陽の光と草木の茂みと大気の中に

新しいエネルギーの流れを感じましたゆめみる宝石乙女のトキメキ乙女のトキメキ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

台風14号が去った翌日

 

YASKA奈良校でUE体験会があって、

紹介参加の帰り道、ある神社に立ち寄ることになりました

 

呼ばれてしまった?のでしょうか。。。キョロキョロはてなマーク

 

 

 

 

 

 

添御縣坐神社

そうのみあがたにいますじんじゃ

 

 

添郡の御縣にいてますよ~📣神社

 

 

 

なんかネーミングがまんま過ぎてカワイイ。。。ニコニコ飛び出すハート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古代、大和国には添郡(そうぐん)といわれる郡があり、

今の奈良市、生駒市、旧生駒郡、添上郡を含む広大な領域であった

そうです

 

後に添上(そえかみ)と添下(そえしも)にわかれ、添下郡にあたる

ところに神社は鎮座しています

 

 

 

 

御縣(みあがた)とは、

上代、天皇の食事に供える蔬菜(そさい)を栽培した朝廷の直轄地

 

を意味していて、

 

 

大和国には6つの御縣(他に高市・葛木・十市・志貴・山辺)があり、

添御縣坐神社の地はそのうちの1つに当たるということです

 

 

 

創建年代は不詳ですが、

かつて、大和に日本の中心的機関があったことを意味します

 

 

 

 

 

宮司さんのお話しによると、

 

三輪山の麓の土からは、日本全国の土の種類で造られた土器が出土

していて、大和国(奈良)に日本を治めた朝廷が存在していた。。。

 

時の頃は、弥生時代(2300年前~1700年前)

 

ということなのです

 

 

 

三輪山には、国造りの神である大物主神(おおものぬしのかみ)を

お祀りし、三輪山をご神体とする日本最古の神社である

大神おおみわ神社があります

 

大物主神は大国主神の異名とも言われています

 

 

 

 

 

 

添御縣坐神社ご祭神

 

建速須佐之男命 たけはやすさのおのみこと

武乳速之命 たけちはやのみこと

櫛稲田姫之命 くしいなだひめのみこと

 

 

 

しかし、

古くから言い継がれていることには、

 

 

真のご祭神は、神武東征の際に神武天皇に敗れた在地の豪族である

長髄彦 ながすねひこ であるという。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長髄彦といえば、神日本磐余彦命(かむやまといわれびこのみこと、

後の神武天皇)の皇兄である彦五瀬命(ひこいつせのみこと)が、

孔舎衙坂(くさえのさか、現東大阪市日下町から生駒山を登る坂)の

激戦で流れ矢に当たり、肱脛(ひじ)に傷を負ってしまいます

 

 

そして攻める方向を変えるために、大阪湾を紀伊に向かって移動の途中

立ち寄った浜で傷が悪化し、

 

「賊に傷つけられ、このまま死んでしまうとは!」

 

 

と、口惜しさのあまり剣の柄を堅く握りながら雄叫びをあげた地に

雄水門(おのみなと)の遺蹟(浜宮)

 

矢傷を洗ったとされる山之井水門(やまのいのみなと、雄水門のこと

「日本書紀」伝承の地)のあった所に山之井遺跡碑

 

が建てられています

 

 

山之井水門に到着されたのが、紀元前3年5月8日(太陽暦6月20日)と

記録にあります

 

 

 

 

 

 

 

元宮である摂社浜宮はまのみやには彦五瀬命

 

遷座したおの神社では

彦五瀬命神日本磐余彦命をお祀りしていて、

 

男神社「おたけびの宮」と呼ばれています

 

 

 

それ以外に

男神社の相殿には天児屋根命熊野速玉神

祀られていて、

 

天児屋根命(あまのこやねのみこと)

の別称のひとつに、武乳速命(たけちはやのみこと)

あります

 

 

 

彦五瀬命は和歌山市の竈山(かまやま)の地に埋葬されました

 

竈山神社では、彦五瀬命を主祭神としてお祀りしています

 

 

 

 

 

 

 

宮司さんのお話しを聴くまでは、長髄彦は彦五瀬命に矢を放った悪者

のように思っていましたが、長髄彦側からしたら自分たちの領土に

攻め入って来た東征組の方がよっぽどの悪者?!

 

 

 

いろいろあった後、

長髄彦の主君である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)に最後まで

歯向うため討たれたとか、自分が生きていてはまた争いが起きて

しまう。。。ということで自害したとか、或いはどこかで生き延び

たとか、諸説あるそうです

 

 

 

 

 

 

神武天皇の手前もあって、お名前を替えて祀られていますが、

 

武乳速之命 たけちはやのみこと

は、紛れもなく長髄彦 なのでは!と思います

 

 

 

武乳速之命 をお祀りしている本殿

きっかり真西を向いて建てられていて、その先には生駒山

あります

 

 

 

春分と秋分の日には、生駒山の稜線の

ちょうど窪んだところに陽が沈んでいく。。。

 

と宮司さんは教えてくださいました

 

 

 

 

これは9月22日の生駒山に沈む夕陽だけど!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年9月23日

秋分の日

 

新しいエネルギーの流れに変わりました

 

 

 

 

長髄彦と彦五瀬命のエネルギーも違う次元に変化したことでしょう

 

 

ナナ♡が責任をもって、男神社、摂社浜宮、添御縣坐神社に

フェニックスウォーターを撒いてお清めしました花花

 

 

 

 

 

争うのではなく、互いの違いを認め合っていく

 

そんな世の中になることを祈ります。。。