朝から「お片付け」の文字がやまのように降ってきた日があった。

 

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「お片付け」は嫌いじゃない。

 

だけど、だからといって、家中きれいに整っているかというと少々疑問。「好き」と「できる」が別という例のひとつ。

 

部屋をのぞくたびに、あそこもここも片づけなきゃと思う。食器棚を開けるたびに、ここなんとかしないとね、と思う。冷蔵庫を開けるたびに、奥のもの出していれかえないとまずいよね、と思う。

 

そうして「お片付け」の文字は一日のなかでなんどとなく私の頭の中に登場する。

 

だから、一度にたくさん「お片付け」の文字が空から降ってきても、部屋がいっきにきれいになるわけではなく、きっと明日も明後日も、片づけなきゃって独り言ちているのだと思う。

 

それでも、朝から3回も「お片付け」が降ってきたのは、とってもおかしかった。

 

朝の瞑想会で

はじまりは朝参加しているクローズドの瞑想会。

 

シンギングボウルでのチューニングの後の雑談コーナーで「お片付け」の話になった。

 

片づけの対象、単に「物」じゃない。

 

そう、今、私たちが囲まれている・埋もれているのは、物だけじゃない。

 

この一年間、お家時間が増えたことで、実は知識や情報と名のつくものも増えたのではないかと思う。

 

新しい学びを始めてみたり、それまであまり手を出さなかったジャンルの本を読み始めたり、ネットの記事にはまって読みあさったり。

いろんなことに手を出して(失礼!)、チャレンジしてみませんでしたか?

 

机の上がちらかっているとか、床にものが転がっているとか、そういうものの片づけは、えいっ!って思えば案外すぐできる、と思う。

 

だけど、情報関係については、えいっ!というわけには、なかなかいかないように思う。

 

自分にとってこれは今後も必要な情報なの?
捨てた後で必要になったとき、またどこかから入手できる?
この情報への思い入れをたちきれる?
(思い入れは色々で、思い出の場合もあるし、そこにかけたお金だったりもすると思う。。。)
などなど、ひとつひとつ確認作業が必要だったりする。

 

そんな、これまで何かの講習会を受けるために手にしてきた資料なども、この際見直して取捨選択。

 

すごいなぁ。私もやろうかな?

なんて思っている最中に、ぴこん!とメールが1通。先日登録したメルマガが届いた。

 

メルマガで

「いらないものを捨てましょう」

へっ?今、捨てるって話をしている最中。


ひとりでちょっと笑ってしまった。

 

こちらは、生活習慣のメルマガ。

ごちゃごちゃした生活空間にいることで、精神も乱れがちになる。

 

部屋を片付ける、整えることは、心を浄化し、頭の中を整理することにもつながるから、まず部屋を片付けましょう、と。

 

そして、物を片づけるだけでなく、汚れているところ、ほこりがたまっているところなど、前からなんとなく気になっているところがあるなら、この際すっきりさせましょう、とのお誘いである。

 

そのメルマガをパソコンで読みながら、机の上、パソコンの周りに目を向ける。あぁ、まずここからだわ。

そう、この、あぁ、がよくないらしい。

 

パソコンの前に座るたびに、周りに積みあがった紙資料を見て、あぁ、とため息をつく。一日のうち、かなりの時間をパソコンと過ごしているから、パソコンの前から離れたり座ったりを繰り返す数だけ、密かに、この、あぁ、を発していることになる。とすると、一日何回つぶやいているのだろう?(笑)

 

この、あぁ、に伴う、ちいさな罪悪感と、できてない自分へのちいさな自己否定感は、たぶんとってもとってもちいさいものだけど、毎日何度も繰り返されていることを考えると、このままにしておくのはよくないように思えてきた。

 

それに、朝から2回も「お片付け」って言われたら、これはきっと私にとって、そうすべきタイミングなんだろうなぁと思った。

 

アーユルヴェーダ講座の聴講で

朝一番から「お片付け」が2つも降ってきたその日。午前からのアーユルヴェーダ講座の聴講に申し込んでいた。

 

アーユルヴェーダの講座のお題はサッドブリッタ。日本語に訳す場合、「善い行い」となる。

 

これはどんな人でもできること。そして、日々の生活で、やろうと思えばそく実践できること。

 

この中にも、はっきりそうとは書かれていないけれど、「お片付け」をそれとなくほのめかす個所が出てきて、椅子から滑り落ちそうになった(;^ω^)

 

「善い行い」を行うことは、つきつめると、日々の生活の中でストレスとなるものを取り除くことにつながる。

 

散らかっていること、汚れた場所が汚れたまま放置されていること。それはどちらも、気づかない内に心のストレスとして蓄積されてしまうとのこと。だから「お片付け」が必要なのだ。

 

「善い行い」の解釈はとても興味深いので、このことはまた別の時に詳しく書こうと思うのだけれど、ひとつあげると、散らかっているところも汚れているところも、目にするたびに、なんとかしなきゃ、と思ってしまう。人によってその強度は違うのだろうけれど、それがたとえ、ちょっと気になる程度であったとしても、心に影響しているのは間違いない。

 

ここまでくると、わたしにとっての「お片付け」はもう放置が許されない最優先事項のように思えてしまった。

 

お片付けは結局心との対話

朝の瞑想会からアーユルヴェーダ講座の終わる夕方まで、「お片付け」オンパレードの一日。

 

テレビのCMで「理由はひとつじゃない」っていうのがあったけど、お片付けも、目的はひとつじゃない。物が片付く、部屋がきれいになるということだけじゃない。

 

「お片付け」は自分にとって何が必要で何がいらないかを取捨選択することでもある。

 

物を捨てる捨てないというのは表面上の作業。水面下では、どうしてそっちの物が必要で、こっちの物が不要なのか、その理由を自分に確認する作業が行われる。

 

つまり、自分の心との対話。

 

何も考えずにガシガシ捨てるのもありだけど、ちょっと時間をとって、どうして?と考えながらお片付けしてみると、思いもかけない自分自身の思いや考え方に出会えるかもしれない。

 

今日もよい夕べを

Have a lovely evening