大阪芸大発 著名人教員の紙上講義】(27)写真学科教授 浅井愼平さん
2009.10.18 大阪朝刊 23頁 大阪総合 写有 (全1,497字) 

 ◆撮ることは思索すること

 写真を撮るということは、思索して、対話をすることだ。僕が君たちに話し、90分後に君たちは変わっているはずだ。もちろん、僕も変わっているだろう。ここから何が生まれてくるのか、最初の出発点にいる僕たち全員が、素晴らしい経験をする。写真もそういう“変化”を与えるものだ。

 僕の写真もすべて思索、観察が現れたものだ。対象は人、もの、花、山、海…。もともと多くのものに出合うのが好きだった。そして、変わっていくものにシャッターを押してきた。

 《実は、映画青年だったという浅井愼平さん。「ずっと小津安二郎が好きでね」と照れ笑いを浮かべながら、「でもあるとき、僕は映画ではなくシーンが好きだと気付いた」と、写真に傾倒したきっかけを話す。「小津監督の作品でも、シーンごとのたたずまいがいいでしょう。それから、ちょうど1950年代はグラフィック・アートが世に氾濫(はんらん)するころで、自分自身もシーンの魅力に一気に引かれていった」という》

 今日君たちに一番言いたいことは、同じ体験をくぐり抜けても、人は違う感覚で思索するということだ。その思索した“経験”が、写真を撮ることにつながっていく。

 それは決して難しいことではない。撮りたいものを撮れば、それでいい。何を撮りたいか、まだよく分からない人もいるようだが、撮っているうちに見えてくるものがあるはず。僕もよくやるが、旅にでも出かけてみるといい。同じものを見ても違う風に見える。芭蕉も西行も旅をした。日常から非日常に行くだけで、素直な自分の見方になれる。だから、(何を撮るか迷っている)人には旅を勧めます。

 《この日の講義は、約10人の学生たちが各自のテーマで撮ってきた写真を机上に並べ、各作品に対して浅井さんが見解を述べるもの。各学生は独自のこだわりをもった作品を披露、浅井さんも真剣なまなざしで「タイトルは何だ?」「何が面白いのか?」などと学生らに問いかけ、写し取られたものを読み取ろうとしている》

 君たちが撮ったこれらの作品群は、自分の思い描いたように進まないかもしれない。でも、いろんなもの、気付いたものを撮り続けているうちに行き着いたもの、それが撮る目的になるのなら、それでいい。(何枚かの写真を手に)これなんか、水、水蒸気という世界から、どんどん広がりを見せていて面白い。このように、君たちが伝えたいこと、それが写真に写し出されていれば成功だ。

 それから、概念という枠を外してもっと自由になることだ。何であるか分かるように撮る必要はない。線が面白ければ、線だけ撮ればいい。分からせようと全体を写すから、本来のテーマがぼやける。(写真の四隅を隠して)こうして線だけにしたらきっちりする。対象物が何かというより、興味そのものが大切だ。面白がっているものが出ていないと写真はだめ。見る人はもっと面白くない。

 写真というものは面白くもあり、怖くもある。自分が観察したり、思索したりした“経験”が写るからだ。でも、写真から知らない自分を発見する喜びはとても大きい。だから、僕は撮り続けるし、君たちも撮り続けてほしい。

 (構成・福本剛)

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 【プロフィル】浅井愼平(あさい・しんぺい)

 昭和12年、愛知県生まれ。40年に日本広告写真家協会賞、41年に来日したビートルズを追った写真集「ビートルズ東京」で脚光を浴びる。現在、写真以外にテレビ、ラジオなどの番組出演、映画製作、音楽プロデュース、文芸、工芸、美術館の開設など幅広く活躍。平成12年4月、大阪芸術大学写真学科教授に就任した。

 撮影・鳥越瑞絵

産経新聞社