自民が負けて野党になった頃の話。 | ニッポンを知る事

自民が負けて野党になった頃の話。

 かつて、自民党が与党から野党になったことがあります。


 ガンダム世代の僕は、その当時のニュースをけっこう覚えているのですが、当時はそれがどういった意味なのかが全くわからないでいました。


 なので、調べてみました。



-----(自民党惨敗前夜 バブル崩壊~湾岸戦争時代)

1989/09/04~1990/06/25
 日米構造協議が計5回開催される。アメリカは日本にGNPの10%を公共事業に配分するよう要請し、それを受けて日本は「公共投資基本計画」を策定、10年で430兆円を投じる事が決定する。

 ※「WILL」2007年9月号「小沢総理なんてまっぴらごめんだ」で石原慎太郎は「日本を経済奴隷にしたのは誰か。金丸・小沢じゃないですか。日本のバブル景気全盛期、日本経済に敗北したアメリカは圧力をかけて270項目の要求を日本に突きつけてきた。これに対し私は140項目の反対案を作りそれを発表しようと思った矢先、自民党の最高議決会の総務会が4回潰され、アメリカからの一方的で不当な要求がそのまま通ってしまった。これは小沢幹事長が命じたんです。その年以降、毎年、日本はアメリカから年次改革要望書を突きつけられるようになり、アメリカに言われるままに金融市場を開放し、日本は米国ヘッジファンドの餌食にされた。それを許したのは小沢一郎、あなたではないですか。」と述べている。(Youtube動画よりテキスト化)

1990/08/02
 イラクがクェートに侵攻。


1990/08/30
 海部内閣は多国籍軍への10億ドルの資金協力を決定。


1990/09/14
 海部内閣は多国籍軍への10億ドルの追加資金協力を決定。

1990/09/24
 小沢・金丸ら「金丸訪朝団」が北朝鮮を訪朝、日本の植民地支配について「謝罪」の意を表明する。
 ※http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00997/contents/00163.htm

1991/01/17
 「湾岸戦争」勃発。


1991/01/24
 海部内閣は多国籍軍への90億ドルの追加資金協力を決定。
 後に5億円の追加資金協力を決定。

 ※クウェートは戦後、参戦国などに対して感謝決議を出したが、日本はその対象に入らなかった。もっとも、当初の援助額である90億ドル(当時の日本円で約1兆2,000億円)の内、クウェートに入ったのは僅か6億3千万円に過ぎず、大部分(1兆790億円)がアメリカの手に渡ったことも要因となる。また、クルド人難民支援等説明のあった5億ドル(当時の日本円で約700億円)の追加援助(目減り補填分)の内、695億5000万円がアメリカの手に渡った(いずれも1993年〔平成5〕4月19日参議院決算委員会、外務省北米局長・佐藤行雄の答弁より)。(Wikipediaより転載)

 ※「WILL」2007年9月号「小沢総理なんてまっぴらごめんだ」で石原慎太郎は湾岸戦争に関して「当時は海部政権ですが、これは金丸と小沢が作った傀儡政権です。組閣人事はふたりが行った。その海部内閣の主要閣僚4人で紀尾井町の「福田屋」という料理屋で接待したら、同席していたブレディ米財務長官がいきなり40億ドル出せと言い放った。4人は「そんなカネは急には出せない」と断った。ブレディは繰り返し3回言った後、「よしわかった。これで日米関係は悪くなる。あんた方の責任だ。もう1回名前を教えろ。中山、橋本、武藤、坂本だな」。「ちょっと待ってください!」慌ててひとりが電話をかけた。当然、相手は幹事長の小沢です。小沢が金丸に相談して、その場で40億ドル出す事が決まった。その後、金丸はさらに90億ドルを出したが、その直後に戦争が終わってしまい、そのカネが何に使われたのか報告すらない。日本にキックバックされたという噂があります。その後、1991年の金丸事件で金丸さんは検察に起訴された。そこで刻印の無い金の延べ棒が出てきた。これが北朝鮮の金棒だったわけです。小沢・金丸は何をやったんですか。アメリカに約束した8年間で430兆円の税金を無駄遣いし、この埋め合わせの為に国債を発行し、それで日本の財政はガタガタになってしまった。この体たらくを作ったのは誰なんですか。小沢一郎のような人物が日本の主将になったらとんでもないことになります。」と述べている。(Youtube動画よりテキスト化)

http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand-magazine025.html





1991/11/01
 「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」が制定・施行される。


1992/10
 自民党経世会(竹下派)会長の金丸信が佐川急便から5億円のヤミ献金を受領したとして衆議院議員を辞職。自民党に対する政治不信が高まる。

1993/06/23
 小沢一郎(現・民主党代表代行)、羽田孜(現・民主党最高顧問)が自民党を離党し、「新生党」を結成。


 ※ここまでを要約すると、『自民党内部の左翼勢力が不正や使い込みを繰り返して自民党の評判を落とし、その左翼勢力が一斉に自民党を離党、「新生党」(=現「民主党」)を作った』、『総額630兆円に及ぶ血税の無駄遣いは小沢一郎が中心となって使い込まれたが、その殆どは使途不明』と言えます。



-----(自民党惨敗・野党落ちの時代)


1993/07/18
 第40回衆議院議員総選挙で、多数の離党者を出した自民党は野党に転落。細川護煕が第79代内閣総理大臣になる。

1993/08/09
 細川内閣が発足。

 ※細川政権は赤字国債を発行しない方針だった為、当時は新生党の代表幹事だった小沢一郎は消費税の増税を主張。その為に予算編成が2ヶ月以上遅れる事となり、その影響で日米首脳会談は決裂、結局平成6年度予算案では3兆円の赤字国債が発行される事になる。

1993/09/21

 民間放送連盟の会合の場で、テレビ朝日報道局長の椿貞良が選挙時の局の報道姿勢に関して、小沢一郎を擁護し、自民党を選挙で負けさせるよう偏向報道を行っていた事を発言。


1993/10/13

 椿貞良の偏向報道発言を産経新聞が報道。いわゆる「椿事件」。


1993/10
 細川護煕に佐川急便グループからの借入金処理問題が発覚。

1994/04/28
 細川内閣が解散。
 羽田孜(新生党)が第80代内閣総理大臣に任命される。
 任命時に社会党を離反、新生党党首となる。

1994/05?
 永野茂門(元自民・新生党)が法務大臣に任命されるが、毎日新聞のインタビューで「南京大虐殺はでっち上げだと思う」と発言した事が問題とされ、着任11日で辞任。

1994/06/30
 羽田内閣が解散。
 社会党の村山富市が第81代内閣総理大臣に任命される。

1994/12/10
 新生党を解散、新進党として再結成。

1995/08/15
 「『戦後50周年の終戦記念日にあたって』と題する談話」(村山談話)が閣議決定される。

1996/01/11
 村山富市が首相を辞任。橋本龍太郎(自民党)が第82代内閣総理大臣に任命される。

 ※ここまでをまとめると、当時は自民党議員だった小沢一郎一味が自民党の信用を落とし、テレビ朝日を筆頭にしたマスメディアが「悪いのは(小沢一味ではなく)自民党だ!」と騒ぎ続け、小沢一味が一斉に離党したせいで、自民党は選挙で負けて野党になってしまった、と言えます。

 また、マスメディアが偏向報道によって政治転覆を図っても数人が責任を問われただけで済んでしまったとも言えます。

 そして、その暗黒時代は2年ほど続き、自民党は創価学会公明党と連立しなければ与党になれなかった、という後日談と、右派の総理大臣(安部総理や麻生総理)が就任するとマスメディアが全力で否定する状況になったという事は、周知の事実だと思います。



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 悪い事は、それだけでは済みませんでした。

 以下は、「正論」2008年2月号より抜粋です。


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山谷 歴代首相の中でも侵略という言葉を使ったのは、”八頭立ての馬車”に乗った不安定な連立政権下の細川さんが初めてじゃなかったかしら。

安部 そう。平成5年に自民党が野党に転落するまでは、どの首相も侵略という言葉を使っていない。竹下さんも踏みとどまっていた。ところが村山談話以降、政権が代わるたびにその継承を迫られるようになる。まさに踏み絵です。だから私は、村山談話に換わる安部談話を出そうとしたのだが…。

山谷 安部談話を?

安部 村山さんの個人的な歴史観に日本がいつまでも縛られることはない。その時々の首相が必要に応じて独自の談話を出すようにすればいいと考えたのです。むろん、村山談話があまりに一面的なので、もう少しバランスのとれたものにしたいという思いもありました。
 ところが、とんでもない落とし穴が待っていた。平成十年中国の江沢民国家主席が訪日した際の日中共同宣言に「(日本側は)一九九五年八月十五日の内閣総理大臣談話(村山談話)を遵守し、過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し…」という文言が盛り込まれていたのです。この共同宣言は、昭和四十七年の日中共同声明、五十三年の日中平和友好条約についで中国が重視していますから、日本が一方的に反古にすることは国際信頼上できなかった。

山谷 がんじがらめになっていたんですね。

安部 結局、私は内閣総理大臣として、村山談話の継承を表明しなくてはなりませんでした。しかし同時に、「政治が歴史認識を確定させてはならない。歴史の分野は歴史化の役割だ」と国会で答弁した。野党からは「それでは村山談話の継承とはいえない」と批判されましたが、戦後レジームからの脱却がいかに困難であるか、改めて実感しましたね。

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 自民党が野党落ちしている間に社会党の村山富市という左翼が勝手に日本を代表して中国に謝罪してしまい、政権が代わっても国際信頼上、是正する事が出来なくなってしまったわけです。


 たとえば近年も、中国は国策として「レイプ オブ 南京」などの歴史捏造映画を作って、アメリカなどでプロバガンダ活動を行っていますが、すでに日本政府が謝罪している事なので、どうにもならなかったりします。


 また、安部総理は選挙前、「このままでは破綻する危険性のある年金の問題の解決に取り組む」といった事をマニフェストにしていました。しかし実際にこのマニフェストに取り組んだ時、マスメディアは安部総理を非難しました。
 もちろん年金問題、いわゆる「消えた年金」問題は、民主党の支持母体である「自治労」が張本人です。しかしマスメディアは自治労ではなく自民党を非難し続けました。


 この記事では1990年ごろからの政治を調べましたが、「ロッキード事件」で逮捕された田中角栄、「リクルート事件」の竹下登・「金丸事件」で北朝鮮から金塊を貰っていた金丸信などの、小沢一郎と関わりが深く自民党の信用を失墜させ続けた左翼政治家の事も含めて調べると、「日本は、ほんの数人の政治家の金儲けの為に四半世紀かけて滅び続けていた」としかまとめられません。

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 もっと簡単にまとめましょう。

 難しい話なしで。

 バブル景気がはじけた1990年から今日まで、日本が好景気になったと実感した事ってありましたか?

 無いですよね。

 日本が駄目になった原因は、自民党をダメにした連中のせいだと僕は思っています。


 その連中の中で、いまでも現役なのが小沢一郎で、小沢一郎が仕切っている政党が民主党です。


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