2009.04.05 地方版/大阪 22頁 写図有 (全1,349字)
◇フィルム映画は貴重な文化財--太田米男教授(59)=河南町
◇再生不能直前の600本を救う--「保存体制整えないと名画消失」
小ぶりの缶詰に似たブリキ缶に、35ミリの古びた映画フィルムが納められている。大正から昭和初期にかけ、家庭での鑑賞用に売り出された「玩具映画」と呼ばれるフィルムだ。当時人気のチャンバラ映画やアニメーション、ニュース映像の一部、20秒から長くても3分程度を記録したものに過ぎない。それでもすでにオリジナルの原版は失われ、無声映画時代など往年の名作を伝える貴重な文化財だ。復元プロジェクトを学内に立ち上げて6年。経年劣化で再生不能になる直前に救い出したフィルムは600本を数える。「玩具映画には手作りの味わいがある」とほほ笑む。
彫刻を学ぼうと、現在の京都市立芸大に68年に入学。「映画の街」の芸大で、脚本家の故依田義賢さんに出会った。名監督、溝口健二と長くコンビを組んだ脚本家として知られ、依田さんが河南町の大阪芸術大学に新設された映像学科の学科長に移ると、太田さんも従い、その活動のフィールドを映画の研究に絞っていった。
「日本の映画の分かれ道となったのがデジタル化が進み始めた93年。それ以来、日本の映画の方向性があいまいになりはじめた」。フィルム復元に取り組む背景に、急速な映画界の変化がある。
この年は、恐竜を描いたスティーブン・スピルバーグ監督の「ジュラシック・パーク」など、斬新な特撮映像を盛り込んだ洋画が劇場を席巻した。コンピューターによる画像処理を駆使し、現実にはありえない動物や自然を描いた映像が熱狂的に支持された。フィルムに何度も画像を映し込む従来の特撮はどうしても画質が劣化したが、デジタル技術の導入で鮮明な特撮映画が可能になった。
当時、日本の映画界はヒット作も少なく弱体化しており、代わってテレビが全盛期を迎えていた。映像の世界も、それまでのフィルムから急速にデジタル化が進み、デジタルカメラの開発が本格化していった。
ただ、デジタルは技術の進化が著しく、数年ごとに記憶形式が変わる。コンピューターの記録は、改めて処理しなければ再現することは不可能になり、保存には、フィルムに比べて大きなコストがかかることになる。
デジタルで映画を作ったものの興行レベルに乗らず、デジタル記号のまま忘れられる映画も少なくない。「アメリカではデジタルで作った映画も、必ずフィルムに戻して保存しています。保存はフィルム、特撮などの活用はデジタルというのが正しいやり方ではないでしょうか」と将来への懸念を語る。
無声時代の映画は多くが失われたが、玩具映画は、映画界を築いた監督や俳優たちの息づかいを確かに伝えている。がらくた市などで購入したり、収集家から借り受けて、汚れを取り除き複製のネガ(原版)を作って保存し、ビデオ化して持ち主に返す作業を、限られた研究予算を工面して続けている。
「欧米のように公的なフィルム保存の体制を整えないと、どんどん名画が失われかねない。建築物保存と同じで、日本では古いものを大切にする文化が欠けているのかもしれません。無声映画のフィルムはすでに70~80年が経過しており、保存のための早急な対応が求められています」と語った。【竹島一登】
毎日新聞社