皆さま、こんばんはです^ - ^⭐️

ナナ♡でーす💕💕

 

 

 

 

 

 

5月17日に、弁財天さまのご神事、安徳天皇さまご命日のご神事が

流水堂にて自由参加で行われる

 

という案内が、13日にJudyさんのFB投稿でありました



 

 

八大龍王のエネルギー入った井戸水もいただきたかったので、参加

させていただくことに。。。

 

 

 

今、日本のエネルギー状態を整えるのに、安徳天皇の御霊を癒すこと

がとても大切です

 

と、Judyさんは話されていました

 

 

 

 

 

安徳天皇のことをあまりよく知らなったので、ネットで調べてみた

ところ、歴代の天皇の中で最も短命だった天皇。。。とありました

 

 

 

 

高倉天皇の第一皇子

母は平清盛の娘の徳子(後の建礼門院)

 

 

 

1178年12月22日に生まれ、1180年数え年3歳(満1歳4か月)で

即位

幼帝の政治の補佐は、外祖父である平清盛が取り仕切りました

 

 

即位の年に清盛の主導で遷都が計画され、福原行幸(現在の神戸市

中央区から兵庫区北部辺り)が行われます

が、半年ほどで京都に還幸

 

 

 

1183年、源義仲の入京に伴い、平宗盛(清盛継室・平時子の長男で

建礼門院は同母妹)以下平家一門に連れられ、三種の神器とともに

都落ちします

 

 

その後、大宰府を経て屋島に二年弱滞在し、御所も造られます

 

 

 

しかし、源頼朝が派遣した源範頼、源義経によって、平氏は一ノ谷

の戦いと屋島の戦いに敗北

 

これにより、天皇と平家一門は海上へ逃れます

 

 

 

そして1185年4月、最期の決戦である壇ノ浦の戦いで平氏と源氏が

激突

平氏軍は敗北し、一門は滅亡に至るのです

 

 

 

 

この際に安徳天皇は入水し、歴代最年少の数え年8歳(満6歳4か月)

で崩御しました

 

 

母の建礼門院も入水しましたが、源氏方将兵に引き上げられています

 

この際、三種の神器のうち神璽(しんじ)神鏡は源氏軍が確保しま

した

宝剣はこの時に失われたとされています

 

 

 

 

平家物語では、最期を覚悟して神璽と宝剣を身に着けた母方祖母の

二位尼(平時子)に抱き上げられた安徳天皇は、

「尼ぜ、わたしをどこへ連れて行こうとするのか」と問いかけます

 

 

二位尼は涙をおさえて、

「君は前世の修行によって天子としてお生まれになりましたが、

悪縁に引かれ、御運はもはや尽きてしまわれました

この世は辛く厭わしいところですから、極楽浄土という結構な所に

お連れ申すのです」と言い聞かせます

 

 

 

天皇は小さな手を合わせます

 

二位尼は、「波の下にも都がございます」

と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じました

 

 

と描写されています

 

 

 

 

しかし諸説ある中、安徳天皇は4名の従者とともに、壇ノ浦から

摂津国能勢の野間郷に逃れ、翌年に崩御されたという記録があります

 

 

 

 

 

 

5月17日がそのご命日であるということで、流水堂では野間神社の

宮司さまをお迎えして、有志の参加者とともにご神事が行われました

 

 

 

ご神事でウクレレを弾きながら弁財天さまに御歌を捧げてくださった

マリさんの美声が、安徳天皇の御霊も癒してくださいました

 

サンスクリット語の魂のこもった、本当に素晴らしい調べでした

🌈💠✨✨

 

 

 

 

 

流水堂は来見(くるみしゃ)の直ぐ近くだったので、

帰りにお参りしました

 

 

 

個人的な感想です

 

安徳天皇の御霊はとてもお悦びになっているようでした照れ照れ

 

 

 

 

 

 

来見社址の石碑に強いエネルギーを感じました✨✨

 

石碑の背面

 

 

 

 

 

 

 

 

という流れで、翌日は福原京があったとされる兵庫区に向かいます

 

 

遷都されたときに兵庫津(大輪田泊おおわだのとまり・神戸港)

の発展と住民の繁栄を祈し、平家一門の氏神として深く崇敬して

いる安芸国厳島神社を勧請して、

 

平清盛によって創建された

兵庫厳島神社

 

ご祭神は、市杵島姫命

 

 

 

美しい社殿です

 

 

 

お隣りの稲荷大明神

 

 

 

昨日のご報告をして、フェニックスウォーターで境内をお清め✨✨

 

 

 

 

 

 

その後は、少し離れた海に近いところにある清盛塚に向かいます

 

平清盛の供養塔である十三重塔清盛像琵琶塚が建っています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長年、清盛の墳墓として伝えられてきたようですが、調査では

墳墓でないことが判明し、供養塔であるとする説が有力です

 

 

平家物語には、清盛の遺体は京都の愛宕で火葬され、遺骨は側近

だった円実法眼(えんじつほうげん)が摂津の国の経ヶ島に納めた

 

と書かれています

 

 

 

経ヶ島は清盛塚のある辺りだと考えられているので、もしかしたら

清盛塚周辺のどこかに本当の清盛のお墓があるのかも知れません

 

 

安徳天皇のご命日のご神事のご報告をして、たっぷりとフェニックス

ウォーターでお清めしました✨✨

 

 

 

 

 

 

直ぐ隣りにある大輪田橋

 


清盛は、大輪田泊の大修築をすることで日宋貿易にもちからを注ぎました




 

 

 

 

 

ナナ♡は以前、勤め先の都合で兵庫区に住んでいたことがありますキョロキョロキョロキョロ

 

湊川公園や兵庫厳島神社の近所でした

 

 

そして福原京の中を突っ切って、20分くらい歩いて通勤していたのです爆笑爆笑

 

 

 

当時は毎日深夜までの残業で、ワンルームマンションと職場を往復する

日常だったので、周辺のことはあまりよく分かっていませんでした凝視

 

 

でも、やたらと広い道路とゆったりした区画が、今からすれば都を

思わせる造りだったし、湊川公園辺りはとても波動が高い気がします照れ照れ

 

 

 

 

阪神淡路大震災の少し前だったので、住んでいたマンションの建物

の姿は今は見当たらず、道や信号がなくなっていたりするところも

ありました驚き

 

 

きっと倒壊が酷かったんだろうなぁ。。。えーえー

 

 

 

 

移動する途中で、柳原蛭子神社柳原天神社兵庫住吉神社に立ち

寄り、住民の生活をお守りしてくださっていることの感謝を伝え

ましたニコニコニコニコ飛び出すハート

 

 

 

 

 

 

今回ご縁があって、お参りに行かせていただきました

 

 

このタイミングで、日本の歴史上で重要な源氏と平氏の争いについて

深く知っておくことは

スピリチュアル的にも大切なことだと思いますキョロキョロキョロキョロ

 

 

 

かつて福原京だったところのエネルギーはやっぱりすごかった!ニコニコニコニコ