すでに顔なじみになりつつある看護師さんたちと

慣れた病院、信頼できる医師やサポートスタッフの方々に支えられ

なんとか前日を迎えました。

 

検査もほとんどを終え、あとはお通じがあればOK指差し

 

不思議と、前日まで来ると

恐怖よりも落ち着きを感じるものですね。

 

 

 

当日の朝は快晴。

フロアにあるカフェスペースからは富士山がしっかり見えました。

 

どうして富士山ってこんなにめでたい感じがするのでしょう泣き笑い

いつもそこにあるのに

朝焼けに輝く富士山を見ると気分も明るくなり

根拠がなくとも「うまくいく」気がしてきます。

 

 

ま、たまにはそういうのも大事。

 

 

事前説明があったとおりに準備は粛々と進み、

目が覚めたのは、

 

3日も経ってからでした。

 

 

 

 

 

え?

 

 

 

いやいや、

目が覚めたというよりも

覚醒させられたということでしょうか。

 

 

喉に管が入っていて苦しい。

気管挿管というものでしょう。

 

そばには人が居て、

どうやらこの気管挿管を抜管するかどうかで意見の相違があったようです。

 

主治医の呼吸器外科医は抜管を決断し

ICU(そうです、ICUの住人でした)の救急医は同意できないような…

 

目が覚めていきなり巻き込まれ~泣き笑い

 

 

 

結局抜管することになったのですが

その際に救急医にずいぶんと厳しい言葉をかけられました。

 

曰く、今から○○先生の指示で抜管するけど本当にいいの?

 

曰く、これを抜いた後に呼吸が弱いともう一度挿管はできないよ。

 

曰く、その時は気管切開だよ。

 

曰く、本当に抜いていいの?

 

曰く、だめだったら切開だよ?

 

曰く、本当に抜いちゃうよ?

 

 

 

 

 

おいおい。

 

意識はあるけど万全じゃ無い状態の患者に

判断させることなのか?

 

 

この言い方、インフォームドコンセントではなかろう。

なぜ、わざわざ患者が不安になるような表現を選んでいるのか。

 

私は賛同できないとお伝えした!

主治医が指示して、患者本人が強く希望した!

確認した!

問題があっても責任はない!

 

 

と、いえるようにしている(言質を取った)んだなーと

 

意識もあまりない状態ではあるけれど

ぼんやり思いました。

 

そして、こういう言い方をするということは

切開を含め、最悪の状態も覚悟すべき状態にあるんだなと

覚悟をすべき場面なのだと理解しました。

 

 

そして、

ぼんやりしている頭で、しかし、

ここで抜管に同意しなければならないんだなということも理解していました。

患者が意思を持って選ばねばならないのですよね。

 

 

そりゃそうか凝視

私の命の持ち主は私ですもの。

私が決めなくてはなりません。

 

 

 

正直なところ、その言い方にはイラッとしたけれど

同時に、医師って大変なんだな…とも感じていました。

 

全力を尽くしても責任を追及されるときはされるし

なによりも、

人を助けたいと思って医師になったのに

その手で送り出してしまうかもしれない決断や処置をしなければならないなんて

 

これで私が立ち上がれなかったら(戻れないこと)

この人傷つくんだろうなとも思ったのです。

 

 

 

 

 

 

イラッとしましたけどね凝視

 

言い方凝視

 

 

 

 

 

 

喉の違和感がすごかったので抜いてもらって

 

ものすごい手厚い看護をしてもらいつつ

病棟のベッドがあくのを待ち、

さらに翌日、やっと病棟へ移動しました。

 

 

術日が火曜日で、

病棟に帰ったのが金曜日だったかな。

4日ぐらいはICUでした。

 

 

意識レベルを落とされていましたし

術後の一番痛みがひどいときは記憶になりませんから

術前におびえていたほどの痛みはなかったと思われます。

 

背中に留置してある麻酔で吐き気が出る人も居るようですが

このときは全くありませんでしたし、

あっても分かりませんし?

とても恵まれていたのかもにっこり

 

ICUにいたときのぼんやりした記憶は改めて残しますが、

 

そんなこんなで

術日から4日かかって、私は帰ってきました。