朝から晩までパソコンと向かい合い、行き詰まったときの癖の爪噛みで爪がぼろぼろになり、こっちのエナジードリンクRed Bullをぷはーっとする日々が続いてました。
そんな日々も先週の金曜日で一段落☆
しばし休憩~~と思いきや、この冬休み中にも1個エッセイを書かなくちゃいけないのです。
近々気合いを入れ直して、本を読み始めなきゃ。
早いものでもう1学期目が終わったけど、2年目は1年目に比べてめちゃくちゃ忙しい。
去年は結構余裕とか余暇(?)があったけど、今年は結構いっぱいいっぱい。
大学の勉強以外にもいろいろやることが増えたし、今までは無視し続けてた効率性に焦点を当てるときが来たかもな。
2学期は授業が減って少しは余裕ができると思うから、なにか他のことに挑戦しようと思ってる。
さて、そんなこんなでだいぶ間があいたけど、タイ第3弾です。
今回は”自然との共存”について。
日本も昔はそうだったろうと思うけれど、タイの人たちは自然と共に生きてる。(すごく発達したバンコクの一部を除いて)
私がそう感じたエピソードを何個かあげようと思う。
まず最初に、みんな基本的に早寝早起き。
これは農業に携わっている人が多いっていうのが理由かもしれない。
日が昇る前に起きだして、日が昇るとともに働きだして、日が暮れる頃に家に帰る。夜は早めに寝る。
私もタイ滞在中は毎日朝5時起き、夜は22時就寝の生活だった。
最初の頃はすごくきつかったけど、慣れるとすごく気持ちがいい。
お日様と同じリズムで毎日を過ごすことって、考えてみたらすごく自然なことなのに、それを実行してる人はあまりいない。特に先進国と呼ばれている国では。
そういう私もタイを離れてからは、すっかり太陽とは関係なく気ままに寝起きモード。
特にこのイギリスという国の冬は、太陽不足だし。
タイで感じたような体の底からの快適さ、気持ち良さはそこにはないけれど。
次に、ゴミの捨て方。
タイは食べ物が豊富な国です。
特に果物、野菜類がすごく豊富。
みんな間食によく果物を食べてる。
どこかに車で遠出したとき、車を運転していたスタッフが途中で果物を買ってくれた。
食べ慣れない私にはなかなか食べにくい、でもすごくおいしい果物で、時間をかけて食べ終わったあと、
「どこに捨てればいい?」
と聞いたら、
「窓の外」
って。
一瞬えっ!?って思った後に、でもそっかって納得した。
タイの道路は昔に比べてかなりきれいに舗装されているらしいけど、それでもたまに赤土がむき出しだったり、両脇が森だったり、日本の道路に比べたらすごく自然。
だから、果物の残りだったらポイって捨てて全然OK。
いつか自然にもどっていきます。
施設でおやつに食べたバナナも、皮はゴミ箱ではなく外の庭へ。
最初はどうしてもゴミ箱に捨てがちだったけど、あとからは外へポイポイっと捨てることに抵抗がなくなった。
日本でこれやったら近所から苦情がくるんだろうな~~笑
いったんこれに慣れると、生ゴミという存在にすごく違和感が出てくる。
なんでビニール袋に入れて、ゴミ収集車に持っていってもらわなきゃいけないんだろうって。
次は、五感の鋭さについて。
私がボランティアをしていた施設の子供たちは、山育ちということもあってか、すごく五感が発達してた。
まずみんな目がいいし、手先は器用だし、耳がいい。
その施設があったところはすごい田舎で、その辺に水牛が歩いたりしていた。
ある日、近くの街の大学から日本人学生が来て、子供たちに日本語を教えるというイベントがあった。
その授業中に水牛の鳴き声が聞こえて、街から来ている彼女たちは「牛だ~~」ってびっくりしていたんだけど、彼女たちが牛がいると思って指していた方向と、子供たちが指差した方向は真逆だった。
私は彼女たちと同じ方向から聞こえたと思っていたから驚いた。
そんなに私たちの聴覚は鈍ってるんだ。
私は目も悪くてコンタクトを着けているし、なんだか本当に街の子なんだな、いろいろ鈍っているんだなって、ちょっと自分の五感の鈍さを実感して恥じました。
そしてこれはその施設の運営者のNさんから聞いた話。
あの東南アジアで起きた大規模な津波のとき、スタッフと同じ村出身の人がちょうど被災地にいたんだけど、彼はとっさに近くのヤシの木に登って助かったらしい。
近くにいた人たちは津波に巻き込まれてしまったけれど、彼は一瞬の判断で助かった。
その判断は頭で考えたというより、体が反応したんだろう。
「どうすれば生き延びれるか。」
まさに野生の感。
自然と共存しているからこそ持っている感。
Nさんは、もし自然災害が起こった場合、生き残れるのは彼や施設の子供たちのような人だと言っていた。ゲームにしか興味を示さない日本の子供たちはそういうときに生き延びられないと。
ショックを受けた。
Nさんはさらに先進国では日常の一部となっている持ち歩ける音楽類(walkmanやiPod)についてもこう意見した。
あれは五感の一部を完全にシャットアウトしているわけだから、危険きわまりない行為だと。
私自身もiPod愛用者だし、東京でもロンドンでもかなり多くの人がイヤホンで音楽を聴いている。
そういう持ち歩く音楽が日常に欠かせないものとなっている人も少なくないと思う。
そんなにも日常化したもののことだったから、そのNさんの発言にはかなりの衝撃を受けた。
確かに五感の一部をなくしたような状態で多くの人が移動しているとしたら、それはすごく奇異で危険なことなのかもしれない。
自分の周りで何が起こっていようと、聴覚からは察知することが出来ないから。
逆に言えば、そういう危険性を顧みないほど、安全な環境のなかにいるからこそ出来るし普及するものなのかもしれない。
私はというと、そのNさんの発言を聞いてからiPodを使う機会が減った。
前まではどこへ行くにもiPodを持ち歩いて、いつでも音楽を聴いていた。
今はiPodを家に忘れてもまあいっかって思うし、持ち歩いていても聴くのは本当に必要なときだけ。
音楽嫌いの父の影響じゃないけど、自然に聞こえてくる音や声に耳を澄ますのもいいかもと思うようになった。
もちろん音楽は好きだけど、前よりも依存しなくなった感じかな。音楽がいらないときはいらないし。
特にイヤホンで音楽を聴くという行為に違和感を感じるようになったので。
人間都会で生活していると、だんだん感覚の鋭さがなくなっていく。
その事実に気づくこと自体あまりない。
私は”もののけ姫”を見るたびに思い知るし笑、今回のタイの滞在でも改めて認識した。
山に行かなきゃ、自然にもどらなきゃって思う。←単純笑
あらゆる勘が鈍っていくことに関しては、本当に危機感を感じる。
子供たちの村(山岳民族の村)を訪ねた時にも、”自然との共存”をすごく実感した。
民族の人たちが飼っている動物たち(犬、豚、鶏)は繋がれも柵に囲まれもせず、そこらへんを自由に歩き回っている。その辺で交尾している犬も見かけた笑
山に生息しているイノシシも、人間を見ても適度な距離を保っている。警戒するでも変になつくでもなく。そのおかげで生まれて初めて、間近でとってもかわいい野生うり坊を見れました
非常にラブリー。。
飼われている動物たちも、いわゆるペットとしてではなく、生活のために飼われている。
犬も日本のように可愛がられるわけではなかった。食べ物に近づくと追い払われるし。。
私が訪れたアカ族の村では、黒犬は特別な時には食べられるし。(私もちょこっと食べた!)
猫だけは例外で、とっても可愛がられていました。
なんでもタイでは猫は崇拝されているみたい。
「猫一匹殺すことは、お坊さんを何人か殺すのと同等の罪」らしい。。すごい。
タイでは仏教がかなり影響力を持っていて、その仏教のお坊さんと比べてこう言われているんだから、かなりの大切さなんだね。
ちょっと話が逸れたけど、動物との共存のしかたも私が今まで知っていたものと違って新鮮だった。
タイにあって私に欠けていたもの、”自然との共存”。
自然と共存することで、体の底から気持ち良くなって、生き抜く為に必要な五感が磨かれて、余計な支配関係がなくなる。
パワーとインスピレーションをもらえる。
自然はもともと人間に不可欠なもの。
だから決めた。
私は”共存”するほうを選ぶ、と。
気持ちよくて自然なほうを
水牛とも共存☆
そんな日々も先週の金曜日で一段落☆
しばし休憩~~と思いきや、この冬休み中にも1個エッセイを書かなくちゃいけないのです。
近々気合いを入れ直して、本を読み始めなきゃ。
早いものでもう1学期目が終わったけど、2年目は1年目に比べてめちゃくちゃ忙しい。
去年は結構余裕とか余暇(?)があったけど、今年は結構いっぱいいっぱい。
大学の勉強以外にもいろいろやることが増えたし、今までは無視し続けてた効率性に焦点を当てるときが来たかもな。
2学期は授業が減って少しは余裕ができると思うから、なにか他のことに挑戦しようと思ってる。
さて、そんなこんなでだいぶ間があいたけど、タイ第3弾です。
今回は”自然との共存”について。
日本も昔はそうだったろうと思うけれど、タイの人たちは自然と共に生きてる。(すごく発達したバンコクの一部を除いて)
私がそう感じたエピソードを何個かあげようと思う。
まず最初に、みんな基本的に早寝早起き。
これは農業に携わっている人が多いっていうのが理由かもしれない。
日が昇る前に起きだして、日が昇るとともに働きだして、日が暮れる頃に家に帰る。夜は早めに寝る。
私もタイ滞在中は毎日朝5時起き、夜は22時就寝の生活だった。
最初の頃はすごくきつかったけど、慣れるとすごく気持ちがいい。
お日様と同じリズムで毎日を過ごすことって、考えてみたらすごく自然なことなのに、それを実行してる人はあまりいない。特に先進国と呼ばれている国では。
そういう私もタイを離れてからは、すっかり太陽とは関係なく気ままに寝起きモード。
特にこのイギリスという国の冬は、太陽不足だし。
タイで感じたような体の底からの快適さ、気持ち良さはそこにはないけれど。
次に、ゴミの捨て方。
タイは食べ物が豊富な国です。
特に果物、野菜類がすごく豊富。
みんな間食によく果物を食べてる。
どこかに車で遠出したとき、車を運転していたスタッフが途中で果物を買ってくれた。
食べ慣れない私にはなかなか食べにくい、でもすごくおいしい果物で、時間をかけて食べ終わったあと、
「どこに捨てればいい?」
と聞いたら、
「窓の外」
って。
一瞬えっ!?って思った後に、でもそっかって納得した。
タイの道路は昔に比べてかなりきれいに舗装されているらしいけど、それでもたまに赤土がむき出しだったり、両脇が森だったり、日本の道路に比べたらすごく自然。
だから、果物の残りだったらポイって捨てて全然OK。
いつか自然にもどっていきます。
施設でおやつに食べたバナナも、皮はゴミ箱ではなく外の庭へ。
最初はどうしてもゴミ箱に捨てがちだったけど、あとからは外へポイポイっと捨てることに抵抗がなくなった。
日本でこれやったら近所から苦情がくるんだろうな~~笑
いったんこれに慣れると、生ゴミという存在にすごく違和感が出てくる。
なんでビニール袋に入れて、ゴミ収集車に持っていってもらわなきゃいけないんだろうって。
次は、五感の鋭さについて。
私がボランティアをしていた施設の子供たちは、山育ちということもあってか、すごく五感が発達してた。
まずみんな目がいいし、手先は器用だし、耳がいい。
その施設があったところはすごい田舎で、その辺に水牛が歩いたりしていた。
ある日、近くの街の大学から日本人学生が来て、子供たちに日本語を教えるというイベントがあった。
その授業中に水牛の鳴き声が聞こえて、街から来ている彼女たちは「牛だ~~」ってびっくりしていたんだけど、彼女たちが牛がいると思って指していた方向と、子供たちが指差した方向は真逆だった。
私は彼女たちと同じ方向から聞こえたと思っていたから驚いた。
そんなに私たちの聴覚は鈍ってるんだ。
私は目も悪くてコンタクトを着けているし、なんだか本当に街の子なんだな、いろいろ鈍っているんだなって、ちょっと自分の五感の鈍さを実感して恥じました。
そしてこれはその施設の運営者のNさんから聞いた話。
あの東南アジアで起きた大規模な津波のとき、スタッフと同じ村出身の人がちょうど被災地にいたんだけど、彼はとっさに近くのヤシの木に登って助かったらしい。
近くにいた人たちは津波に巻き込まれてしまったけれど、彼は一瞬の判断で助かった。
その判断は頭で考えたというより、体が反応したんだろう。
「どうすれば生き延びれるか。」
まさに野生の感。
自然と共存しているからこそ持っている感。
Nさんは、もし自然災害が起こった場合、生き残れるのは彼や施設の子供たちのような人だと言っていた。ゲームにしか興味を示さない日本の子供たちはそういうときに生き延びられないと。
ショックを受けた。
Nさんはさらに先進国では日常の一部となっている持ち歩ける音楽類(walkmanやiPod)についてもこう意見した。
あれは五感の一部を完全にシャットアウトしているわけだから、危険きわまりない行為だと。
私自身もiPod愛用者だし、東京でもロンドンでもかなり多くの人がイヤホンで音楽を聴いている。
そういう持ち歩く音楽が日常に欠かせないものとなっている人も少なくないと思う。
そんなにも日常化したもののことだったから、そのNさんの発言にはかなりの衝撃を受けた。
確かに五感の一部をなくしたような状態で多くの人が移動しているとしたら、それはすごく奇異で危険なことなのかもしれない。
自分の周りで何が起こっていようと、聴覚からは察知することが出来ないから。
逆に言えば、そういう危険性を顧みないほど、安全な環境のなかにいるからこそ出来るし普及するものなのかもしれない。
私はというと、そのNさんの発言を聞いてからiPodを使う機会が減った。
前まではどこへ行くにもiPodを持ち歩いて、いつでも音楽を聴いていた。
今はiPodを家に忘れてもまあいっかって思うし、持ち歩いていても聴くのは本当に必要なときだけ。
音楽嫌いの父の影響じゃないけど、自然に聞こえてくる音や声に耳を澄ますのもいいかもと思うようになった。
もちろん音楽は好きだけど、前よりも依存しなくなった感じかな。音楽がいらないときはいらないし。
特にイヤホンで音楽を聴くという行為に違和感を感じるようになったので。
人間都会で生活していると、だんだん感覚の鋭さがなくなっていく。
その事実に気づくこと自体あまりない。
私は”もののけ姫”を見るたびに思い知るし笑、今回のタイの滞在でも改めて認識した。
山に行かなきゃ、自然にもどらなきゃって思う。←単純笑
あらゆる勘が鈍っていくことに関しては、本当に危機感を感じる。
子供たちの村(山岳民族の村)を訪ねた時にも、”自然との共存”をすごく実感した。
民族の人たちが飼っている動物たち(犬、豚、鶏)は繋がれも柵に囲まれもせず、そこらへんを自由に歩き回っている。その辺で交尾している犬も見かけた笑
山に生息しているイノシシも、人間を見ても適度な距離を保っている。警戒するでも変になつくでもなく。そのおかげで生まれて初めて、間近でとってもかわいい野生うり坊を見れました
非常にラブリー。。飼われている動物たちも、いわゆるペットとしてではなく、生活のために飼われている。
犬も日本のように可愛がられるわけではなかった。食べ物に近づくと追い払われるし。。
私が訪れたアカ族の村では、黒犬は特別な時には食べられるし。(私もちょこっと食べた!)
猫だけは例外で、とっても可愛がられていました。
なんでもタイでは猫は崇拝されているみたい。
「猫一匹殺すことは、お坊さんを何人か殺すのと同等の罪」らしい。。すごい。
タイでは仏教がかなり影響力を持っていて、その仏教のお坊さんと比べてこう言われているんだから、かなりの大切さなんだね。
ちょっと話が逸れたけど、動物との共存のしかたも私が今まで知っていたものと違って新鮮だった。
タイにあって私に欠けていたもの、”自然との共存”。
自然と共存することで、体の底から気持ち良くなって、生き抜く為に必要な五感が磨かれて、余計な支配関係がなくなる。
パワーとインスピレーションをもらえる。
自然はもともと人間に不可欠なもの。
だから決めた。
私は”共存”するほうを選ぶ、と。
気持ちよくて自然なほうを

水牛とも共存☆
