何も手がつけられない

 

そんな数日を過ごしていた。

 

 

理由は明確で

 

意識の数を圧倒的に増やして過ごす期間が

 

自分の器量を越えようとする時

 

脳疲労が限界に達して

 

何も考えられない

 

何も意識できない

 

何も出来ない状態になってしまう。

 

 

まだまだ修行中の身なのでそうなる自分を許容してはいるが

 

実際にそうなると結構がっかりはする。

 

 

まさしく

 

"腑抜け"みたいな状態だった。

 

"腑"とは小腸大腸膀胱三焦を指す。

 

これだけ抜けると・・・。

 

 

力も出ないわな。

 

と妙に自分の身体に起きている変化に納得したりする。

 

 

 

そんな腑抜けな状態でも時は流れ

 

前に進むしかない。

 

 

そんな時に

 

立ち止まっている場合ではないぞと。

 

 

久しぶりに相談があるとか

 

半年1年ぶりに施設に訪れ選手の悩みなどを聞いていると

 

本当にありがたいなと感じる。

 

 

自分の為だけだと気持ちが折れてしまいそうな時にも

 

誰かの為であったり

 

頼られるとなんとかやれそうな気がする。

 

 

これが"自利利他"の精神なのかなとも思ったりする。

 

 

特に仏教の教育を受けたわけではないが

 

日本で育ち今まで生きてきた心の中に

 

そういった精神が宿っているのだろうか?

 

 

少し話が逸れたが、多くの方の助けとご縁で

 

今回の腑抜け状態からも脱することができた。

 

 

数ヶ月に一回やってくる腑抜けなわたし。

 

 

あんまり出会いたくないけど

 

経験の一つとしては、良かったと思える。

 

 

良いことも悪いことも

 

辛いことも腹立たしことも

 

感情的になるから自分の器量を知れるし

 

器が分かるからギリギリに立って良いご縁にもなる。

 

(過去記事参照:ご縁はじぶんの縁(ふち)を知ってこそ

https://ameblo.jp/akayamaschool/entry-12392199279.html

 

 

さあ、10月が始まった。

 

腑抜けだった自分から再スタート。

 

やったるでい。

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

謙虚・感謝・敬意

行住坐臥

赤山僚輔

 

 

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